2024年6月19日水曜日

管理職の責任

 最近、「責任感」という言葉を考える機会が多くなってきた。「責任感」とは「責任」に対する「感覚=考え方」とでも言えるであろうか、要は「責任を全うする」という意識である。我が社のある役員とはこの点で考え方がずっと合わないで来ていた。彼は責任とは「辞める事」としている。何かあれば「辞めればいい」という意見であり、私とは決定的に考え方があわない。私は「辞めたらあとはどうするんだ」と考える。本人は「責任を取って辞めます」と言っていなくなればよい。ではその後始末はどうするのだろうか。 

 そのタイミングで、「責任とは取るものではなく果たすもの」という言葉を知り、まさに我が意を得たりの感があった。責任は果たしてこそのものであり、政治家であればともかく、民間の中小企業では責任は果たしてもらわないと周りが迷惑することになる。自分がやっている事は、それをやる事が自分の責任であり、それを最後までやり抜くことが必要であり、その覚悟と責任感は持たねばならない。それが当たり前だという感覚でいたが、かの役員はそうではなく、大きな違和感を持ってしまったのである。

 我が社の管理職には、3つの責任を持っていただいている。その3つとは、
  1. 業務遂行責任
  2. 収益管理責任
  3. 人事労務管理責任
である。1はプレイング・マネージャーとして、自ら部下を率いて業務を遂行する責任である。2は、会社の売上目標の追求と経費管理である。管理職ともなれば、仕事だけしていればいいというものではない。その仕事が会社の収益にどう反映するか。自分と部下の給料は自分が稼ぐという意識が欲しい。

 3の人事労務管理は、部下の評価や勤怠管理である。実績を正しく評価して昇給・昇格へつなげ、36協定を遵守して過剰な労働とならないようにし、トラブルがあれば率先して対応する。しかし、当たり前だと思っていたそれが、先日とあるプロジェクトで問題が発生した際に崩れてしまった。担当していた若手が対応しきれずに炎上してしまったが、直属の管理職の対応が後手にまわってしまったのである。我が社は個別のプロジェクトに分かれて従事することが多く、そのケースも部下と上司とが別々のプロジェクトに入っており、上司もそのプロジェクトの事がわからないという事で、腰が引けてしまったのである。

 私は、彼に管理職として対応に当たれと指示したのであるが、その管理職は「わからないから」と及び腰。では誰が顧客との間に入って問題を解決するのかと問いかけ、挙句に「私がやろうか」と言ったところ、その管理職は渋々対応に入る事を了承した。エンジニアでもなく、現場の事がまるで分らない私にやらせるわけにはいかないと、さすがに覚悟したようである。そもそも管理職であれば、「現場の問題を自分のところで止める」という意識も持ってほしいと思う。自分のところで止まらなければ問題は上に行く。それはすなわち、自分に問題解決能力がないという事である。私であれば、それを快いと思わない。維持でも何とかしようと思う。

 それこそが責任感だろうと思う。課長ともなれば、その課の責任者である。その課で起こった事は、責任者である課長に責任がある。それを引き受けてもらわなければならない。たとえそれが自分にはまったく関係ない業務であっても、部下が関わっている以上、部下に対する責任を果たして欲しいと思うのである。私も初めて部下を持った時、それを最初に教えられた。銀行員時代、私の部下が支店長に呼ばれて怒られていたが、「そばに行って一緒に聞け」と教えられたのである。「自分の部下が怒られているのだから知らん顔しているな」と。それは確かにその通りであり、以来ずっと実践しているが、そういう意識は大事だと思う。

 中間管理職と言えば、悲哀という言葉が連想される。それだけどこも大変なのであるが、中間管理職の強い組織は本当にいい会社であると思う。逆に中間管理職の弱い会社は、よほどトップが優れていないと生き残って行けそうもない気がする。私の少ない経験からすれば、トップがダメでも中間管理職(あるいは№2)がしっかりしていれば会社は成長できるものである(ただし、ダメなトップが邪魔をしなければ、であるが)。そんな強い中間管理職のキーワードは、間違いなく「責任感」だと思う。今後の我が社の管理職強化のキーワードにしたいと思うのである・・・


AlexaによるPixabayからの画像

【本日の読書】
「答えのないゲーム」を楽しむ 思考技術 - 高松 智史 地図と拳 (集英社文芸単行本) - 小川哲





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