2022年6月15日水曜日

正義と正義

  世の中には「正義」が溢れている。ウクライナに侵攻したロシアを西側諸国は一斉に非難し、経済制裁を実施し、ウクライナには経済的、軍事的支援を行っている。それを我が国の世論は概ね当然と考える。しかしながら、ロシアの立場からするとまったく違うわけで、ただでさえアメリカとNATOからの脅威を感じているところに、ウクライナにまでNATOの基地ができたら堪らないわけで、だから軍事侵攻という非常手段に打って出たのであろう。もちろん、それは非難されるべき行為であるが、NATOだって仲裁に入ってウクライナのNATO加盟を認めないと宣言し、ロシアの脅威を排除してやればことは解決するのである。

 しかし、ウクライナに兵器を支援という名目で提供するアメリカやNATO各国にとってみれば、「ロシアの弱体化」は大いに歓迎化すべきことで、兵器を輸出するアメリカの軍需産業も大いに潤っている。アメリカにしてみれば、「自国の兵士が死なず」、「自国の軍需産業が潤い」、「ロシアが弱体化」するウクライナの紛争は、収めるどころか長期化大歓迎だろう。単に感情論だけでウクライナ支援などという声は到底上げられない。ウクライナも平和を望む以上にロシアを嫌っているということだろうからである。

 人には誰でも正義がある。私も今、元勤務先の社長と法廷バトルを展開中であるが、たった一度滞納しただけで、翌月末には払うと告げていたにも関わらず、内容証明郵便による督促等通常の手続きを取らずに、しかも返済を求めるのではなく、いきなり債権者破産の申し立てをしてきた。常識で考えれば異常な闇金まがいの乱暴な取り立て行為である。しかしながら、相手には相手の正義があって、それは到底こちらは認めないし、世間もおかしいとしか思わないだろうが、それでも自分の正義があるはずである。

 かつての日本も世界恐慌下、困窮する国内事情を大陸進出で覆そうとして大陸に進出して行った。ロシアの南下にまったく対抗できない朝鮮を併合したのも「国を守るため」。たとえそれが世界的に認められなくても、日本には日本の正義があったわけである。そういう正義と正義がぶつかり合った場合、勝った方が「真の正義」になる。「勝てば官軍」なのである。元社長とは殴り合いの喧嘩をすれば1分で決着はつくが、我が国の中では裁判所で公正に争うという方法があり、常識ある社会人であればこの方法で白黒つけるしかない。

 戦争で負け日本は、すべての責任を負わされた。日本にだって正義はあったのであるが、「負ければ賊軍」。賊軍の正義は、所詮、正義とは認められない。ロシアとウクライナがどうなるかはわからないが、何よりも正しいのは即時停戦である。そのためには軍事支援ではなく、本気の仲裁こそが必要だろうと思うが、そうならないのは各国に自分の思惑=正義があるからに他ならない。自分自身、安易にロシアを非難し、ウクライナを支援する声に無邪気に同調する気にはなれないのはそのためである。

 我が社でも役員間で意見の相違・対立がある。みんな自分の正義があるのである。幸い、私は双方と良好な関係にあり、双方から話を聞けている。本来は、「会社にとって何が良いか」という共通善に向かって意思統一していくべきであるが、そうはならない。我こそが正義と思っているから、なかなか相手を認めるということにはならない。双方に話を聞けば、なるほどおっしゃる通りという意見があるのである。

 そういう私が、双方と良好な関係にあるのは、根本的に「相手の正義」を認めるところからスタートしているからだと自負している。それでいて、その正義をどう自分の正義と調和させるか、させられるかと考えて話をしている。それは若手社員に対しても、である。そういう心境に至ったのも、過去の苦い経験の蓄積に他ならない。私も自分の正義を信じるがあまり、しばしば相手の正義を「誤ったもの」と断じて対応してきたことが多々ある。もちろん、その結果、「なぜこの正しい考え方が理解できない」という自分勝手な怒りに辿り着いてしまったのである。

 相手の正義を尊重することで、互いに良好な関係になれるし、意見の相違もやがては解消できるような気がする。少なくとも、「何が会社にとっていいのか」という根本原理さえ維持していれば、同じ方向を向けるように思う。そういう考えで、明日もまた頑張ろうと思う。ただし、「降りかかる火の粉は払え火事の空」、法廷バトルに発展してしまった元社長との争いには決着をつけなければならない。そこは「平和的な喧嘩」に勝利の勝鬨を挙げたいと思うのである・・・


Sang Hyun ChoによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

  



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