2015年12月19日土曜日

名前とは

夫婦同姓「合憲」、女性の再婚禁止期間「違憲」 最高裁 
「規定自体に不平等なし」「国会で論ぜられるべき」など言及

夫婦の同姓義務や女性の再婚禁止期間を巡る民法の規定が憲法違反かどうかが争われた2つの訴訟の判決で、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は16日、夫婦別姓を認めない規定は合憲、女性は離婚後6カ月以降でないと再婚できないと定めた規定は違憲との初判断を示した。姓を巡る制度は「国会で議論されるべきだ」と指摘した。
日本経済新聞2015/12/16 16:24
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 以前いた職場でのこと、ふとしたきっかけで、同僚女性の「戸籍上の姓」を知った。
その時、ずっと独身だと思っていたその女性が、実は結婚していて職場では「通称」を使っているのだと軽い驚きをもって知った。
まぁこういうご時世だし、違和感はなかったのであるが、私が社会人になった頃にはありえなかったので、世の中の進歩を感じたものである。

 そんな「通称」では満足できなかったのが、今回の訴訟なのだろう。
個人的には「そこまでする?」という感じだが、そこまでする必要があると言われればそれまでである。我が家はといえば、結婚する時、妻は私の姓になることに、抵抗どころか喜びを感じているように感じられた(もっともそう感じただけかもしれない)。
個人的には夫婦別姓をする必要はないと思っている。
嫌なら籍を入れないという方法だってあるし、それだと「内縁」関係になって、法律上の保護が得られないとなりそうだが、それは遺書なりなんなり工夫でできるような気もする。

 アメリカなどでは両姓を名乗れるようで、その昔ファンだったファラ・フォーセット・メジャーズは、自身のもともとの名前は「ファラ・フォーセット」で、「メジャーズ」は旦那さん(リー・メジャーズ)の姓だった。
日本ではどうだろうかと考えてみるに、例えば「伊藤・佐藤太郎」なんてなったらおかしいし、別姓導入賛成派もたぶんそこまでは望んでいないだろう。

最近は「通称」も普通になってきたし、個人的には構わないような気もするが、結婚はともかく離婚して旧姓に戻った場合、いろいろ煩わしいことがあるようだし(たとえば離婚したのに、結婚して姓が変わったと勘違いされるとか・・・)、一概に「不要」とは言いにくものもある。
さらに「家名が途絶える」ということもある。

「家名」については、「家制度」の名残だろうが、代々続いてきた(その代々も実は怪しかったりするが)家名が途絶えてしまうという気持ちはわからなくもない。
事実、我が家も息子が生まれた時に思ったのが、「これで家名が存続する」だった。
今でも学生時代のラグビー仲間が奥さんの姓になっているし、そういう「家名存続」に対する思いは、我々日本人の根底にあるだろう。

夫婦別姓反対論者の意見として、「子供がかわいそうだ」というのがあった。
「兄弟で姓が違ったらかわいそうだろう」というものだが、それは説得力に乏しい。
というのも、それなら既に過去に大量に例があるからだ。
この夏に亡くなった伯父は、子供の頃、別姓だったという。
次男だった伯父は、どこかの知り合いの家が子供に恵まれず、養子になったというのである。
(その後どういう経緯で元の姓に戻ったのかは知らない)
今更「かわいそう」はないだろう。

夫婦別姓が認められたら、長男は「伊藤太郎」、次男は「佐藤二朗」、その下は「伊藤花子」なんてなるのかもしれない。
だが、一人っ子だったらと想像の翼を広げるときりがない。
夫の姓を名乗らせるならともかく、妻の姓にしたらなんとなく一悶着起こりそうな気がする。

そもそもであるが、今回の訴訟は、「民法の規定は違憲だ」という内容であった。
違憲か否かと問われたのが争点なのだが、そう聞かれれば、「合憲」というのもおかしなことではない。それよりもアプローチを間違えてないかという気がする。
「憲法解釈」で訴えたるよりも、ズバリ法改正を訴えるべきではないかと思うのである。
誰か理解のありそうな女性議員を説得し、「民法改正」というアプローチを目指した方が、正道な気がする。

考えればこの問題きりがない。
ただ、「別にいいんじゃないの今のままで」という私のような意見は、「男の側からの意見」である。それを切実に必要だとする人がいるなら、否定するのも違う気がする。
そもそもこの問題が出てきた背景にあるのは、やはり女性の社会進出だろう。
そうした女性たちが「必要だ」というのであれば、認める方向に持っていくべきなのかもしれない。


「伊藤佐藤太郎」はともかくとして、夫婦が話し合って決めるのであれば、その自由に法律のサポートがあっても良いかもしれないと最後に思う次第である・・・

【今週の読書】
 
       

2015年12月15日火曜日

お酒は20歳になってから?


