2010年5月24日月曜日

義理の祖母の葬儀

大阪に住んでいた義理の祖母が亡くなった。
この週末はその葬儀だった。
私も家族とともに大阪へ行ってきた。

私が結婚した当時は、孫娘のダンナが来たという事で、妻の実家に行くたびに祖母はやって来て一緒に食卓を囲んだ。私と一緒にビールを一缶開けるのが楽しみだという人であった。そんな風に祖母が喜ぶ姿は、血はつながっていなくとも、私にはなんとなく嬉しいものであった。

しかし、ここ何年かは認知症でまともな会話はできなくなっていた。
最後は身内の者でさえ誰だかわからなくなってしまっていた。
晩年の姿を見ていたら、つくづく人間は感情の動物なのだと思わされた。
そこにいるのは同じ人間なのに、あの祖母はそこにはいなかったのだ。

祖母は第1次世界大戦終結の翌年に生まれ、激動この上ない昭和の時代を生きて、3人の子供と6人の孫と12人の曾孫を残した。義母は長女であるが、そのすぐ下の弟とは8歳の年齢差がある。年の割りに子供が少ないのは、私は会うこともなかった義理の祖父が長い期間戦争に行っていたからのようだ。

その祖父はといえば、多数の戦死者を出した有名なインパール作戦の生き残りだったそうである。そんな貴重な体験をした人とは是非話をしたかったと思うのだが、会う事もなく終わってまったく残念である。戦争が終わって帰ってきた祖父に、義母が初めて会ったのは5歳の時だったそうである。その時の光景は今でも義母の脳裏に焼き付いているらしい。時代とはいえ、6年近くも家族とは離れ離れだったわけだ。戦争中は大阪も空襲があったし、幼子を抱えた祖母はかなり不安な日々を過ごしたに違いない。

そんな話を聞くと、話にしか聞く事のできない時代の一組の夫婦のドラマチックな物語を想像してしまう。もっともずっとあとになって、実は祖母には別に想っていた人がいて、その人の事をずっと忘れられずにいたのだという話を聞いた。ちょっと祖父が気の毒な気もするが、人生ってそんなものであり、またそんな人生だからこそ、真実に勝るドラマはないのかもしれない。

認知症になって子供たちのことも孫たちのことも、一時は喜んで迎えた孫娘のダンナの事もわからない世界に行って、そんな祖母の秘められ思い出はどうなってしまったのだろうとふと思う。
「心」と言っても生物学的には脳味噌の活動の結果であり、そこがイカレテしまうともうそれっきりで、死んだらすべてが無に帰してあとには何も残らない。それが現実なのかもしれないが、やっぱり心は肉体とはどこか別のところにあるようにも思える。

そんな思いからたぶん宗教なんかは生まれてきたのだろう。
お経をあげてくれたお坊さんは、「故人は西方の浄土へ帰られました」と語ってくれた。
そう考えると残された者は何となく落ち着くし、だからこそ宗教は長い年月信じられ、受け継がれてきているのかもしれない。もっとも深く考えると、浄土で祖父と誰だか知らない想い人と再会して祖母はどんな顔をしているのだろうかと、想像の幅は広がっていく。

祖母は91年の人生を生きた。
日本人の平均余命からすると、私は人生の折り返し地点を通過している。
残りの人生がどんなものか、老人となった自分はどんな暮らしをしているのか興味は尽きないが、それを決めるのはこれからの自分自身。願わくば最後の瞬間までしっかりと目を見開いて、周りの世界を見つめていたいものだと思うのである・・・


【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「マドンナ」奥田英朗
     
    

0 件のコメント:

コメントを投稿