2010年5月14日金曜日

ただ自分の為でなく

先日、小学校の保護者会での話を妻に聞いた。
長女はこの春から4年生。
クラス替えはなく、そのままの進級である。
そして初回の保護者会では役員決めがあったそうである。
年間を通して保護者にも学校行事を手伝ってもらおうという事で、いろいろな役が決まっている。

そしてこれが毎年揉めるのだそうである。というのもみんなやりたがらないからなのである。不公平を無くすためにも2年間のうち1年やればお役御免と決まっているらしい。妻は昨年役員をやり、今年はお役御免の年。ところが次が決まらない。

みんなあれやこれやとできない理由を言って引き受け手がいない。
「上の子が受験だから」と言い訳をするお母さんには、妻も思わず「あんたも勉強するんかい!」と心の中で突っ込みを入れたそうである。もっとひどいのは「来年やる」と言っていた人が、今年は保護者会に来なかったらしい。欠席者を指名するわけにもいかず、まさに「逃げるが勝ち」のようである。延々と話し合いが続き、ようやく決まったらしいが、長時間にわたる不毛な話し合いの末、妻は厭な気分で帰ってきたらしい。

お母さんたちの気持ちもわからなくもない。何もそんな面倒なこと、好き好んでやりたくもないと言うのだろう。だがなぁと思わず嘆かわしい気持ちになる。自分の子供の通う学校ではないか。役員と言っても月に1回集まる程度の事らしい。そんなに大きな負担になるものでもない。やったらいいじゃないかと思う。

私だったら喜んで引き受けるところだ。
「パパじゃだめなの?」と聞いたら、会合はたいてい平日の昼間だという。
サラリーマンに務まるものでもない。およそ学校の役員となると、みんなそうみたいだから歯がゆい限りである。

考えてみれば我々はこれだけ平和で豊かな社会で暮らしていられるわけである。それを維持していくには当然の事ながら一人ひとりの協力が必要なわけで、そうした努力を惜しんではいけないわけである。みんなが少しずつ負担すれば、各々少ない負担で全体としては大きな負荷のかかる事も可能となる。

子供の学校だってそう。
自分の子供をいい学校に通わせたいと誰でも思うだろう。
それであるならば、その運営のほんの一端に積極的に関わるのは当然の事だ。
労せずおいしいところだけ持っていこうとするのはいかがなものかと思う。
私立ならともかく、公立の『公』の中には自分も含まれているのだという事を忘れてはいけない。

以前幼稚園のお遊戯会を観に行った時の事。
園長先生が挨拶した時、ぺちゃくちゃとおしゃべりするお母さんたちのざわめきで、園長先生の話がほとんど聞き取れなかった事があった。
「自分の子供が、先生が話している時にぺちゃくちゃおしゃべりしていたら、あんたたちは何と言うのだ!」とよっぽど注意しようかと思った。
子供にはあれこれ注意するくせに自分はやらないと言う親も実は多い。

自分の子供が学校で面倒な係、みんなのために働くような事は一切やりたくない、というような子供になったら、それでもいいのだろうか。我が子にはこうなってほしいと思う姿を親なら自ら実践して示さないといけない。権利ばかり主張し、義務や奉仕の精神を放棄する人間にはなってほしくない。そんな事を改めて思うのである・・・


【本日の読書】
「職業“振り込め詐欺”」NHKスペシャル取材班
「珍妃の井戸」浅田 次郎
     
   

0 件のコメント:

コメントを投稿