高校の時、将来の進路に悩んだ私は、単純に観た映画の影響で弁護士になろうと志し、大学は法学部を選択した。当時の大学生は入ってしまえばこの世の天下。授業にもろくに出ずに遊ぶのが世の雰囲気であった。しかし、私は両親に授業料を出してもらう以上はきちんと学ばなければとそういう世の風潮に反発し、学生時代は真面目に授業に出席して勉学に励んだ。しかし、3年になってそれまでの一般教養課程から専門課程に入り、ようやく本格的に法律の勉強に入ったが、1年間勉強してわかった事は、「法律は自分には合わない」という愕然とする事実。悩んだ末、弁護士という進路を変更し就職を選んだ。
その変更は今でも1ミリも悔いていない。むしろよくきっぱり切り替えたと思う。ただ、恨めしく思うのは、一般教養課程という大学のカリキュラム。高校の延長のようなつまらない授業で、今でも何の意味があるのか疑問である。1年から専門課程に入れば良いと思う。そうすれば私も2年時には転部などにより他の学部で勉強ができただろうと思う。4年になった時点では、もはや留年してまで転部するという選択肢は親にも負担をかけたくなかったため取れなかった。それはそれでしかたがないが、せっかくの4年間なのであり、4年間専門課程でみっちり学べるようにすればいいのにと今でも思う。
そういう経緯もあって、銀行に就職した私であるが、大学で法律を学んだ経験は、なんとなくあちこちで生きていると感じてきた。銀行員時代は不良債権の担当を長く続けたが、債権回収の現場では法的対応がどうしても視野に入ってくる。当然ながら弁護士と打合せを繰り返す事になるが、その時に大学で法律を学んだ下地というのが生きてきたのである。大学で学んだと言っても司法試験を受験したわけではない。弁護士と比較すれば学生レベルの知識などたかが知れている。だが、知識レベルというものではなく、強いて言えば「言葉がわかる」と言えるのかもしれない。
法律は、(民事の場合)互いに争う原告と被告とが法廷で事情を知らない裁判官に自らの正当性を法律に照らして主張するものである。「実際にどうか」ではなく、「法律に照らしてどうか」である。それゆえに、「実際はこうだ」と主張しても始まらない。「法律に照らしてどうか」を主張しないといけない。このあたり、慣れない人にはわかりにくかったりする。また、弁護士も専門用語で専門的な話し方しかできない人もいて、慣れない人にはわかりにくかったりする。そうした専門バカ(と言っては失礼だが)の弁護士さんの話をスムーズに理解できるという事はしばしばあった。
不動産業へと転職したあとは、大企業の金融証券取引法違反事件に巻き込まれ、横浜地検に事情聴取に呼ばれた事があった。社長や他の同僚と順番に呼ばれたのであるが、聴取の冒頭で「これは任意調査という理解でよろしいか」と検事に念を押した。当然ながら任意調査であり、途中で嫌だと思えば打ち切って帰れるわけである。担当検事は私の出身大学と学部を見て納得したようで、その質問に対しては丁寧に説明してくれた。もちろん、こちらにやましいことなど何もなく、全面協力のスタンスで望んだのであるが、しかしながら住所氏名のほかに学歴や財産状況まで事細かく書かされ、少なからずあまりいい気はしなかったのである。せめて「(拒否できると)わかっていて協力している」と示したかったのである。
極めつけは、前職の退職後、元社長と争った裁判だろう。相手は弁護士を立てて訴えてきたが、私は弁護士に相談しつつも基本的に1人で受けて立った。相談した弁護士には初めから不利だと言われていたし、それは自分でもわかっていたが、それでも終始1人で裁判を続けて最後は不本意ながら和解で終わった。しかし、弁護士費用をかけずに終わらせたので、その点では経済的な損失は最小限にとどめられたと自負している。何とかできるだろうと思ったのも、法律的な論点がそれほど難しいものではなかった事もあるし、法律的な表現にも抵抗感がなかった事もある。訴えるのはさすがに無理だが、受けて立つなら何とかなるものである。
最近ではまた会社対会社の訴訟になっている。今度は訴えた方。上場企業の理不尽にモノ申したわけであるが、こちらも最初から不利と言われている。筋論からいけば圧倒的に我が社の方が世間の同情を得られると思うが、契約上ではさすがに相手もよく身を守っている。当初から和解を想定しましょうと弁護士から提案を受けているが、できるだけ有利な条件で和解に持ち込みたいと考えている。されどやはり情勢は不利。しかし、ここにきて最後の反撃に出る事になった。「契約は口頭でも成立する」のであるが、であれば「契約は口頭でも解消する」のではないかと私が弁護士に投げかけたのである。
弁護士も常に最適な手を打てているとは限らない。あるいは最適解を提案してくれていても、実は2番目の解の方が良かったりすることもある。言われるがままにすべてお任せとしていては、絶対にそういう事はわからない。詳しい事はわからなくても、要所要所で弁護士さんと話をし、相手の主張を説明してもらい、こちらの主張を考える中で思い浮かんだアイディアである。ただ闇雲に考えればいいというものではないが、法学部を出ていたからこそ、そうした対応が取れてきたのだと思う。
「人生に無駄な事があると思えば無駄な事が起こり、無駄な事がないと思えば無駄はない」という言葉がある。その通りだと思う。大学4年の春、進路変更を決断した時、法学部に入って無駄な時間を過ごしてしまったと呆然とした。できれば別の学部に入りなおしてやり直したかった。しかし、振り返ってみると、法律の下地ができた事が今は自分の一つの強みであると思っている。今でも法曹界は私が進むには魅力の乏しい世界だと思っているが、それでも飛んでくる弾から身を守るくらいはできるようになっていると思う。まったくの素人よりもその「ほどほど感」が良いと思う。
そういう意味で、学生時代に学んだ事は無駄ではなかったと改めて思うのである・・・
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succoによるPixabayからの画像 |
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