2017年12月10日日曜日

論語雑感 為政第二(その14)

子曰。君子周而不比。小人比而不周。
()(いわ)く、君子(くんし)(しゅう)して()せず。小人(しょうじん)()して(しゅう)せず。
【訳】
先師がいわれた。君子の交りは普遍的であって派閥を作らない。小人の交りは派閥を作って普遍的でない
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論語に載っている言葉は、どれもこれもごもっともで、異論を挟む余地はあまりない。当然と言えば当然のことである。今回の言葉は、「君子は派閥を作るべきではない」と言う意味だそうである。派閥というと何だか政治家のようであるが、要は「広く多くの人と公平につきあう」ということだろうか。理想としてはその通りであるが、実際はどうであろうか。

我が身を振り返ってみると、とてもではないが「周して比せず」どころではなく、「比して周せず」となっている。もともと人見知りのところもあって、あまり多くの人と万遍なくお付き合いするというのが苦手ということもあるが、世の中いろいろな人がいる中、どうしても相容れない人がいる。そういう人とはなるべく距離をおいておきたいと思うのである。要は好き嫌いがあるということである。

好き嫌いと言っても、自分の場合、それは考え方の違いからくるものが多い気がする。サラリーマン社会では、「上司に媚びへつらう」人は多々いる。あるいはそこまでいかなくても、「なんでも上司の言う通り」という人もである。「上司の言う通り」にしなければならないのは、ある意味サラリーマンとしては当然なのであるが、それは例えば自分が上司と違う意見を持っていた場合など、それをきちんと主張するかしないかと言い換えてもいいかもしれない。伝えた上で、それでも「やれ」と言われたらそれは従うべきで、黙って従うのとはちょっと違う。私などは必ずそうしないと気が済まないので、最初から黙って従う人を見ているとどうにも理解できない。

ただ、逆に上司の立場からすると、黙って自分の意のままに動く部下の方が、一々意見を言ってくる者よりも使い勝手がいいかもしれないとよく思う。一々説明するのは面倒かもしれないし、黙って従う方が「愛い奴」となるのかもしれない。それに説明してくれればまだしも、「○○のように黙ってやってくれればいいんだよ」などと言われようものなら、私だったらはらわたが煮えくりかえるだろう。

日常生活でも「そんなことぐらいで・・・」という意識の違いの話は溢れており、「そんなこと」の差でお互いの感情が衝突することが間々ある(我が家ではしょっちゅうだ)。家庭内なら黙って耐え忍ぶしかないが、外でまでそんな事をしたくない。勢い、「合わない人とは距離を置く」というスタンスにならざるを得ない。そして「合う人」とだけ親密に付き合うということで、居心地よく過ごすことになる。現に私の人付き合いはそんな考え方による行動の結果をきっちりと表している。実に見事なまでの「小人」振りである。十分な自覚があるが、では孔子先生の説かれる君子のようになりたいかと問われれば、それはやっぱり無理してそこまでしたいと思わないというのが正直なところである。

果たしてそんな私の状況を見たら、孔子先生は何ていうのだろう。「小人」と判断されて終わるだろうか。ただ、私も好き嫌いがすべてではなく、仕事やその他の集まりで、どうしてもチームを組まざるを得ない時はある程度「目を瞑る」ということはする。お客さんとのお付き合いも然り。中にはどうにも「人間の小さい」と思えるお客さんがいて、心の中では「やれやれ」と思うのだが、それを表に出すわけにもいかない。お金をいただく以上、ご希望には答えないといけないので、そこはわきまえている。

ただ、それ以外はやはり「馬の合う」メンバーと付き合うということになる。孔子の言わんとしたところがどういうものなのかその真意はわからないが、なかなか好き嫌いを超えて分け隔てなく付き合うのは難しい。悪印象の代表である政治家の派閥にしたところで、運用次第では悪いこととも思えない。理想は理想として、やはり心地よく生きるためには、「比して周せず」も悪くはないのではないかと思う。
考え方がやはり小人なのであろうか。それもまたやむなしと今回は思うのである・・・




【今週の読書】
 
   

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