2009年11月20日金曜日

官と民

 前回の記事を書いていて、かつて特殊法人に出向していた時の事を思い出した。そこでは民間の各銀行からの出向者(いわゆる「民」)と国税・社会保険庁・警察からの出向者(いわゆる「官」)との混成部隊による組織であった。不良債権関連の調査をやっていたのだが、出向早々に上司となった官の方(国税局査察部ご出身の方だった)から「民間だと1億円回収するのに2億円はかけないでしょう、でもここ(官)はできるんですよ」と言われた。それまでコストに手足を縛られながら走っていた身としては小躍りして喜んだものだ。これで思い切って好きなように仕事ができる、と・・・

 しかしそんな悦びは少しの間しか続かなかった。その使い方がひどかったからだ。まず調査する先を選ぶ基準が「地方に何らかの関連があるか」であった。なぜかと言えば、その地方に「出張に行ける」からだ。だから北海道や沖縄などに関連があったりすると、それだけで調査対象に選ばれるのだ。当然、出張とは「ついでに調査もしてくる官費旅行」に近いものだった。

 半日で済む大阪での調査も、今なら(当時でも)日帰りが当たり前だが、まるまる二日かけるのは当たり前(当然二日間出社しない)。近場でもちょっと離れていれば「直行直帰」は当たり前だった。それに反発して銀行にいる時のペースで仕事していたら、やんわりとたしなめられたものだ。「気楽にやったらどう?」と。その後私が独自に選んだ調査案件は、「人気のない」純東京圏内完結案件ばかりだった。

 グループで調査分担を決める時など、地方の旅行、もとい出張案件は譲ってあげたものだ。それでとても感謝された事もある。私としても行って成果が上がると見込めるなら、人を押しのけてでも行くが、行っても無駄だと思う出張調査などに行きたくなかったのだ。よく会議では、「成果が見込めるかどうかを考えるべきだ」と主張したが、「無駄だとわかっただけでも調査の甲斐があったではないか」という官の理論に跳ね返された。「2億円かかる」わけである。

 そのうち、「官が2億円かけるところを民なら1億、いやそれ未満でできる!」と主張していたものである(もちろんやんわりと、ではあるが・・・)。しかし、そうして日々カッコいい正論を吐き続けられたのも、2年間限定出向という立場の為せるわざであった事は間違いない。ぶつかっても後腐れないから好きな事が言えたのだ。

 それに官の人達には「俺たちは儲けるために仕事しているわけではない」という「一段上の意識」がある。何せ士農工商の歴史ある国だ。利益のために奔走する者を見下す意識が、外には出さなくてもなんとなく雰囲気で感じられたのだ。そうしたモノへの反発に他ならなかったと思う。

 官の人にしても、母体に帰ればそれなりにハードワークが待っているみたいだったし、けっしていい加減な人達ばかりだったわけでもない。出向期間中は何の評価もされなかったらしいので、必然的にそうなったようだった。それに民はやっぱり「コストが嵩めばやらない」が、官は「何が何でもやらないといけない」という事もあるだろう。要は文化の違いなのである。私も官の世界に行っていたら、おそらくそんな一人になっていたのだろう。

 事業仕分けでは「無駄を省く」と息巻いているが、そもそも官の人達には「無駄」という概念がない。すべて「必要」なのだ。そうした論理を理解していないと、「本当の無駄」は削減できない。一人一人の意識が高まらないと借金は益々増え続け、つけはあとで確実に自分たちに回ってくる。それをもっと意識していきたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「金融大狂乱 リーマン・ブラザーズはなぜ暴走したのか」ローレンス・マクドナルド他
「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」田中森一

    

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