2012年3月29日木曜日

3Dの世界

最近3D映画が当たり前のようになってきた。
3Dと言えば、かつてはディズニーランドのアトラクションに代表されるように、「飛び出す映像」という、出しモノ的なものだった。その技術はかなり古くからあったと思う。それが普通の映画に取り入れられるようになるとは、正直考えてもいなかった。

初めて観た普通の映画の3D版は「アバター」だった。映画館に入り、お馴染みの3Dメガネを渡された時は、正直言って「失敗したかも」と思った。しかし嬉しい事に、それは杞憂に終わった。「飛び出す」イメージとは違い、遠近感が強調され、映像の雰囲気がまるで違ったのである。巨大な宇宙船の広い船内、未知の惑星の遠くまで広がる光景、目の前を通り過ぎる巨大な車両・・・
そのリアリティ溢れる雰囲気にすっかり圧倒されてしまった。

その後、雨後のタケノコのように3D映画が登場。中には、「こんな映画まで」と思えるものも3Dだったりして、呆れたものだ。3Dにはふさわしい映画があると考えていたのだ。それは、昔で言う「特撮」分野だ。だから「アバター」のようなSF映画が適しているだろうと勝手に思っていた。

そんなわけだから、人情ドラマである「ALWAYS 三丁目の夕日'64」までもが3Dで上映されていても、わざわざ観る気にはなれず(まあ人目を避けて深夜に行ったからどちらにしても3Dは観られなかったが)、2D版で観たのである。そんな、「人間ドラマには3Dは適さない」という思い込みは、先日の「ヒューゴの不思議な発明」でひっくり返されてしまった。

わざわざ3Dで観ようとも思わなかったのだが、娘が一緒だったし、3Dならそれだけで喜ぶかもしれないと考えて、観たのだ。この映画は特撮モノではなく、人間ドラマだ。3DどころかCGだって、(周りの時代背景以外は)ほとんど出番もなさそうなくらいだ。ところが、これがまた違う。孤児のヒューゴが一人暮らす駅。行き交う人々の雑踏にカメラが踏み入ると、モノの見事に中を実際に歩いているような感覚になる。駅の時計台から見下ろす街中の遠景は当然の迫力だが、駅舎に入ってきたヒューゴの向こう側に広がる外の景色も見事。

さらには人の表情。公安官の顔がドアップになる。セリフはなくても、目の前の顔は実際に相対している感覚。それにラスト近くで舞台にたったベン・キングスレーの、感激を包み隠した表情。平板なスクリーンとはまるで違う雰囲気が伝わってきた。3Dはもはや飛び出す映像でも、特撮専用の技術でもなく、普通の映画の一部になりつつあるのを感じたのである。

ただ難を言えばメガネだろう。私のようにメガネをかけている人間からすると、どうも具合がよくない。もっとしっくりとくるようなモノに改良してもらわないと、いただけない。それに「ヒューゴの不思議な発明」の劇場では、ドアの外で係員が待ち構えていてメガネを回収していたが、まるで隙を見せたら持っていかれるとでも思っているような感じで興ざめだった。

この頃はビックカメラなどに行くと、3Dテレビを販売しているが、あれはどうなのだろう。いずれすべての家庭に行きわたるのだろうとは思うが、まだ買うようなものではない気がする。「ALWAYS 三丁目の夕日'64」でも、カラーテレビを買ったはいいが、まだ白黒放送が多く、せっかくのカラーテレビの持ち味が発揮しきれていない様子が描かれていた。
3Dもまだそうだろう。

日本人の事だから、世界でも真っ先にメガネの問題を解消して、普通に3D映像が楽しめるテレビを作ってくれそうな気がする。今から30年くらいしたら、孫と一緒に3Dのアニメかなんかを自宅のテレビで観ているかもしれない。その時は、ちょうど3D映画が流行り始めた今の時代を懐かしく語っているかもしれない。

いずれにせよ、映画の世界では一足早く映像の改革が始っている。
これからは偏見を持たずに、3D映画を楽しみたいと思うのである・・・

【本日の読書】

日本の未来について話そう -日本再生への提言- - マッキンゼー・アンド・カンパニー  あんぽん 孫正義伝 (小学館文庫) - 佐野眞一





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