2025年6月8日日曜日

退職代行は必要か

 退職代行を巡って「ダイヤモンドオンライン」で二つの記事が目についた。一つが肯定的な『退職代行を使う人はどこに行っても通用しない?→ひろゆきの答えがド正論すぎて、ぐうの音もでなかった』であり、もう一つが否定的な『退職代行は使っちゃダメ?→「転職のプロ」による直球解説がド正論すぎて、ぐうの音もでなかった』である。どちらが正しいかという比較は意味がない。どちらもそれなりに正しいと思うからである。ただ、自分だったらどうするかと問われれば、答えははっきりしている。「自分だったら退職代行は使わない」。

 前半はひろゆき氏の意見だが、ひろゆき氏は仕事にやりがいなんて必要ないし、自分の時代はアルバイトなんて「ブッチが当たり前」だったとしている。退職代行を使ってさっさと辞めればいいというもの。後半はキャリアコンサルタントによるもので、退職代行を使うようでは逃げグセがつくし、後々できる社員にはなれないというもの。私はどちらかと言えば後半の方の意見であり、自分でしっかり意思表示して手続きできないような人間はどこに行っても通用しないだろうと思う。

 もちろん、それはあくまで相手が「まとも」な場合であり、そうではなくて心を病んでしまった場合などはこの限りではない。退職代行も有効な離職手段であり、大いに活用すべきだろう。パワハラ被害に遭ったりした場合は、顔を見るのも会社に行くのもトラウマになるというケースもあるだろう。すべての場合を否定するわけではない。それにしても退職代行という商売はなかなかうまいところに目をつけたものだと思う。世の中にだいぶ認知はされてきたし、これはこれで面白いビジネスだと思う。

 息子が就職してもしも退職代行を使って退職したいと相談されたらなんて答えるだろう。まずは退職したいという状況を確認し、相手に問題がなければ当然「自分で直接意思表示して退職手続きを取れ」と伝えるだろう。それがまずは社会人としてのあり方だと思う。お別れの挨拶をきちんと済ますのは基本的なそれだろう。「ブッチ」など間違っても息子にはさせたくない。「ビジネスライク」という言葉があるが、いくらビジネスでも人と人との関係にあっては、しっかりと挨拶から始まり挨拶で終わる人間関係を維持したいところである。

 もともと私は、高校生の時には既に親に小遣いをもらわなくなっていたぐらい自立的・自律的な人間である。自分でやるべきことを他人にお金を払ってやってもらおうという考え方は欠片すらない。退職代行などもしも私の時代にあったとしても利用なんて考えすらしなかっただろう。相手に問題があればまだしも(私などは相手に問題があったとしても)、辞めるという事ぐらいさっさと伝えてしまえばいいだけだろうと思う。鼻くそを掘るくらい簡単な事を代行に頼むなんて想像もできない。

 煩わしい、面倒だという気持ちからなのかもしれないが、そんな無駄金を使うくらいなら、自分で「辞めます」と伝えてその分おいしいものを食べるとか、どこかに行くとか、ちょっと贅沢に趣味に費やすとかの方がよっぽどお金の有効活用になる。自分でできない事なら仕方ないが、できる事なら自分でやってお金は有効活用したい。そんな退職代行なんかに、辞めると言うだけの簡単な事にお金を使うという方が精神的な苦痛は大きい。そんな簡単な事ができないなんて、本当に大丈夫かとそっちの方が心配になる。

 「辞める」と言うだけの簡単な事ができないという事は、ちょっとややこしそうな事はすぐ敬遠したがるという事だろう。それでその後の人生を乗り切っていけるのだろうか。実際にはどんな人なのかわからないが、女性に振られるのが怖いと告白すらできない男のようにも思えてしまう。挨拶はできるのだろうか、わからない事はきちんと聞けるのだろうか、遅刻した時は「すみません」と謝れるのだろうか、人に何かをしてもらった時は「ありがとうございます」と素直に言えるのだろうか。そんな事まで考えてしまう。

 世の中には避けて通りたくなる面倒な事は山ほどある。それをいちいち避けていたら、乗り越える力などつくはずもない。そんなのは次から次へとひと足ふた足で乗り越えてさっさと次へ行くくらいの気概とパワーがないといけない。退職代行を使うのはまだ一部だろうが、そんな若者ばかりになったら日本の未来も暗澹たるものになるように思う。現代的なビジネスではあると思うが、それは一時の隆盛で、いずれ衰退していく方が日本の未来のためには安心であると思うのである・・・


Markus WinklerによるPixabayからの画像

【本日の読書】
 百年の孤独 - G. ガルシア=マルケス, Garc´ia M´arques,Gabriel, 直, 鼓







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