2009年11月18日水曜日

事業仕分け雑感

 最近「事業仕分け」が話題を呼んでいる。
景気対策を始めとして、誠に景気の良い大盤振る舞いを約束した民主党としてはその政策の弱みである財源をヒネリ出そうとしているのだろうし、何よりも「無駄を排除します!」と言いたいが為のパフォーマンスなのだろう。それはそれで、やらないよりましだとは思うが、どうにもじれったい気がする。

 それでヒネリ出そうとしている金額は3兆円だというが、予算全体の95兆円からみればわずかだし、何よりも収入の2倍近くを使うという予算の枠組みは変わらない。宣伝効果以外は正直言ってあまりないのではないかという気もする。それに公開されているやり取りを聞いていても、どうにも議論が噛み合わない。

 それもそのはず、削る方と削られる方のそれぞれの拠って立つ根拠が異なるからだ。削られる方は必死になって「必要性」を説く。一方削る方は、「代替可能性(他-例えば民間-でできないか)」か「優先性(他と比べて優先されるべきか)」で考える。だから両者の議論は相容れない。

 「私の話も聞きなさい」とどこかのおばちゃんがヒステリックに叫んでいたが、そもそも根拠が違うのだから議論が成り立たない。「必要性」の話など聞いても仕方ないのだ。削られる方はそれが理解できていない。

 一方削る方ももどかしい。そもそも財政を立て直すなら根本からやり直さないとだめだ。イノベーションの例としてよく語られるが、「馬車を何台繋げても自動車にはならない」のだ。ちまちま「おこずかい」を削ったところで「収入の2倍の支出」という構造を変えない限り意味はない。だから「子供手当てを増やして扶養控除を減らす」というほとんど朝三暮四の政策でお茶を濁す事になる(小さい子がいる家庭はどうやら恩恵があるようだ)。

 もっと大胆に、例えば「今年の予算は前年の90%!」と決めてしまって、あとはその中で官僚に考えてもらうようにしないと解決にはならない(政治家がやってもいいのだが・・・)。日本の官僚は優秀だから、その中で効果的な予算の使い道を考えろとすれば、あれこれとうまくやれると思うのだ(民間にできる事ができないわけはない)。

 そもそも「予算は使うもの」という意識が官の人達にはある。よく巷にも伝わってくるが、「余っているから使ってしまわないといけない」とか、「使わないと必要ないとみなされて翌年からもらえなくなる」というのが実情だ。自分の財布の中のお金だったら絶対そんな使い方はしないだろう(まぁ中にはそうでない人もいるかもしれない・・・)。

 そんな官の人々のエネルギーの向う先を変えればきっとうまく行く、と考えるのは希望的観測であろうか・・・
 いずれにせよ、当の政治家も政治主導と言いながら、官をそして国民をリードしていくほどのリーダーシップに溢れるところを見せてはいない。とんちんかんな亀井さんのような政治家だけが目に付いている。始まったばかりとはいえせっかくの政権交代だし、早く何らかの効果をあげてほしいと思うのである・・・


【本日の読書】
「金融大狂乱 リーマン・ブラザーズはなぜ暴走したのか」ローレンス・マクドナルド他
「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」田中森一
    



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