先週末、いつも世話役として参加している「寺子屋小山台」で、「飲酒年齢引き下げ」の議論があった。選挙年齢については、既に18歳への引き下げが決まっている。それに合わせて飲酒年齢を引き下げることに関する意見を問われたのである。

さて、と改めて考えてみるに、飲酒の問題は選挙権とはなかなか同列に扱いにくいものがある。それは、飲酒にはやはりそれに伴う様々なリスクがあるからである。健康面については、もはや体格的には大人と同じであろうから、特に大人と分けて議論する意味はないだろう。問題は、過度の飲酒によって酩酊した時のリスクだろう。飲酒運転や急性アルコール中毒や、事件事故の類である。

一方20歳となっていることで、大学生になった時、3,4年生が1,2年生と一緒に飲めないという問題があるらしい。「学齢」で分けることのメリットの1つかもしれない。各国の状況はというと、ヨーロッパではドイツ・フランス・スペインの16歳を筆頭に概ね16〜18歳であり、アメリカは州によってではあるが、21歳等様々である。そういう状況を鑑みると、それほどおかしな議論ではない。

そういう意見を聞きながら、我が身を振り返ってみる。大人にビールを飲まされるというよくあるパターンは別として、意識的に子供だけで酒を飲んだのは中学生の時だ。1つ年上の従兄弟に付き合ったのが最初だったのだが、その後高校に入学する前の春休みに、同級生とスキーに行ってビールを飲んだのを覚えている。もっとも味なんてわからなかったが・・・

高校生の時は、何かの打ち上げでクラスで居酒屋に2度ほど行ったことがある。大学に入ると、すぐラグビー部の先輩に飲みに連れて行かれ、飲んで吐いたこともあるし、恒例の納会では先輩に囲まれ吐くまで飲まされた。何のことはない。「飲酒年齢」引き下げの議論に意見を言うなどおこがましい有様である。

さらに、20歳を超えれば「大人として」適切な飲酒ができるかというと、非常に心もとない例が身近にあふれている。飲酒運転で死傷事故を起こすのは論外としても、酔って醜態を晒すくらいなら日常茶飯事だし、自らを振り返ってみても穴を探したくなる例は少なくない。そうなると、20歳までとする理由も心もとないものがある。いい大人ができないものを、「子供だから」と禁止するのは迫力に欠ける事この上ない。

では何歳が良いかとすれば、それはもう「決め事」でしかない。個人的には、「何歳をもって成人とするか」の議論に行きつくと思う。それが18歳なら、飲酒も選挙権も18歳でいいだろうし、「飲酒も選挙権も18歳から」としながら、「でも20歳までは『未成年=子ども』だよ」というのはおかしな気がする。そう考えれば、選挙権の18歳への引き下げは時期尚早だったと思わざるを得ない。

しかしながら、18歳に引き下げたところで、おとなしく守るような男であれば物足りないと思うのも事実。禁止されれば破りたくなるのが人の常。パンドラの箱だって玉手箱だって、禁止されなければ開けなかったかもしれない。多少の失敗を経験しながら、とりあえず「まともな大人」になった自分としては、我が息子にはいろいろ経験してもらいたいと考えている。

父親としては誰しも息子と酒を酌み交わす事を夢見るものだろう。個人的にはそれが18歳だろうが20歳だろうが、あまり気にすることはない。いずれその日は来るのだろうが、今はまだ10歳の息子と今という時を楽しみたい。当面は家庭でのわずかな威厳を保つためにも、息子の前では飲んで乱れることのないようにしたいと思うのである・・・

【本日の読書】  
米陸軍諜報指導官に質問されたら あなたは何も隠せない - ジェームズ・O・パイル, マリアン・カリンチ, 柏倉 美穂 昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー 671) - 半藤 一利 







    

