2022年9月1日木曜日

論語雑感 雍也第六(その23)

 論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰、「智者樂水、仁者樂山。智者動、仁者靜。智者樂、仁者壽。」

【読み下し】

いはく、さとものみずよろこび、よきひとなるものやまよろこぶ、さとものうごき、よきひとなるものしづかなり。さとものよろこび、よきひとなるものいのちながし。

【訳】

先師がいわれた。

「知者は水に歓びを見出し、仁者は山に歓びを見出す。知者は活動的であり、仁者は静寂である。知者は変化を楽み、仁者は永遠の中に安住する。」

『論語』全文・現代語訳

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二つの相対立するものを比べて論じるのはよくあること。ここでは知者と仁者が比較されている。どちらがどうかというのは判断がつかない。知者は知者でいいと思うし、孔子一押しの仁者も然り。どちらが優れているというより、ここでは相異なる両者という意味で捉えたいと思う。水と山、動と静の比較はよくあること。さらにその場の楽しみと細く長く生きるという対比なのだろうか。

 

それにしても、知者と言えば、どちらかと問われれば知者こそ静のイメージがある。落語でも慌てものは「大変だ、大変だ」と騒ぐが、知恵のある御隠居は落ち着いている。知恵のないものは体を動かす方が優先で、知恵者は落ち着いている。静かなのは知者の方だと思うが、孔子がどういう意味で言ったのか、興味のあるところである。ひょっとしたら「智者」には今とは異なった意味があったのかもしれない。その真偽は学者ではないのでわからないが、ここではこのまま受け入れるとする。

 

静と動。自分はどちらだろうかと考えてみるも、すぐに答えは出ない。個人的には静かな性格で、あまり騒ぐのは好きではない。何か大変な事態が起こっても、多分あたふたするよりどうするかじっくり考える方である。過去の実体験でも意外と自分はジタバタしない人間だとわかっている。総じて、自分としては「静」の方だろうと思う。しかし、シチュエーションによっては異なると思う。

 

例えば山で遭難したとする。じっと静かに助けを待つか、自力で活路を見出すかの判断を迫られる。その場合、自分だったら、基本的に動く方を選ぶと思う。じっと誰かの助けを待つより、自助を選ぶのが私の性格である。しかし、それが雪山なら動き回るよりじっと待っているだろう。無駄に動けば体力の消耗を招くことになる。飛行機が砂漠に墜落した場合など、どう考えても自力ではどうにもならないとなれば静かに助けを待つが、そうでなければ基本的に自ら動くと思う。どちらのタイプかと問われれば、自分は静よりも動の人間であると思う。

 

しかし、だからと言って自分は活動的な人間だとは思わない。休みの日にはラグビーの練習に出かけて行って汗を流しているが、基本的に家で過ごす方が好きである。何も予定のない休みだと至高の喜びを感じる。だが、若い頃は、「休みの日に家にいるなんて信じられん」と考えていた。休みの日に何もすることがなくても、部屋に閉じこもっているということはなく、あてはなくともとにかくどこかへ出かけていた。だが、今はどこかへ出かける必要がなければ喜んで家にいる。もしかしたらそれは年齢による体力の劣化、および嗜好の変化なのかもしれない。

 

最近、会社で新卒採用に利用する会社のプロモーション・ビデオの制作を依頼した。相手は創業から間もない若い会社。社長も当然若い。熱意がこちらまで伝わってくるセールスで、こちらにも需要があったのでお願いすることにした。メール連絡でも返信は早いし、勢いを感じる。自分にはとても真似ができない。だが、事業が順調に推移して会社もそこそこ大きくなって軌道に乗ったら、多分今のエネルギーは衰え、静かな巡航速度に移るのだろうと思う。

 

実家で飼っている猫も、子猫の時はとにかく忙しく家の中を駆け回っていた。じゃらしたりすると大変で、目を見開いて追いかけていたが、年老いた今はじゃらしても見向きもしない。反応してもせいぜい「お付き合い」程度である。猫も歳をとれば動かなくなる。年齢による静から動への変化は自然の摂理でもある。そう考えると、自分も年齢を経て静へと変化しているのかなとも思う。

 

孔子の唱えた知者も、きっと歳を取れば活動的ではなくなるだろう。水よりも山を好むようになるだろう。知者だから、仁者だからというのは、少なくとも今の文脈では当たらないと思う。基本的に静だとは思うが、必要に応じては動の人間になる。自ら進んでということはないが、仕事や人間関係の必要に迫られればそうなるだろう。強いて言えば、柔軟対応だろうか。それが一番しっくりくる感じがする。とは言いつつも、週末に雨ならば、程度によってラグビーの練習も中止になる。それはそれで嬉しかったりする。雨が降っても晴れても、静と動を使い分けて楽しむのが自分という人間であると思うのである・・・


MustangJoeによるPixabayからの画像 


【本日の読書】

 




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