【原文】
子畏於匡。曰、文王旣沒、文不在茲乎。天之將喪斯文也、後死者、不得與於斯文也。天之未喪斯文也、匡人其如予何。
【読み下し】
子(し)、匡(きょう)に畏(い)す。曰(いわ)く、文王(ぶんおう)既(すで)に没(ぼっ)し、文(ぶん)茲(ここ)に在(あ)らずや。天(てん)の将(まさ)に斯(こ)の文(ぶん)を喪(ほろ)ぼさんとするや、後(こう)死(し)の者(もの)、斯(こ)の文(ぶん)に与(あずか)るを得(え)ざるなり。天(てん)の未(いま)だ斯(こ)の文(ぶん)を喪(ほろ)ぼさざるや、匡(きょう)人(ひと)其(そ)れ予(われ)を如何(いかん)せん。
【訳】
先師が匡で遭難された時いわれた。「文王がなくなられた後、文という言葉の内容をなす古聖の道は、天意によってこの私に継承されているではないか。もしその文をほろぼそうとするのが天意であるならば、なんで、後の世に生れたこの私に、文に親しむ機会が与えられよう。文をほろぼすまいというのが天意であるかぎり、匡の人たちが、いったい私に対して何ができるというのだ」
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この文章だけだと(翻訳の限界かもしれないが)状況がよくわからない。孔子が匡という国で何らかの災難に巻き込まれたのであろうか。それも人災のように思える。風前の灯のような己の状況に対し、自分には天意があるのでむざむざとここで命を絶たれることはないとでも語ったのであろうか。それは自分を鼓舞するための言葉のように思う。自分はいったい何をすべきなのか、それは天命なのか。もしも天命であれば中途半端にやめるわけにも行かない。己の本分を全うするという覚悟も必要になってくる。
会社の役職も上がれば上がるほど似たような覚悟を求められるものではないかと思う。中小企業に転職して以来、どうも中小企業では「役職」に対する意識が弱いと感じている。特に「取締役」というものがどういうものかわかっていない。我が社でも古株の取締役がいたが、本来の役割を理解しないまま、社長と意見対立が続き、その意見は取締役としては如何なものかという事だったので、私ももう1人の取締役からも支持を得る事なく孤立し、今回自ら辞表を出した。本人的にも限界を感じたのだろうと思う。
その取締役は新卒で我が社に入り、エンジニアとしてしかるべき優秀な成績を収め、最終的には取締役に抜擢されるに至ったのである。一般的に取締役に就任するにあたっては、社員として一旦辞表を出して退社する。その時点で退職金ももらう。そして株主総会で信任を得て取締役に就任するのである。役割は「会社の経営」である。株主に選ばれた取締役は、直後の取締役会で代表取締役(すなわち社長)を選任する。自分が選ばれれば社長になるわけで、当然そういう「経営目線」で考えないといけない。
ところが中小企業では人材不足もあって、ある日突然取締役に任命される。本人も役員報酬はそれまでの給与よりも高いし、何より肩書きとしては申し分ないので気軽に引き受けてしまう。任命する方も事務的な手続きに終始し、「取締役とは」という話をするわけでもない。当たり前だが、取締役に任命されたからといって、その瞬間から取締役の仕事ができるわけではない。その立場を十分に自覚し、「これまでとは違う」という意識で「何をなすべきか」を考えないといけない。大企業ではそのあたりは出世の階段を競争を勝ち抜いて上がっていくうちに自然と身につくのだろうが、人材不足の中小企業ではどうしても「明日から取締役、しっかりやれ、以上」で終わってしまう。
自分は天意を受けているという孔子の信念は、何となく思い込みが激しいように思うが、取締役を拝命したのであれば、それがたとえ社員数人の小さな会社であり、会社法で取締役が3人以上いないといけないからやむなく任命されたに過ぎないとしても、同じように自覚を持って任に当たりたいものである。何となく名刺に「取締役」とあると見栄えがいいと思ってそれに安住してはいけない。以前、リゲインのCMで「24時間戦えますか?」というのがあって、それは今の時代に受け入れられないものではあるが、取締役は例外である。
取締役は「経営者」に分類され、従って雇用保険の対象にもならず、辞めても失業保険はもらえない。自分で会社を儲けさせてその働きに相応しい(当然社員の給料より高い)役員報酬をもらい、それで自分の身を守らねばならないのである。「役員にオンとオフはなく、オンとスリープがあるだけ」というのは私の名言(?)であるが、いつ何時でも経営モードに頭が切り替わらないといけない。休日に温泉に浸かっていても、何かあれば瞬時に経営の事を考えないといけない。そういう意味で、「24時間モード」なのである。
件の取締役は、残念ながら(雇われている)社員の意識のまま取締役になり、しかも悲しいかな人材不足で部長も兼務であった(私もそういう兼務ではあるが)。それゆえに就任前後でやる事は変わらず、そんな状況で「取締役としての意識を持て」というのも酷だったのかもしれない。天意を得たというほど大袈裟ではないが、中小企業であっても取締役になる以上、そのくらいの信念と考えはあってしかるべきだと思うのである・・・
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Gerd AltmannによるPixabayからの画像 |
【今週の読書】


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