2015年12月10日木曜日

みにくきもの

不動産業界に転職して一年。なんとなく「業界人」になった気もするこの日この頃である。不動産業といってもいろいろあるが、主としているのは「賃貸」と「売買」。だが、知り合いのツテから「仲介」を頼まれることもある。

先日引き受けたのは、「底地の買い取り」。長年借地で暮らしてきた方が、地主さんから底地を買わないかと持ちかけられ、その気になって我々に交渉を依頼してきたのである。しかし、双方が提示した「希望価格」には大きな開きがあり、交渉は物別れに終わった。

問題の土地は、実はある問題があって市場では低い評価しか得られない。今回依頼主が提示した価格より若干高い程度。依頼主が強気なのもそのあたりの事情がある。そして依頼主は隣接して土地を持っており、底地を買うことによってその価値が大きく跳ね上がる。だからどうしても買いたい。

一方、そんな事情を知らない地主は、市場価格ではとても手放す気には慣れないが、それより高い価格なら売っても良いと思っている。「事情」を知ったら、もっと強気の価格を出してくるかもしれない。地主さんの言い値で買っても、依頼主には十分メリットがある。私だったら、地主さんの言い値で買うところだ。

しかし、依頼主はこの底地がいかに市場価値がないものであるかを強調し、低い価格を強烈に主張して交渉が決裂した。「価値のないものを安く買うのは当たり前」という理屈である。確かにそれはその通りだ。だが、その「価値」は相対的なもので、依頼主が考える価値はあくまでも「依頼主にとっての」価値でしかない。相手には「相手の価値」がある。それが理解できなかったのである。

相手には相手の想いがある。例えば私の持っている時計であるが、30年以上前に親父に大学の入学祝いに買ってもらったのこの腕時計、今売ろうとしても多分数百円で売れればいいほうかもしれない。ではそれで売るかといえば、絶対に売らない。たとえ10万円積まれても売らないだろう。市場価値数百円の古い腕時計の、それが私にとっての「価値」である。

地主さんだって、先祖から受け継いだ土地である。市場価値が低いからといって、買い叩かれたくはないだろう。だが、自身の年齢と今では遠方に移ったこともあって、多少の値段なら売ろうと思ったわけで、これは依頼主にとっては思いがけない幸運だったわけである。喜んで言い値で買っていれば、自分も大きなメリットがあったし、地主さんも喜んだだろうし、手数料がもらえた我々も喜んだ。まさに「三方良し」であったわけである。

こういう交渉事は、勝負ではない。買ったも負けたもない。少し相手のことを考えて譲っていれば、みんながハッピーになれたわけである。強欲とは言わないが、自分だけ勝とうとしたところにこの依頼主の失敗があったわけである(もちろん、説得できなかった我々の失敗でもある)。

様々な「価値」の中で、それを取りまとめていく難しさを感じさせられた出来事である・・・

【本日の読書】
最貧困女子 - 鈴木大介 ササる戦略 - 三才ブックス 熱狂宣言 (幻冬舎文庫) - 小松成美









2015年12月6日日曜日

流行語大賞

今年も流行語大賞が発表された。
例年、なんとなくニュースで見ている程度で、特に関心があるというわけではない。ただ、今年のは目に止まり、なんとなく自分の感覚とズレのある言葉があって、それは自分が世間から取り残されているからなのだろうかそれとも、と思ってみたりしたのである。

大賞の一つ「爆買い」は文句ない。今年の世相を表す言葉の一つではないかと思うくらいである。だが、「トリプルスリー」はどうだろう。なんとなくニュースで耳にしていたが、大賞というほどだろうかと疑問に思う。

「アベ政治を許さない」には、産経新聞が噛み付いていた。安倍政権支持派の産経新聞としては、自分たちの主張に反する政治的主張だからなのだろう、選考委員に反安倍の人たちがいるとかなんとか色々と理由を挙げての批判である。また、ネットではその批判に対する批判も目につき、個人的には「どっちもどっち」という気がする。

安保関連法案には個人的には賛成だった。だから産経新聞の主張もわからなくもないが、この論争は間違いなく今年の象徴的な出来事だったし、賛成より反対の声の方が大きかったと思うし、それを象徴する言葉としては、「別にいいんじゃない」と思う。仮に産経新聞の主張する通り、反対派が意図的に選んだとしても、しょせん「悔し紛れの最後っ屁」であるし、いちいち目くじら立てるほどでもあるまいと思う。十分説明ができる範囲内だし、心を広く持てばと思う。

