2017年2月5日日曜日

結婚21年

今週は我が家の結婚記念日の週であった。妻と結婚して21年になる。結婚して21年が経ち、自分も50代となるとさすがに結婚当時とは大きく異なるものだという気がするが、実はそうでもない。さすがに子供が二人生まれたりして環境は変わったが、気持ちの上では結婚当初と変わらないというのが正直なところ。ただしそう思うのは私だけで、妻の方はもうそうではないらしい。

結婚当初何を考えていたかといえば、なんとなく漠然と将来子供は二人くらいで、しかも長女長男のいわゆる一姫二太郎で、銀行ではそこそこ出世して、両親と同居できたらいいなという程度であったと思う。子供についてはその通りとなったが、あとはダメであった。まぁそれはそれで仕方がない。

子供も小さいうちはただ可愛くて、それだけで良かったが、だんだん大きくなると「教育」という問題が出てくる。ここで妻とは大きく意見が異なってしまう。自分は国公立の道を自力で切り開いてきたという自負がある。塾へも予備校にも通わなかったし、何が必要かを考え、自分で必要な努力をしてきた。子供達にも当然同じようにできるようにしたいと思うが、妻はそうではない。

受験に際し、学校とも連携し、熱心に受験をサポート。やれ学校見学だと早くから動き、通信教育に塾にと通わせ、勉強しろと尻を叩いた。なんとなく違和感を感じていたが、口を出すこともはばかられ、結局自分はそれを見守っているだけだった。その成果もあって、娘は学力トップの公立高校に合格したが、今は失速して目標を見失っているようである。早くも大学受験が目の前にチラついているが、娘の頭の中は漂流状態である。

そんな娘に対しては、自分なりのアドバイスがいくつも頭の中に浮かぶのだが、同時に妻の顔も頭に浮かぶ。「なんて言うだろうと」。妻の頭の中は、「首都圏の国公立大学」となっているようである。それはもちろん経済的な理由もあるのだが、経済的な理由と言っても同意しかねるところがある。「そのくらいなんとかなる」と言うのが私の考え。もちろん医学部と言われたらさすがにひるんでしまうが・・・

そしてそれを自分は妻と議論したいとは思わない。良くないとはわかっているものの、そこでのやり取りを想像すると憂鬱になるのである。お互いの性格の違い、考え方の違いを大きく感じている。妻の考え方は、「堅実だが堅実すぎて子供の可能性を大きく制限する」ものだと思えてならない。これは結婚前にはわからなかったことである。これに限らずであるが、結婚生活を送る中で、最初はわからなかった二人の考え方の違いというのが随分と出てきている。もしも映画『ペギー・スーの結婚』のように21年前に戻る事ができたなら、果たして自分はもう一度妻と結婚するだろうか。

その答えはお互いにNoなのかもしれない。だがもしも目の前に尻尾を生やした悪魔が出てきて、その願いを叶えてあげようと言われ、ただし互いに結婚しなければ今の子供たちとも出会わないよと言われたらどうだろうか。もう一度今とは違った人生にチャレンジしてみたいという気持ちはあるが、子供たちとは別れたくないという思いも強い。「子はかすがい」とはよく言ったものである。

人生に困難はつきものであり、この程度であるならそれも良しなのかもしれない。子供が重い病気で海外に移植手術に行かなければならないなどという状況を想像してみると、はるかに今の生活は幸せである。これからどんな夫婦生活が続いていくのだろうか。あるいはそもそも続くのであろうか。先のことはわからないが、そんな未来を手探りで迎えようじゃないかと思う結婚21年目なのである・・・






【今週の読書】
 
     

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