2022年5月4日水曜日

論語雑感 雍也第六(その16)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
【原文】
子曰、「不有祝鮀之佞而、有宋朝之美、難乎免於今之世矣。」
【読み下し】
子(し)曰(いは)く、祝鮀(しゆくだ)之(の)仁(よきひと)有(あ)ら不(ず)、し而(て)宋朝(そうてう)之(の)美(うるはしき)有(あ)るは、今(いま)之(の)世(よ)於(に)免(まぬか)るる乎(を)難(かた)し。【訳】
先師がいわれた。「祝鮀ほど口がうまくて、宋朝ほどの美男子でないと、無事にはつとまらないらしい。何というなさけない時代だろう。」
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 実力社会とはよく言われるが、本当にそうだろうかと昔はよく考えた。銀行に入行して間もなくの若手の頃はそれほど考えなかったが、しばらくすれば「出世」ということを考えるようになる。と言っても何も頭取になろうなどと考えていたわけではないが、最低限でもせめて同期に遅れを取ることないくらいには地位を上げてもらいたいと思ったものである。しかし、残念ながらそうはならず、随分と忸怩たる鬱憤を抱えての銀行員生活であった。

 何が一体、出世の決め手となるのであろうか。それがわかれば苦労はしないのであるが、若手の頃はまったくわからなかった。実力と言っても、それは何を指すのか。もちろん、常に目標は抱えていたし、それをきちんとこなしていた。ずばぬけた実績でもあれば別だったかも知れないが、普通に目標をクリアーしている程度ではダメであった。「これをやれば」というのがわかればそれをやる。ところがそれがわからない。一生懸命だけではダメなのである。

 ちょうど30歳くらいだっただろうか。その頃、自分自身が一番壁に当たっていた。そんな私を見かねてか、ある上司が「お前は一体何をやりたいんだ」と唐突に問うてきた。たぶん、第三者的に見ても私が目的もなく彷徨っているように見えたのだろう。しかし、突然そんなことを聞かれても面食らうばかりである。いわゆる出世ルートから外れていったのはその頃からだったと思う。今、あの頃に戻れたら、たぶんこの上なくうまくやれるだろうと思うが、当時自分で出した結論は、「自分の人付き合いの悪さが原因だろう」ということであった。

 若手の頃から、「付き合い」というのが嫌いで、飲み会も断れるものなら常に断っていた。何が悲しくて仕事が終わった後まで一緒に酒を飲まなければならないのかと。当時は今と違って、みんな毎日のように飲みに行っていたものである。よく金と体力がついていったものだと感心する。そうした付き合いを通じて、「可愛がられる」ことが出世につながるのだろうと、自分の中で結論づけていた。そしてそれは自分には無理だと。「実力主義」など所詮は建前なのだと。

 そして一旦、遅れ出すと取り戻すのは難しい。それもそうである。1年あとには1年下の世代が鎬を削っているのである。遅れを取り戻すには倍のスピードで進まなければならないが、それはなかなか難しい(もちろん後から傑出した営業成績を上げて遅れを取り戻した者もいた)。そうしていつの間にか、目標はせめて「年下の上司に支えるのは避けたい」というものに変わっていた。銀行を辞めるに際し、あまり躊躇しなかったのはそういう恐れから逃れたいという思いがあったからでもある。

 外に出てみれば、そこで待っていたのは、中小企業であれば自分もまだまだ通用するという現実。こんなことならもっと早く出ていれば面白い人生を歩めたのではないかとさえ思う。おべっかを使うこともなく、無理してお付き合いで飲みに行くこともない。気をつけているのはコミュニケーションだけで、私の場合、上司だろうと物おじせずにものを言えるが、逆に相手の感情を逆撫でてしまうことがある。上司だって人間だし、自分の意見を頭から否定されれば面白くはない。面白くなければ、いくら正当な意見でも私の意見に同意してくれないということもあり得る。そういうところに気がつき、今はモノの言い方にかなり気を遣っている。

 今、若い頃を振り返ってみて思うのは、自分に足りなかったのは、飲みにいったりおべっかを使ったりするという付き合いの悪さではなく、総合的なコミュニケーション能力だったのだろうと思う。今であれば、実力を兼ね備えた(当時も実力はしっかりあったと思う)「可愛げのある部下」になれると思う。そうしたらたぶん出世もしていただろうし、人生も随分変わっていたと思う。つくづく、気づくのが遅すぎたと思う。いや、回り道をしたからこそ、気づいたのかも知れない。

 この経験は、いずれ社会に出るであろう娘と息子に伝えたいと思う。そうしてこそ、心の中で流してきた自分の涙も生きるような気がする。世の中は人の世。そこには人の感情というものが流れている。そうした感情をうまく汲んでこそ、「実力」が生きるのだと思う。ムッとしているよりは笑顔の方がいいだろう。モノの言い方一つで通る意見が通らなくなる。それはイケメンだから、あるいは口が達者だからなのではなく、一つのテクニックだろうと思う。孔子の時代もきっとそうだったのではないだろうか。我が身を振り返ってみるとそんな風に思うのである・・・

Albrecht FietzによるPixabayからの画像 


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