2022年6月6日月曜日

言葉による理解

 先日、来春の採用活動のため鹿児島に出張に行った。私も日本各地はいろいろと行ったが、鹿児島は初めて。仕事とは言え、初めての土地に行くというのは、心躍る経験である。その鹿児島で、取引先との話題に「方言」が上がった。鹿児島弁は、県外の人が聞いたらかなりわからないそうである。しかし、私が接触した人は、訛りはあるものの、「わからない」というレベルではない。聞けば若い人は皆そうであり、お年寄りになるとはっきりと違いがわかるそうである。

 

 なぜなのかと言えば、それはやはりテレビをはじめとしたメディアの影響だろう。テレビで流れるのは標準語が中心。必然的に標準語化された人たちの言葉は、「わかりやすい鹿児島弁」になるのだろうと思う。その昔は、県外から来たらたちまち言葉でよそ者と知れたそうである。江戸の世では幕府から間者が来てもわかってしまったそうである。言葉が防護壁になっていたのであろう。それがテレビの普及で日本全国に標準語が行き渡り、独自の方言が標準語化しているのかもしれない。

 

 一説によると(『昨日までの世界』ジャレド・ダイアモンド 読書日記№377) 、世界にはおよそ7,000の言語があると言う。なぜかくもたくさんの言語が生じたのか。ラテン語が英語やフランス語などのヨーロッパの言語の母語なのはよく知られている。もともとはひとつの言葉だったのが、人類の拡大発展に伴い、最初は方言のように少しずつ異なり、やがて別の言語と化していったのだろうと想像される。昔は今ほど移動が容易ではない。ゆえに一定の範囲内で言語が方言化し、時代とともに別の言語になっていったのであろう。

 

 それが、現代ではテレビやラジオの発達によって世界が急速に縮小。標準語が地方にも行き渡るようになり、方言も標準語に近づくようになっているのだと思う。方言がわからないという話はよく聞くが、「標準語がわからない」とはあまり聞かない。日本語に限って言えば、日本が狭くなる中で、標準語による言葉の接近が行われているのであろう。人と人の理解はコミュニケーションを通してなされる。そういう意味では、お互い方言がきつくてわかりにくいというよりも遥かにいいだろう。

 

 時間が余ったので市内観光のバスに乗った。市内各所を巡って巡回するのであるが、巡回する名所というのはどうしても明治維新にまつわる史跡がほとんど。かつての薩摩藩が明治維新の中心となったことを考えると当然とも言える。しかし、中には「西郷さんが最後の5日間を過ごした洞窟」なんていうのもあり、明治政府と衝突した西南戦争の歴史も思い起こされる。せっかく共に新政府を立ち上げたのに意見の衝突から武力衝突に至る。互いに意思を通そうと譲らなければ武力で、というのは現代でもウクライナの例が示している通りである。

 

 戦争は、そういう意見の対立を解消する解決手段として使われる。話し合いで埒があかないとなると、対立したまま平行線を辿るか、力づくで意見を通すかとなる。結局、「勝てば官軍」であり、勝った方が正しかったということになる。西南戦争は、明治政府が勝利する。政府に逆らって反乱を起こした西郷隆盛は本来悪人であるはずなのに、のちに名誉が回復されて今は上野公園の銅像にまでなっている。意見は衝突したものの、西郷さんの人としてのあり方を認める人が多かったのであろう。

 

 意見の相違は致し方ないこと。しかし、共通の目的のために譲り合うことができるか否かが大事なところ。我が社でも今、役員間で意見の対立が起きていて、解決の糸口は見えていない。人はどうしても自分の意見の方が正しいと思いがち。そういう私も、会社全体のことを考えれば自分の意見の方が正しいと考えている。しかし、相手がそう考えないのであれば仕方がない。それを前提として「どうするか」を考えないといけない。会社だから、武力で解決するというわけにはいかない。

 

 相手の意見を認めて、一旦はそれでやってみて、うまくいかなければその時こそこちらの意見を通させてもらうというプロセスが必要なのかもしれない。まどろっこしいが、意見の対立は、いずれどこかでどちらか一方が諦めるしかない。戦争で負ければ黙って従うしかないし、実際にやってみてうまくいかなければ自分の意見を引っ込めるしかない。議論だけで同意に至るのが望ましいが、互いに譲れないから衝突になる。武力に至らなくても裁判ということになる。

 

 裁判も紛争解決手段としては武力にはるかに勝る解決手段である。感情的な対立は必ずしも解決されないが、少なくともどちらか一方に軍配は上がるし、裁判の中で和解という方法もある。争いがないことが一番であるが、人間がそれぞれ感情を持つ以上、それはあり得ない。共通の価値観を持つということが一番ではあるが、そう簡単にはいかない。子供の幸せを願うのは親としては当然。でもそのために母親は学力が必要と考え、早くから塾に行かせようとする。それよりも大事なものがあると反対する高学歴の父親。我が家もそんな対立があったが、結局力関係で母親の意見が通る。結果がわかるのはずっと先だが、その時にやっぱり自分の意見が正しかったと言っても後の祭りである。


 標準語化が進み、意思疎通が容易くなったとしても、それで対立がなくなるということはない。むしろ味わいのある相手の訛りを重んじる気持ちがあれば、意見の衝突も回避できるかもしれない。我が社の役員間の意見対立はなかなか解消が難しい。私としては、緩衝材としてその中に入り、うまくやっていけるようにしたいと思う。会社はみんなの幸せを積んだ船である。操舵室で争っていては氷山を回避できない。互いに十分通じる言葉があるのだから、根気強く自分の考えを伝えていきたいと思う。武力に限らず、衝突は周りを幸せにしない。そういう思いで行動していきたいと思うのである・・・



 【本日の読書】

  




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