2024年8月21日水曜日

論語雑感 泰伯第八 (その6)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
曾子曰、可以託六尺之孤、可以寄百里之命。臨大節而不可奪也。君子人與、君子人也。
【読み下し】
曾(そう)子(し)曰(いわ)く、以(もっ)て六尺(りくせき)の孤(こ)を託(たく)す可(べ)く、以(もっ)て百(ひゃく)里(り)の命(めい)を寄(よ)す可(べ)し。大節(たいせつ)に臨(のぞ)みて奪(うば)う可(べ)からず。君(くん)子(し)人(じん)か、君(くん)子(し)人(じん)なり。
【訳】
曾先生がいわれた。「安んじて幼君の補佐を頼み、国政を任せることができ、重大事に臨んで断じて節操をまげない人、このような人を君子人というのであろうか。まさにこのような人をこそ君子人というべきであろう」
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 君主制の国家では、若くして君主となった幼君を側近が支えるというのが歴史上でもよくあり、この場合、事実上その側近が国家権力を握る事になる。そうなるとその側近がどんな人物かによって国政が左右されることになる。それが立派な人物であれば言う事はないが、私利私欲に走るような人物だと国家を私物化したり、権力の乱用に走ったりという事もありうる。ひどい場合には幼君を排除して自らの王朝を立てたりする。古代の中国をはじめ、そういう歴史は珍しくない。

 我が国でも石田三成などが幼君を補佐した例としてすぐに頭に浮かぶ。また、幼君ではなくても、有能な側近に政治を任せるというのもよくある事。江戸時代の「側用人」などはその最たる例であろう。柳沢吉保や田沼意次などが有名で、側用人が将軍に取って代わる事はなかったが、老中を上回る権力があったとされる者もいる。こうした側近が力を発揮するのは、「君主(実権者)」の能力が不足している場合であるが、補佐する者の能力に加え、「忠誠心」がやはり重要だと思う。これがないと政権が維持できなくなる事になり得る。

 「重大事に臨んで断じて節操をまげない」というのも重要であろうが、やはり「忠誠心」の方が大事だろう。漫画『キングダム』でも側近が力を持ち過ぎていつ何時反旗を翻すかと案じる場面が出てきていたが、安心して委ねられるという部分では「忠誠心」が何よりの安心材料なのではないかと思う。翻って現代でも経験の浅い二代目社長をベテラン役員が支えるというのが似たようなケースではないかと思う。二代目が社長として独り立ちできるまでベテラン役員が支えるケースでは、役員の力量が問われるのは言うまでもない。

 私も前職では不動産会社に役員として入社した。その会社は父親が息子のために作った会社で、役員も父親がかつての部下を集めて未熟な社長の補佐をさせるべく体制を整えてスタートしたものであった。最初は役員がしっかりと仕事をし、事業は順調に進んでいったが、会長となっていた父親が高齢で経営から身を引いたあたりから迷走に入っていった。社長が自分の力量を過信。主要な役員が高齢で退職し、真面目で仕事はできるが大人しい役員だけになると迷走は加速。赤字決算が連続して存続の危機も出始めていた。

 私が入社したのはそういうタイミングで、私も銀行で企業再建のお手伝いをした経験もあり、それを生かして再建計画を立てて再建をスタートさせた。さらには実行が何より大事であり、採算の悪い不動産を計画的に売却し、新たな投資計画を立てて収益物件を購入。さらに清掃等外注に任せていたのを内製化し、マンションの管理組合におけるサービス提供も開始し、入社翌年から6年連続の増収を実現した。100%私の考えた通りに進め、(社員の協力もあり)その結果を手にしたが、我ながら名参謀ぶりであったと自負している。

 では忠誠心はどうであったかと言うと、そもそも会社の株主はすべて社長が持っており、クーデターなどできる余地はなかったし、それ以上に多額の債務の保証人になってまで会社を乗っ取ろうという気持ちは欠片もなかった。ましてや自分で資金を集めるのも大変であるし、独立までして自分で経営しようという気持ちも欠片もなかった。忠誠心などという大げさなものではなかったが、雇われ役員の気楽な立場で会社を思うように動かせるわけであるから、その方がはるかに魅力的であった。忠誠心というよりも損得という問題である。君主制ではないし、権力の規模も違う現代の中小企業となればそうかもしれない。

 確かに、それなりの力がある人間なら、幼君(または力のない人間)に取って代わろうという誘惑に心を動かされるかもしれない。その誘惑を断ち切ってきちんと国政を運営してくれるという安心感を与え、さらに重大事に臨んでもひるまず意思を通すような人物なら「君子」と言えるのであろう。私が社長に代わって経営に勤しんだのも、「面白かったから」が6割(会社が潰れると収入がなくなるからが4割)であり、君子とは程遠かったが、最後まで信頼して任せてくれたのであればもっといい結果をもたらせたと思う(結果的には社長に裏切られたのである)。

 現代でも無私の心で社長(というよりも社員を含めた会社)のために全力を尽くしているつもりである。自惚れかもしれないが、それが現代の君子なのかもしれないと思ってみる。願わくば周りのみんなにそういう君子だと思われるように、今の仕事に邁進したいとあらためて思うのである・・・


Mohamed HassanによるPixabayからの画像


【本日の読書】

グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない (&books) - ロバート・ウォールディンガー, マーク・シュルツ, 児島 修  もう明日が待っている (文春e-book) - 鈴木 おさむ





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