「安心してください、穿いてますよ」は、実は最近知ったばかりである。確かに面白い芸だと思うが、流行語になるほど流行っていたのだろうか。もしそうだとしたら、それを知らなかった自分に危機感を覚える。最近どころか今初めて知った「まいにち、修造!」もしかりである。

そもそもどういう選考方法なのかよくわからない。新聞で取り上げられた件数とか、ネットでの検索ランキングとか、客観的な指標があるのだろうか。それともなんとなくの感覚なのであろうか。よくはわからないが、「現代用語の基礎知識」編集部が関与しているようであり、それはPRと実益も兼ねているのかもしれないが、なかなか面白い試みだと思う。

今年もはや12月。いつもながら月日の経つのは早い。世の中の動きを流行語で振り返るというのも、考えてみたら最初にアイディアを思いついた人はなかなかのセンスだと思う。

さて、個人的にはどうだろう。年の瀬にはじっくりと一年間を振り返って、来年の計画でも立てようかなどと思ってみたりするのである・・・



2015年12月3日木曜日

櫻井よしこの講演を聞く

昨日、東京都宅地建物取引業協会の「創立50周年記念講演」に行ってきた。普通なら、この手の「退屈そうな」講演など見向きもしないのだが、講演者に「櫻井よしこ」の名前を見て、行く気になったのである。

櫻井よしこといえば、保守派の論客。「反安倍」の人たちからみれば、親の仇ぐらいに映る人かもしれない。その言動は、新聞やテレビではおなじみであるが、やっぱりナマで聞いてみたいと思ったのが、最大の理由である。

講演テーマは、「日本よ、のびやかなれ」。肝心の内容はといえば、やはり期待通りの内容であった。まずは聴衆に「世界地図を思い浮かべてくれ」と語りかける。東に(太平洋を挟んで入るが)アメリカ、西に中国。世界経済のNo.1と2に我が国は挟まれている。アメリカがどう動くか、中国がどう動くかに、我が国は影響を受ける。なかなかの出だし。

AIIBにイギリスが真っ先に参加し、欧州が雪崩を打ってそれに続き、人民元が「基軸通貨」になる動きが始まっている。一方アメリカは、2013年9月10日、シリア内戦への参加を否定し、「世界の警察官」としての立場を放棄。こうした変化は、アメリカの専門家によると、日本にとって「元寇以来の歴史的危機」だという。

この日を境に、ロシアはクリミアを獲得し、中国は南沙諸島の埋め立てを加速。世界の非難を物ともせず、中国は未だに埋め立てを行っているが、「南シナ海で起こることは東シナ海でも起こる」とする。ロンドンに人民元の取引センターを設立する動きも進行中で、イギリスは中国に取り込まれつつある。時代は、「パックス・アメリカーナ」から「パックス・シニカ」に向かっているとする。

230万人を擁する中国軍は、30万人の人員削減を発表し、ノー天気な朝日新聞はこれを軍縮の動きと歓迎していたが、もはや不要な陸軍の人員を削減しただけで、軍事費は伸び続けている。陸海空軍、特殊部隊、サイバー部隊の統合運用が発表され、これはアメリカにとっても日本にとっても大きな脅威だという。最後は「憲法改正が必要」と主張し、会場の拍手喝采を浴びていた。

いろいろとニュースだけではわからない話も聞けて、わざわざ参加した甲斐があった。アメリカ=正義、ロシア=悪と必要以上に強調していた感があったが、どう捉えるかは別として、事実は事実だろう。そうした事実を聞けたことは大きかった。

特に「日本だけの価値観」では世界でやっていけないという話は、印象的だ。日本人はとかく「みんな仲良く」という精神で考える。それは非常にいいことだが、世界の国が皆その価値観で応えてくれるという保証はない。ここが大きな問題だろう。アメリカに代わって覇権を取ろうという野心を抱いている中国に対し、胸襟を開いて大丈夫なのかという不安はやっぱりある。だけど、そこまで警戒するのもどうかという気もする。

