2017年2月26日日曜日

会社を動かす

高校生の頃、将来漠然と何になるかアレコレと悩んでいた時、一つだけ心にはっきりと思っていたのは、「サラリーマンにだけはなりたくない」ということであった。当時の私にとって、サラリーマンとは「命じられるままに命じられたことをして給料をもらう」というイメージであったのである。今で言う「社畜」であろうか。そうして映画『ジャスティス』の影響を受け、弁護士になろうと進路を決めたのである。

その後、法律そのものが自分に向いていないとわかって、挫折ではなく進路変更して銀行員になったが、高校生の頃抱いていた「サラリーマン=社畜」というイメージは間違っていたと今では思う。もちろん、働き方によっては「社畜」となっている人もいるだろう。それよりも弁護士だからと言って、自立しているかと言えばそうではない。所属している事務所には方針というものがあるだろうし、自分で看板を掲げていても売れない弁護士になるとクライアントに媚びを売ることもあるようである。医者や弁護士だからと言って、他人に左右されないということはあり得ない。どんな職業にだって、従わなければいけない人(上司やお客さんなど)はいるものである。大事なのは、「働き方」だと思う。

例えば、今私は社長ではないが、「会社を動かしている」という実感を持っている。会社が取るべき今後の方針を考えて事業計画を作っているし、銀行からの借入交渉も行っているし、日常の様々な判断もこなしている。それは社長が任せてくれているからであるが、そうなるように働き掛けてきた結果に他ならない。我が社は中小企業だし、我が社の社員は誰でもそうしようと思えばそれができるが、「そういう意識」で働いているのは今の所私だけである。

会社を動かすことは(特に我が社のような中小企業であれば)、実は簡単な事である。「こうしたい(こうした方が会社にとって良い)」と思うことがあれば、それを社長に説明すればいいのである。その結果、「やってみろ」と言ってもらえれば会社を動かすことができる。会社の方針を決めるのは最後は社長であるが、要は社長にそう決めてもらうように働きかければ良いのである。

得てして、「自分は社長でないから会社を動かせない」と考えている人は、こういう考え方がそもそもできない。それどころか、そういう考え方だと例え社長になっても判断を過つことになるだろう。「自分が会社を動かす」という気概があれば、何をやるべきか日頃から真剣に考えるだろうし、提案した以上、「やってみろ」と言われれば自分でやる覚悟がないといけない。「〇〇すべきではないでしょうか?」と他人事の評論家では、もちろん言葉に重みもないから、提案しても採用してもらえないかもしれない。

提案しても社長が迷っていたら、「自分がうまくやってみせます」というくらいの覚悟がないと、言葉にも迫力がないだろう。私も今の会社に入って2年超。そうやって自分でいくつもやってみせてきた。だからこそ、今会社を動かせているのだと思う。ある同僚に、「社長は○○さん(私のことだ)の言うことなら聞くんですね」と言われたが、それは初めから贔屓されているわけではなく、そういう働き方をしてきたからこそ社長も耳を傾けてくれるようになっているのである。

それは結局組織の大小を問わずどこでも同じだと思う。と言っても私の元いた銀行などの大組織になるとなかなか簡単にはいかないだろうが、一つ二つ上の上司くらいなら十分動かせるはずで、要はそういう働き方、言ってみれば「気概」の問題であろう。

高校生の頃には思ってもみなかったサラリーマンに今はなっている。しかし、それは「サラリーマンになっている」ことを思ってもみなかったのではなく、「社畜ではない、会社を動かすサラリーマン」の存在を「思ってもみなかった」のであり、あの頃の私がタイムマシンに乗って今の私に会いに来たら、「サラリーマンになっている」とがっかりさせることなく、胸を張って今の状況を誇れるだろう。

我が家の高校生の娘は、「将来働きたくない」とのたまわっている。あの頃の私とはまた違う感覚であり、なんてアドバイスしたらいいのか良くわからない。だが、せめて楽しく働く姿を少しでも見せ、「働くのも悪くなさそうだ」「どうせ働かないといけないなら楽しく働くにはどうしたらいいだろうか」と思うくらいには導きたいと思う。果たしてうまくできるだろうか。

会社を動かすより、娘の心を動かす方がはるかに難しいと思うのである・・・






【本日の読書】
 
   

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