2024年6月2日日曜日

還暦に思う

あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい。
《ネイティブアメリカンの教え》
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 6月は誕生月である。今年は60回目、つまり還暦である。自分が還暦であるという実感はまったくない。人は頭の中では歳を取らない。今も20代の頃とまったく変わっていない。まぁ、考え方そのものは年月と様々な経験を経て20代の頃とはまったく違っているが、基本的な自分というものは歳をとっていない。それでも子供が小さい頃の写真に一緒に写っている自分を見ると、さすがに歳を取っているのはわかる。頭の中は若くても、体は確実に歳を取っている。

 60回目の誕生日はいつもと変わらぬ週末の1日。一応、家族はみな私の誕生日を覚えてくれている。当たり前のように思われるかも知れないが、それを当たり前のように思わないようにしようと思う。いつものように実家へ行く。年老いた母のため掃除と料理を手伝っているが、最近、めっきりと短期記憶が衰えた母も私の誕生日を覚えてくれている。母も私が還暦だという事をことのほか驚いていた。ある意味、自分の歳よりも驚くのかも知れない。私のすべての誕生日を祝ってくれている人である。

 父はいつものように散歩に出かけたが、帰ってきた時にはケーキを買ってきた。コージーコーナーのショートケーキだったが、親父なりに気を遣ってくれたようである。耳が遠くなり、理解力も衰えていて、歳を取るという事はこういう事なのかと、私に身を持って教えてくれている。自分より27年長く生きている両親の姿は、そのまま27年後の自分の姿であるのかも知れない(何となく自分はもっとしっかりしていそうな気はするが・・・)。

 いつの頃からか、自分の寿命は何となく90歳という気がしている。という事は、その2/3を終えた事になる。残りあと1/3。それが長いのか短いのか。2007年から昨日までの17年間で2,800本ほどの映画を観ている。本は2009年半ばから約1,500冊読んである。とすると、残りの人生で映画は5,000本、本は3,000冊くらいは読める計算である。そう考えると、まだまだ先は長い。そもそも時間が経つのが早いと感じるのは、現在から過去を振り返るからであり、未来を望めば長いのである。

 残りの30年をどう生きるか。何となく目の前の事をこなしているうちに過ぎてしまったという事は避けたいと思う。とりあえず仕事は住宅ローンを払い終わる70歳までは頑張ろうと漠然と考えている。会社さえ安定して経営できていけば今の収入は維持できるし、そうなれば多少のゆとりを持って引退後の生活に入れると思う。そこから先は健康次第という事になる。といっても健康はすべての源であるから、そこからというよりももう今からという事でもある。6月は毎年健康診断の月にしているが、これもきちんと受けたいと思う。

 これからだんだんと出来なくなることも増えてくるかも知れない。既にシニアラグビーの世界では、白紺世代(40〜50代)との対戦ではキツいと感じることが多くなってきている。怪我の回復も遅い。それも当然なのだと思うが、そうした事実を受け入れ、無理なく自分に合わせていこうと思う。仕事でも社員が働いてくれるからこそ、事業が継続できるのであり、役員である自分の力などささやかなものである。ならば、社員が働きやすい環境を構築していくしかない。

 できる事に最善を尽くし、できない事はやってもらう。それも気持ち良く。元々人の先頭に立ったり、表に立ったりするタイプではないが、これからもそのスタイルは続けて行くだろう。何よりも人間としてのあり方を意識したいと思う。人に恨みを買うような真似は、少なくとも自分からする事は避けたい。損得よりも大事なことを見失わずに行動したい。多少のお金と多少の尊敬とを得られるように行動していきたい。残り30年、どのみち苦労と苦悩は絶えないだろうが、一方でそれらを楽しみながら過ごしていきたいと思うのである・・・

Stefano FerrarioによるPixabayからの画像

【今週の読書】
思考の技術論: 自分の頭で「正しく考える」 - 鹿島 茂  残酷人生論 - 池田 晶子  高瀬庄左衛門御留書 (講談社文庫) - 砂原浩太朗




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