「裏切られるのを覚悟で信頼する」か「警戒しすぎて真の友情を築けずに終わる」か。その判断は難しい。信用とは、「信じても用心すること」だという。今はこういうスタンスでいるしかないような気がする。アメリカだってエゴの大国だし、日本の純情はご都合によって平気で踏みにじられる。そんな大国の狭間で、我が国も賢く振舞うしかないだろう。

講演時間は50分と冒頭で語っていたが、よどみなくしゃべり続け、違和感なく時間ぴったりで講演を終えたのは、さすがだと感動。今年は、竹中平蔵の講演も聞いたし、こういう講演は得るものが多い。これからも、いろいろな人の講演を聞いてみたいと思ったのである・・・

【本日の読書】
なぜ、スーツは2着目半額のほうがお店は儲かるのか? 価格で見抜く“高くても売れる戦略”“安くても儲かる戦略” - 千賀 秀信 グレートカンパニー - リッチ・カールガード, 野津 智子









2015年11月30日月曜日

転職1年


転職してちょうど1年が経過した。この1年、思うにいろいろあったが、実に楽しく仕事をさせていただいている。メガバンクから社員10人の中小企業に移ってまず感じたのは、「人の数だけ仕事が増える」というパーキンソンの第一法則だ。

メガバンクでは、意思決定のために資料を集め、書類を作成し、何度も手直しした上で決裁に回し、上位者へと順に承認を取りながら、最終決裁者の承認を得る。早くても1日、内容が重ければ数日あるいは1週間以上かかかる意思決定も、中小企業では、資料を持って社長に説明してその場で決まる。このスピード感は、初めは戸惑うくらいであった。

作成する決済書も、私の元の職場ではワードの書体や文字のポイントまで細かくルールがあり、見る人の好みによって表やグラフや「てにをは」の表現や体裁も変わる。役員決裁ともなれば、何度も何度も手直しし、それはそれは立派な書類が出来上がるが、肝となる「判断」はほんの一部で、大半は事務労働だ。この事務労働を大幅にカットできれば、「帰りが遅い」銀行員もみんな定時に帰れるだろう。

転職によって通勤時間は大幅に増えた。何せ毎日山手線を一周している(往復とも内回りで一周している)のであるが、個人的には読書時間が増え、かえって嬉しい気がしている。以前はなかなか年間で100冊読めなかったが、今年は既に114冊を数えている。私にとっては、「痛勤時間」など皆無で、この「読書時間」は短縮したいと思わない。

仕事は楽しくて仕方がないが、それは自ら主体的に考え、提案・実行しているからだろう。なんでもそうであるが、「やらされている」より「自らやる」方がいいのは当たり前のこと。大きな組織では、ボトムアップで組織を動かすのは容易ではない。そのあまりの労力に、たいてい匙を投げるものだが、中小企業であれば簡単に動く。このダイナミズムも魅力だと思う。

銀行では、だいたい50代前半で出向・転籍となるところが多いだろう。役員にでもなれば別であるが、転籍して本体を離れ、そこで第二の人生となるわけである。そのまま銀行で用意してくれた関連会社などの席に座るのも良いが、退職金をもらって外へ飛び出すのも悪くはない。
そう改めて感じている。

サラリーマンであれば、だいたいみんな「自分は仕事ができる」と思っているだろう。実はそれは特定の組織内だけであったりするかもしれないと思っているが、本当にそうなのか、外に出てみればわかる。「俺が出世できないのは、単なる不運だ」と思っている人は、是非飛び出てみるべきだと思う。中小企業の方も「優秀な」人材を欲しているから、ブツブツ文句を言っているくらいならそうすべきである。

さて、2年目に突入となるわけであるが、慣れの怖いところは、「これでいい」と思うところだ。改善点はないか、もう一つ上を目指すにはどうしたら良いか、目線は常に上に維持していきたいところである。

転職して、定年がなくなったのも良かったところだ。ただしそれは、「会社が続く限り」という条件付きである。そして会社が続くかどうかは、自分の頑張りも影響するところ。自分の食い扶持は自分で確保しないといけない。できれば最低でも70歳までは働きたいと思うし、それ以上も働いて年金の心配などしないで済ませたいと思っている。

明日から2年目、そして一年最後の月。気持ちを新たに、楽しく働こうと思うのである・・・

【本日の読書】
御社の寿命 あなたの将来は「目利き力」で決まる! (中公新書ラクレ) - 帝国データバンク情報部, 中村宏之 やってはいけない「実家」の相続 - 天野 隆





