2024年8月8日木曜日

論語雑感 泰伯第八 (その5)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感

【原文】
曾子曰、以能問於不能、以多問於寡、有若無、實若虚、犯而不校。昔者吾友、嘗從事於斯矣。【読み下し】
曾(そう)子(し)曰(いわ)く、能(のう)を以(もっ)て不(ふ)能(のう)に問(と)い、多(おお)きを以(もっ)て寡(すく)なきに問(と)い、有(あ)れども無(な)きが若(ごと)く、実(み)つれども虚(むな)しきが若(ごと)く、犯(おか)さるるも校(こう)せず。昔者(むかし)吾(わ)が友(とも)、嘗(かつ)て斯(ここ)に従(じゅう)事(じ)せり。
 【訳】
曾先生がいわれた。「有能にして無能な人に教えを乞い、多知にして少知の人にものをたずね、有っても無きがごとく内に省み、充実していても空虚なるがごとく人にへりくだり、無法をいいかけられても相手になって曲直を争わない。そういうことのできた人がかつて私の友人にあったのだが」 
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 どんなに優秀な人間であってもすべての物事に精通しているわけではない。となれば、自ずと知らないことが出てくるのは当たり前だと言える。しかし、世の中には「知らない」という事を恥じるのか、知っているふりをする人間はいる。自分は日頃から「知らない」「わからない」という事をきちんと表明するように心掛けている。それは何も恰好をつけているわけでもなく、聖人ぶっているわけでもない。ただ、「かっこ悪く思われたくない」からである。

 やはり知らないのに知っているふりをするという事は、特にそれがばれた場合、とてもかっこ悪いものである。立場上、知らないとは言えないケースがあるのかどうかはわからないが、立場が下の者にばれたらよけいその権威は崩落する。そんなかっこ悪い無様な姿をさらすくらいなら、初めから「知らない」と言ってしまった方が、少なくとも内心でバカにされる事態は防ぐことができる。どちらがいいかなど、考えなくても答えは出る。

 私の知り合いの方は、高級官僚時代は時の総理大臣とも交流があったほどの方であるが、齢90を越えてもなお矍鑠としていて、非常に謙虚であり、人に教えを請うのを厭わない。まさに「実ほど首を垂れる稲穂かな」といった有様である。その姿勢ゆえに尊敬の念が自然に湧いてくる。人に尊敬されたいと思ったら、まさにその方のように振る舞うべしという見本のような方である。そのような良き見本がいるからこそ、私も自然にそう思える。

 それに謙虚な姿勢だろうか。知らない事を素直に知らないと言う事も大事であるが、常に学ぶ姿勢を示している姿も尊敬の念を起こさせる。知り合いのシステム開発会社の社長さんであるが、昨年社長を引退した。悠々自適の生活を送ろうと思えば送れるのに、今も顧問として残って毎日出社している。と言っても何か仕事をしているわけではなく(困った時の相談役という位置付けである)、これからのAI時代に中心となるPythonという言語を独学しているのである。

 私のラグビー人生も随分長くなったが、やっぱりうまい人ほどよく練習している。チーム練習が終わったあとも、自分の弱点を克服すべく、あるいは得意なプレーを強化すべく、次の試合でやりたいプレーの精度を上げるべく練習する。そうでない人は、全体練習が終わると満足してすぐに上がってしまう。うまい人は、歯を食いしばって練習しているというより、「楽しいから」練習しているようにも思える。「このプレーを試合で使ってうまく行ったらうれしい」というワクワク感から練習しているように思える。

 論語の時代は今から2,500年も前であるが、その頃から既に人の尊敬を集めるような人の姿というものは一定のものがあったように思う。そしてそうした知恵が2,500年も前からあったのであれば、もう少し尊敬できる人物が世の中に溢れかえっていてもいいように思う。もっとも、それも学んでいてこそであり、学んでいなければそもそもそんな事もわからないのであるから、知ったかぶりをしたり、無いのにあるように振る舞い、充実しているように振る舞うのかもしれない。古の教えはやはり大事であり、それを学ぶ事も大事であると思わされる。

 「無法をいいかけられても相手になって曲直を争わない」というのは、わかっていても難しいところがある。「(争いたくても)争えない」というケースは別として、「争うことができる」場合、そこに必要なのは、己の相手に勝ちたいという気持ちを抑える理性が必要となる。これが私にはけっこう難しい。そういう時はいつも「ライオンに勝てると思えば猫にもなれる」という言葉を思い出すようにしているが、まだまだそういう境地には至れていない。わかっていても難しいという事はあるものだと思う。

 わかっていれば適切に行動できるところと、わかっていても難しいところはある。2,500年も変わらぬのが人間の性なのだろうが、「かっこ悪い人間にはなりたくない」という己の思いを実現するように行動したいと思うのである・・・


miezekiezeによるPixabayからの画像


【本日の読書】
父が息子に語る 壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書 - スコット・ハーショヴィッツ, 御立 英史




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