2017年12月5日火曜日

心付けは必要か

先日、母親と話をしていて、伯母が入院したことを聞いた。その入院に関わる話の中で、先生や看護師に対する「心付け」の話になった。この話は以前母親が入院した時に議論したことがあって、それを念頭に母も私に語ったのである。曰く、「やっぱり対応が変わるんだよ」と母は得意気であった。「伯母がそうだって言うんだからなおさらだ」と付け足す。以前の議論では、私が心付けには反対だと主張し、「必要だ」と主張する母と意見が異なったのである。

母が言うには「対応が変わる」というのがその理由。さすがに先生はあまり変わらないらしいが、「看護師は変わる」と鼻息が荒い。経験のない私にはわからないが、「こんなにも違うのか」というくらい違うそうである。それが嘘だとは思わないし、そう感じるなら事実なのだろう。だが、それでも個人的には反対する気持ちには変わりがない。まぁ母や伯母が心付けを渡すのを止めはしないが、自分が入院した時には絶対やらないだろうと思う。

そもそも病院によっては、最近は「心付けはお断りいたします」と表示してあったりする。企業としての病院サイドに立ってみれば、もらっても困るであろうことは想像に難くない。現金をもらったとして、それをどうするのか。個人でポケットに入れるのはいくらなんでも問題だろう。では例えば看護師長に報告して渡したとして、看護師長はそれをどうするのか。経理だって渡されても困るだろうし、水面下で「山分け」するかという話になる。そうすると、山分けのおすそ分けにあずかれる人とあずかれない人の公平性の問題はどうするのかとか。いくらもらえるのかはわからないが、金額と分ける人数によっては雀の涙かもしれない。考えてみれば実際はどうしているのか興味深い。

また、「対応が違う」ということも病院サイドからすると具合が悪いのではないかという気がする。差をつければつけたで批判が出そうだし、つけなければつけないで渡してくれた人に悪い気もするだろう。現実的に母や伯母が「違う」という以上、違うのだろうが、もらってしまった以上は多少なりとも差をつけないと悪いという思いがあるのだろう。それは別に悪いとは思わないが、やっぱり自分はそれを利用したいとは思わない。実質的にはお金でそういうサービスを買うことには変わりないし、それで人よりいいサービスを受けたいとも思わない。「同じ」でいいと思うのである。

要は、利用したいと思わないのは、「お金がもったいない」といった金銭的な理由ではなく、「公平感」といったものだと思う。たとえばそれがメニュー化されていて、松竹梅とサービスに価格がついているならともかく、金額も何もまったく個人の「心次第」で不透明なやり取り(言ってみれば「袖の下」だ)で決まるのはどうにも心が落ち着かない気がするのである。そういう「気が回る」か「お金がある」かによって差がつくというのは、たとえ渡して利益を得る立場であっても心地よくない。

そんな話をすると、母は決まって「お前、世の中ってそんなもんじゃないんだよ」とたしなめられる。母の立場からすれば、それは「賄賂」というより「お礼」に近いものなのかもしれない。このあたりはもう長年身についたお互いの価値観の違いだからどうにもならない。仮に、私がもし入院するような事態になり、私が「心付け」を渡していないと知ったら、母はたぶん私に代わって「心付け」を渡すだろう。たとえそれが私の意に反していたとしても、である。そしてそれを知れば、当然私は気分を害するだろう。

どちらが正しいのかは問うても仕方ないことだと思う。母や伯母は長年身につけてきた考え方というものがある。それに病院サイドにしたところで、公式見解は「やめて欲しい」であったとしても、個々の現場の看護師さんレベルからすれば、実は運用面がうまくなされていて「もらって嬉しい」ものなのかもしれない。それに現実的に対応が変わって母や伯母は満足しているわけだし、それ以上批判するのもおかしな気もする。

結局のところ、「好きにすればいい」ということになるのだろう。そんなことより、そういうことで煩わされることのない様、できるだけお世話にならないように健康でいたいと思うだけなのである・・・





【本日の読書】

  
   

0 件のコメント:

コメントを投稿