2015年11月26日木曜日

三島由紀夫

11月25日は三島由紀夫の命日であった。「三島由紀夫の命日」と言えば、それはすなわち、「三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した日」ということである。

当時(1970年)、私は6歳。多分、日本中がこのニュースで持ちきりだったであろうが、そんな記憶は全くない。なぜ自衛隊だったかというと、それまで体験入隊等し、自身の持論であった「憲法改正」を主張し、自衛隊員に決起を促すためであったという。

三島由紀夫が主張していた「憲法改正」は、
『日本を全的に守る正しい〈健軍の本義〉を規定するためには、憲法9条全部を削除し、その代わり〈日本国軍〉を創立し、憲法に、〈日本国軍隊は、天皇を中心とするわが国体、その歴史、伝統、文化を護持することを本義とし、国際社会の信倚と日本国民の信頼の上に健軍される〉という文言を明記するべきである』とする本格的なもので、安倍総理が進めようとしている「憲法改正」などこの主張に比べたら、可愛いものに思えてしまう。安全保障関連法案で、反対していた人たちが見たら、目を丸くして猛反対するような内容である。

憲法改正は私も賛成であるが、さすがにここまで主張されると腰が引けてしまう。当時と比べれば、自衛隊もだいぶ存在意義を認められるようになってきたし、おそらく「憲法改正には反対だけど自衛隊の存在は認める」という人は多くなっているだろうから、もしかしたら今の世の中を見たら、三島由紀夫ももう少しマイルドな主張に改めたりするかもしれない。

私個人としては、こういう「過激思想」の人というよりも、やはり作家としての三島由紀夫が好きである。今でも本棚には 『仮面の告白』、『美徳のよろめき』、『潮騒』、『金閣寺』、『永すぎた春』そして『豊穣の海』シリーズ4部作が並んでいる。いずれも一時期気に入って読んでいたものである。中でも特に『豊穣の海』4部作は、しびれるような刺激を受け、「これぞ文学」と感動した覚えがある。

4部作の第1巻である『春の雪』は、映画化もされているが、ストーリーといい作中のセリフといい、大正時代の恋愛の奥ゆかしさと相まって、なかなかの感激を受けた。そして最終巻『天人五衰』の衝撃のラストも大きな印象を残してくれた。『天人五衰』の完成は、死の直前だったらしいが、よくぞ書き上げていただいたと思うばかりである。

非常な天才だったようであり、私のような凡人にその思想を理解するのは困難であるが、生きていたら日本文学界にもっと大きな足跡を残していただろうと思うと、つくづく残念に思われてならない。そんなことをつらつらと考えていたら、また『豊穣の海』シリーズを読み返したくなってきた。もう読んでからだいぶ経っているし、そろそろもう一度読み直してみてもいいかなと思う。

私にとっては、その思想云々よりも、自分の子供にも人にも進めたいと思う作家であり、11月25日はつくづく惜しまれる日なのである・・・

【読了済みの三島由紀夫の本】
春の雪 (新潮文庫) - 三島 由紀夫 豊饒の海 第二巻 奔馬 (ほんば) (新潮文庫) - 三島 由紀夫 豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫) - 由紀夫, 三島 豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫) - 由紀夫, 三島 潮騒 (新潮文庫) - 三島 由紀夫仮面の告白 (新潮文庫) - 三島 由紀夫 美徳のよろめき (新潮文庫) - 三島 由紀夫 金閣寺 (新潮文庫) - 三島 由紀夫

【本日の読書】
世界に分断と対立を撒き散らす経済の罠 - ジョセフ・E・スティグリッツ, 峯村利哉 民王 (角川文庫) - 池井戸 潤





2015年11月23日月曜日

世の中の問題について

週末の土曜日は、世話役として参加している寺子屋小山台の講座があった。今回のテーマは、「現代の問題」。あれこれとある中で、しっかり議論しようとすると、とても1時間や2時間で済む話ではない。とはいえ、考えるきっかけとしては、いい内容ではなかったかと思う。

私も普段から問題意識を持つようにしている。ただ実際「考えている」ことと、「他人と議論をする」ということは、また違うものがある。「考える」だけだと、当然ながら反論などない。「自分の考えが常に正しい」わけで、自らの意見と違う意見に触れた時、そこでまた考える方向を変えて考えるという機会に恵まれる。そういう意味では、自分にとっても得るものが大きい良い機会である。

