2010年5月13日木曜日

4年制大学

母校の財団のお手伝いをさせていただいている関係で、母校の情報が時折入ってくる。
ちょっと前にこの春の進学情報をいただいた。
卒業生の78.2%が大学へ進学したようである。
ここである数字に目がとまった。

「短期大学進学3人」

一瞬、えっと思う数字だ。
我々の頃は、女性は短大へ進学する人が多かった。
就職も珍しくなかったし、逆に4年制の大学に進学する人が少なかったようにも記憶している。
それが今では短大進学の方が珍しいようである。
まあ男女同権が進んできているし、「女は早く社会に出て花嫁修業をして結婚するもの」という価値観が確実に過去のものになっている証なのだろう。

さて、そんな時代の4年制大学の実情はどうなのだろう。
私自身、大学に入ってまず閉口したのは、「一般教養課程」だ。
吐くほど勉強して大学に入ったのに、また高校の延長のような授業が、「一般教養課程」として用意されていた。法学部に入って、やる気満々で早く法律の勉強をしたいと思っていたのに、法律の「専門課程」は3年になってからで、2年間もお預けだったのだ(もっとも初歩の法律講座は用意されていたが・・・)。ご丁寧に2年間も「高校のような授業」を受けないといけない事実に愕然としたものだ。「一般教養課程」には語学や自然科学系の授業に加えて、なんと体育まであったのである。

耐えがたい苦痛は英語と体育だった。
金髪の女性講師と楽しいレッスンならまだわかるが、テキストをただ訳すだけの授業は苦痛以外の何ものでもなかった。そんな事、宅浪の時代に毎日嫌になるほどやったのだ。
体育だって、体育会ラグビー部で必要以上に運動するのに、何が悲しくて明らかに運動音痴の同級生と体育しなけりゃならんのだと、憤懣やるかたなかった。

それでも英語の授業は一つ上のラグビー部のK先輩と一緒に受けており、その先輩の奇妙奇天烈な「英文和訳」が面白くて、それが救いだった。
練習の合間に仲間に披露しては楽しんでいたな。
(それにしてもK先輩はよくあれで受験に受かったものだと今でも思う)

第二外国語はロシア語を選択したが、英語以外の言語をきちんと学ぶというのはいい刺激だった。
もうすっかり忘れてしまったが、今でも聞けばロシア語だという事はわかるし、映画なんか観ていても「ロシア語なまりの英語」なんかも聞き分けられるから、それなりに意味はあったのだろう。

体育は定期的に種目を選択する方式だったが、運動しなくて済むという理由だけでアーチェリーを選択した。(3か月単位くらいで選べたのだ)
後にも先にもアーチェリーをしたのはあの時だけだ。
(アーチェリーが体育かどうかはこの際おいておく事にしよう)
何事も経験であるから、あれも良い経験だった。

それに硬式テニスは、いつか女子大生とテニスコートで愛を育もうという夢のためには必要だったし、その夢は果たせなかったものの、社会人になって好きな女性と二人でテニスを楽しんだ時には大いに役立った。やっぱり運動神経とセンスだけではスポーツは覚束ない。あの時基礎を教わったのが生きたのだ。

そう考えてみると「一般教養課程」も無駄ではないのかもしれない。
(どっちなんだと言われそうだ)
まあ人生に無駄な事はないという事で、無理やり結論付けることにしよう。
この春4年制大学に進んだ母校の後輩たちは、どんなキャンパスライフを始めたのだろうか。
それなりに有意義な時間を過ごしてほしいと思うのである・・・


【本日の読書】
「2000社の赤字会社を黒字にした社長のノート」長谷川和廣
「珍妃の井戸」浅田次郎
    

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