2023年4月20日木曜日

論語雑感 述而篇第七(その8)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰、「不憤不。不悱不發。舉一隅不以三隅反、則不復也。」

【読み下し】

いはく、いきどほらばひら

もだらばあか

ひとすみこれしめすも、すみもちゐしてかへさば、すなはわれふたたび

【訳】

先師がいわれた。

「私は、教えを乞う者が、先ず自分で道理を考え、その理解に苦しんで歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。また、説明に苦しんで口をゆがめるほどにならなければ、表現の手引を与えてやらない。むろん私は、道理の一隅ぐらいは示してやることもある。しかし、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、二度とくりかえして教えようとは思わない。」

『論語』全文・現代語訳

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 昭和の終わりの年、大学を卒業して銀行に入行した私は、研修を終えて融資係に配属となった。その時の上司は、先輩たちの間でも有名な厳しい上司で、私も最初からそんな有名人の下に配属になるなんてと我が身を嘆いたものである。そしていざ配属となると、その上司は確かに厳しく、今で言えばパワハラに楽勝で該当する行為もあった。しかしその一方、仕事は確かにできる人で、指導内容も間違ったことはなく、学ぶことも多かった。そんな上司の教えの中で、今でも印象に残っている言葉は、「仕事は盗め」であった。


 昭和の時代では当たり前だったのだろう。似たような話は至る所で聞いたものである。ただ、私はそれに素直に反発し、「教えた方が早いじゃないか」と思ったものである。盗むなんて非効率だ、と。しかし、「教えられたものは忘れる、盗んだものは忘れない」(すきやばし次郎)という言葉があり、これも真実であると思う。ある料理人は夜中に事務所に忍び込んで先輩のレシピを盗み見たというし、料理人は調理を終えた鍋に直ぐに洗剤を入れて舐められないようにしたとか。誠に非効率な世界である。


 職人であれば腕一本で生きていく部分があり、それを支える自分の技術は「門外不出」という思いがあったのかもしれない。昔の武士の世界では、「一子相伝」というものもあったというが、技術に生きる世界ではそれもありなのかもしれない。しかし、サラリーマンはそんな職人とは違う。まぁ、事務的なところはマニュアルが整備されていたから、「盗め」と言ったのはそんなマニュアルの世界ではなく、「仕事のやり方」のような「個人的なノウハウ」だろう。


 学生時代、ラグビー部では、私はラインアウトの際のスローワーを務めており、ボールの投げ入れ方はかなり練習した。しかし、どうしても先輩Hのように美しいボールを投げ入れることはできず、私は先輩Hに教えを請うた。当時先輩Hは私と同じポジション。いわばライバルである。ライバルが自分と同じ技術を身につけたら、もしかしたら自分に代わってレギュラーになるかもしれない。にも関わらず、先輩Hはコツをあれこれと教えてくれた。それで私のスローイングの技術もかなり向上した。


 ライバルであるはずの後輩に余すことなく自分の技術を教えてくれたのは、もしかしたらそれを覚えたところで自分の地位は不動だという自信があったのかもしれない(事実、私は先輩Hからポジションを奪うことはできなかった)。あるいは私が技術を身につける頃には、自分は卒業だという計算もあったかもしれない(それもその通りであった)。いずれにせよ、私のスローイングの技術は見ただけでは身につけられなかっただろう。「盗む」のには限界もあるのである。学生スポーツのように時間制限のある場合は特にそうである。


 しかし、「教えられたものは忘れる、盗んだものは忘れない」のも事実だと思う。その理由はたぶん「思い」であろう。「どうしてもそれを覚えたい」という思いである。私も先輩のようなスローイング技術を身につけたいという思いがあった。だから一言一句教えてもらったことを聞き逃さないようにという思いで習った。スローイングの技術を身につければレギュラー獲得に有利に働くという思いもあったが、そうではなくて、ただ「教えてやるよ」と言われていたら、真剣に覚えようとはしなかったかもしれない。


 暗い受験生時代、必死に勉強していた私が心がけていたことの一つは、「安易に答えを見ない」であった。考えて考えて考え抜いてそれでも解けない時、悔しい気持ちのまま回答を見るのである。その時、解法を見て「ああ、そうだったんだ〜」と悔しく思うと、それが記憶に残るのである。安易に答えを見てしまうと、後で似たような問題が出た時に、「あれ?あの時なんて書いてあったかな?」となる確率は高かった。「盗む」「盗まない」ではなく、解答に対する言わば「飢餓感」が大事だと言えるのかもしれない。


 そういう飢餓感を持っている人間に対して教えるからこそ、深く身につくものだと言える。そういう飢餓感がない者に対しては、いくら親切に教えたとしてもするりと記憶のひだから漏れ落ちてしまうのかもれない。教える立場の人間からすると、安易になんでも教えるのではなく、そういう飢餓感を持たせるようにするのがいいのかもしれない。人は隠されたものは見たいと思う。ギリギリまで隠すのも教えるテクニックかもしれない。


 あの厳しかった上司は、今どうしているのだろうか。当時は大嫌いだったのに、今になってみると妙に懐かしく思い返されるところがある。果たして自分は部下からどんな上司に見られているのだろうか。こと教えることに関しては優しく教えるだけではなく、うまく隠して部下に飢餓感を持たせることのできれば、教えるのが上手い上司ということになるのかもしれない。そんな教え上手な上司になりたいと思うのである・・・


Gerd AltmannによるPixabayからの画像 


【本日の読書】

 



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