折からパリで大規模なテロがあり、大勢の人が殺された。報復としての空爆も行われており、その戦果(被害?)を目にしてはいないが、多分テロとは無縁の人も巻き添えを食っているかもしれないし、そうするとそれが新たなテロへと繋がるかもしれない。もはや「国家対国家の戦争」は、どこかの国の左の人たちが声高に主張するにもかかわらず、起こりうる可能性は低くなっている。今はむしろ、テロを心配する時代となっている。

テロを起こしたISに対して、その力を削ぐために空爆が行われているわけであるが、なぜ空爆かといえば、それは人的被害(戦死者)を出したくないからに他ならない。十分恵まれた生活を送れる先進国の人間からすると、自分の国を守るためならまだしも、遠く離れた異国の地で命をかけたくはないだろう。昔のようにすぐに地上戦に踏み切らないのはそれが為に他ならず、それが欧米先進国側のアキレス腱だとも言える。とはいえ、テロが収まらなければ地上戦へと進むのかもしれない。

それにしても、もともとISを「反アサド勢力」として武器を与え支援したのは欧米だ。おおよそ歴史を振り返れば、世界中で戦争を起こしてきたのは欧米だ。のんびり鎖国生活を謳歌していた我が国の玄関に土足で入り込んできて、無理やり開国させた上で国家間の争奪戦に参加せざるをえない状況を作ってくれたのもそうだ。現在でも世界の武器輸出は、国連常任理事国が大半を占めている。武器の販売を全て禁止すればさぞかし紛争も減るだろうと思うが、自国の銃規制もまともにできないアメリカには、期待するのも無理だろう。

テロが悪いのは言うまでもない。どんな立派な信条だろうと、人を殺して正当化できるものなどありえない。それを阻止することは必要なことであるが、病気と同じで「治療」よりも「予防」が大事である。他国や他民族を自らの都合のいいようにコントロールしようとすることをやめ、過剰な国益の追求をやめ、もちろん武器を売って儲けようなどと考えず、奪うより分け合う精神で国家間で付き合うようにすれば、紛争など起こらないだろう。まぁ無理な相談であることは百も承知である。

問題は、我が国としてどう行動するかであるが、剥き出しの欲まみれで国益を追求する貪欲な大国の狭間では、なかなか理想的な行動は取れないだろう。ただ、どうしたら良いのかは考えていかなければならない。アベさんがどうこうと言うより、広い視点で我が国の現状を捉えていかないといけないだろう。

考えるきっかけとしては、この寺子屋小山台はいつもいい機会だと思っている。これからも、「いらない」と言われない限り、活動には関わっていきたいと思うのである・・・


2015年11月18日水曜日

東京観光は浅草?

浅草といえば雷門
昨日のこと、仕事の合間を縫って人に会いに浅草へ行った。アポイントの時間に少し余裕があり、お茶を飲むかブラブラするかの選択肢から、「ブラブラ」を取った。

暖かい日差しの中、ウロウロすると、やはり観光地。平日とは思えない賑わい。ほとんどが観光客だと思われたが、一見して外国人が多い。円安効果で来日外国人観光客が増えているとニュースでやっていたが、こういうところに来るとそれを実感する。

今やドンキも進出
目見当では、観光客のおよそ4割くらいが外国人だろうか。そのうち半分くらいが中国人(または台湾人)だと思われた。多いに結構。たくさんお土産を買っていただいて、消費活動を通じて日本経済に貢献していただきたいと思う。

 そんな外国人観光客を見ていて、やはり浅草のような「和テイスト」の残る街は、外国人受けするのだろうかと、ふと思った。もしも海外から来た人に、東京見学を頼まれたら、自分はどこに連れていくだろう。「近代東京」を感じられるところか、それとも浅草のような「和テイスト」溢れる街だろうか。
雰囲気溢れる通りと人力車
 浅草と言っても、ブラブラしていると、吉野家やマクドナルドや日高屋など、どこにでもあるお店もある。観光地とはいえ、そこで日常的に生活したり働いたりしている人はいるわけで、何ら不思議はない。そんなお店は、地元住民専用かと思うと、マクドナルドで食事している白人親子がいたから、それはそれなのであろう。

そこかしこで記念撮影する外国人観光客を見ていると、やはり「和テイスト」が受けているみたいで、浮世絵の書かれた壁の前で写真を撮っていたりする。テキサスに旅行して、テンガロンハットで写真を撮るようなものだろうか。

そうこうしているうちに待ち合わせ時間となってしまい、中心地を離れた。吾妻橋を渡れば、そこでも観光客が写真を撮っている。隅田川とスカイツリーと吾妻橋と、風景としてもいいかもしれない。
売れるのかと心配になるが風景の一角を占める商店
もしもいつか海外から来た人に、東京観光に連れて行ってくれと頼まれたら、浅草がいいかもしれないと感じた。行列ができていたどら焼きにも未練があるし・・・

そんな機会が訪れるかどうかわからないが、もしものために、ストックぐらいあってもいいだろう。その時になって、慌ててガイドブックを見るのではなく、さらりと提案したいと思うのである・・・







【昨日の読書】
世界に分断と対立を撒き散らす経済の罠 - ジョセフ・E・スティグリッツ, 峯村利哉 運は創るもの 私の履歴書 (日本経済新聞出版) - 似鳥昭雄





    

2015年11月11日水曜日

カーシェアリング

カーシェアリングを利用することにした。と言っても、我が家にはプレマシーがある。利用することになったのは、実家である。

教習所の車が左ハンドルだった昭和30年代に免許を手にした父も、とうとう年貢を納めて愛車を廃車にした。もう年齢的にも運転しない方がいいという周囲の声に従ったのである。

しかし、そうすると、母の月一の病院通いに支障をきたすことになった。ただでさえ足元もおぼつかないのに、通勤電車になど乗ったら、本人どころか周りも迷惑だろう。タクシーを利用するように進めても、「もったいない」と言って絶対利用しないだろう。そこで私が送り迎えすることにしたのだが、自宅から実家へ迎えに行って病院へというのもしんどい話なので、実家近くのカーシェアリングを利用することにしたのである。

いざ会員登録して、利用してみると、これがなかなか便利。あらかじめパソコンで利用時間を予約しておく。あとは当日実家の近所の駐車場に行き、利用するだけ。専用カードをかざすと、ドアのロックが解除される。ダッシュボードからキーを抜いて、エンジンをかけるのである。

予約時間の30分前になると、カーナビがその旨教えてくれる。ご丁寧に延長方法までレクチャーしてくれる。ちょっと時間オーバーしそうだったので、カーナビで操作すると、手続きはすぐに終わる。駐車場に戻してキーを元の場所に差し込めば、清算結果もすぐわかる。

車種も(そこの駐車場は)6種類あって、好きなのを選べる。とりあえず、乗り慣れているプレマシー(ただし型はこちらの方が新しい)にしたが、今度は別のにしてみようかという楽しみもある。気がつけば、すべて一人で手続きが完結。誰にも接することがなかった。

レンタカーとの比較優位でいけば、この手軽さと価格だろう。15分206円で、15分単位で利用でき、ガソリンも「満タン返し」する必要がない。レンタカーだと最低6時間(6,000〜8,000円)だから、この設定は嬉しい。保険込みで約4,000円かかったが、値段的にもレンタカーと比べるべくもない。そういえば、子供の友人のあるご家庭では、自家用車はなく、カーシェアリングだと聞いたことがあるが、あまり利用頻度が高くなければ、それでいいという判断もうなずける。

事業採算は、規模がないと厳しいだろうが、「乗りたい時に乗れる」という利便性が確保できれば、駐車場料金の高い都内などでは特に利用が広がるような気がする。我が家でも、当面月一回の母親の通院は続くし、仕事も合わせられるようになったから、私の送迎もそれに合わせて続く。当分、利用することになるだろう。

仕事でたまに利用するレンタカーでは、先日アウディを頼みもしないのに貸してくれた。基本的に「日本車派」の私としては、外車に乗るいい機会だった。次なる希望は、こうしたラインアップだろうか。人間は慣れれば贅沢になるものである。しばらくは、便利に楽しみながら利用しようと思うのである・・・

【本日の読書】
競争しない競争戦略: 消耗戦から脱する3つの選択 - 山田 英夫 贖い - 五十嵐貴久