2024年9月29日日曜日

相手の視点

イェール大学集中講義 思考の穴──わかっていても間違える全人類のための思考法 - アン・ウーキョン, 花塚 恵 先日、『イェール大学集中講義 思考の穴──わかっていても間違える全人類のための思考法』という本を読んだ。著者はイェール大学の心理学の教授。もともと心理学には興味を持っており、この手の本は迷わず読むのであるが、人間の持っている様々なバイアスに焦点を当て、よくある人間の行動を理論的に解説してくれるなかなか面白い本であった。自分のことを平均より上だと思ってしまう「流暢性効果」とか、自分が正しいと思う証拠ばかり集めてしまう「確証バイアス」など、「なるほど」と思ってしまうものばかりであった。

 その中でも私の目を引いたのが、「自己中心性バイアス」というもの。これは自分の持っている情報で考えてしまうというもので、人は全然相手の視点から考えないというものである。読んで真っ先に頭に浮かんだのは母親である。毎週末に実家に通って年老いた母の衰えた家事を手伝っているのだが、同時によく話も聞くようにしている。最近、繰り返し話すのは(年寄りの常で同じ話を何度もするのである)義妹の「許せない態度」である。弟の誘いで弟の家に行ったそうであるが、看護師をしている義妹は夜勤明けとかで寝ていて顔を出さなかったというのである。

 それは母の常識ではあり得ないことで、「義母がわざわざ来ているのに寝ているというのは何事か」と言うのである。それだけを聞くとその通りだと思うが、それこそまさに一面的な見方だと私は思うのである。夜勤明けで帰宅したら寝たいと思うのは普通の事。もしかしたらその次の夜も夜勤のシフトが入っていたのかもしれない。そうなれば睡眠を確保するというのは当然であり、むしろそういう時には誰にも来てほしくないと思うだろう。弟が夫婦でどんな会話をしたのかは知らない。弟は自分の都合で考えるから、「それなら寝ていていい」と言って強引に母を連れて行ったのかもしれない。

 義妹もそれならと寝ていたのかもしれない。そんな状況を想像すれば、私なら寝ていて顔を出さなくても気にしないし、むしろそんな時に訪問してしまった事を後でLINEでもして謝るかもしれない。しかし、母は自分の常識で義妹の態度を批判する。おそらく近所でも吹聴しているかもしれない。我が母であるが、私の妻とは嫁姑の冷戦を通り越してすでに「国交断絶状態」であり、義妹との関係もいいとは言えないだろう。その原因は明らかであり、もしも私だったら2人の息子の嫁と仲の良い嫁姑になっていただろう。それはこの本で言う「相手の視点から考える」という一言に尽きると思う。

 以前からもそういう事はしばしばあった。私は子供の頃、母親から「相手の気持ちになって考えなさい」と叱られた事を覚えている。「そんなのわかるわけがない」と子供の私は反論していたが、わからなくても想像はできる。そして私を叱った母は、そんな事はすっかり忘れて相手の気持ちなどまったく斟酌しない。嫁姑の争いは女の不寛容のなせる技であると思うが、その不寛容は「自己中心性バイアス」の賜物なのだろろうと思う。「相手には相手の都合がある、考えがある」と想像する事で、自分の感情を害することなく寛容になれる。もう年老いた母には無理であるが、自分はそういう寛容の精神を身につけたいと思う。

 考えてみれば、みんながみんな「自己中心性バイアス」から抜け出し、寛容の精神を身につけたなら、嫁姑の争いを始めとしてこの世からかなりの争いは無くなるのではないかと思う。しかしながら、妻を見ているとそう簡単にはいかないのだろうなと思わざるを得ない。わかってはいても、手も足も出ない。考えれば考えるほどそんなもどかしさを改めて感じざるを得ない。つくづく、難しいものだと思うのである・・・

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【本日の読書】
言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書) - 今井むつみ, 秋田喜美  逆説の日本史: 大正混迷編 南北朝正閏論とシーメンス事件の謎 (28) - 井沢 元彦




2024年9月27日金曜日

女性の美

 その昔、3㎏も痩せるほど恋煩いをした経験がある。誰にでもある経験かもしれないが、相手の女性の事を思うと胸が焦がれ、食事も仕事も手につかない状況であった。そんな中にあって、私の中のもう一人の冷静な自分が問うてきた。「果たしてお前は彼女のどこがそんなにいいのだ」と。顔か体か性格か。またはそのすべてか。顔は確かに美人であった。体型は標準、性格は穏やかで優しい。そしてさらに問われた。「顔が変わっても思いは変わらないか?」。「体型は?」「性格は?」。いろいろと考えてみて、やっぱり「トータルだろう」とその時は思ったのである。

 最近、二つの恋愛映画を観た。『君への誓い』と『ビューティー・インサイド』である。『君への誓い』は実話を基にした映画で、事故で夫の記憶を失ってしまった新婚女性の話であり、『ビューティー・インサイド』は毎朝起きるたびに外見が別人に代わってしまう男のファンタジーロマンスである。いつもそうだが、映画を観るたびに自分と重ね合わせて観るのが私の常である。この時もこの2本の映画を観ながら自分に置き換えていた。果たして自分は相手の記憶を失っても、もう一度同じように相手に恋をするだろうか、相手の外見が変わっても同じように好きになるだろうかと。

 恋煩いをするほど恋した女性については、たとえ記憶を失っても何度でも好きになっただろう。それは外見も性格も私の好みに適していたからであり、どういうタイミングで出会っても同じように恋に落ちていただろうと思う。映画では現在の夫の記憶がないのに結婚前に付き合っていた男の記憶は残っていた。しかも別れた記憶はない。こういうパターンはなかなか危ない。どちらも自分が惹かれる要素を持っているわけであり、映画のストーリーもその点で波乱がある。まぁ、私など記憶があってもかつての思いは残っており、きっかけがあれば簡単に再燃すると思うが・・・

 それよりも「外見が変わっても同じように相手を愛せるか」というのはどうだろうかと思う。私も先の彼女が映画みたいにおじさんの姿で現れたらどうするだろう。最初は戸惑うだろうが、中身が彼女だと確信できたなら外見に関わらず同じように接するだろうと思う。彼女の穏やかな性格がそのままなのであれば話をしていても楽しいだろう。さすがに手をつないで歩くのは世間体もあって憚られるが、ずっと一緒にいて話をしていたいと思うに違いない。そう考えれば、外見だけで惹かれていたわけではないと改めて思う。

 しかし、では中身だけが大事で外見はどうでもいいのかと言うと、どうだろうか。映画のようにおじさんとなれば別であるが、女性であればたぶん気にならないと思う。ただ、最初は外見から入ったのは事実であり、初めから違う外見であれば惹かれるまで接することはなかったかもしれない。たとえば同じ職場で毎日顔を合わせ、意識せずとも話をしていくうちにだんだん中身に惹かれていくというのならあると思うが、そうでなければ中身に気付くところまでは行かないかもしれない。そういう意味では、外見も大事である。

 逆に外見に惹かれても、話していくうちにこれは違うというパターンもかなりある。百田尚樹の小説『モンスター』は、絶世の不美人である主人公が整形手術によって超美人に変わる話であった。中身は同じなのに周囲の対応が180度変わる。小説とは言え、実際も「美人は得」なのは事実だろう。ただ、恋愛対象となると、「それだけでは」と私は思う。やはり「愛とは、お互いに見つめ合うことではなく、一緒に同じ方向を見つめることである」(サン=テグジュペリ)であり、同じ方向を見つめる中身も重要であろうと思う。

 若い頃と現在とでは私自身の考え方も変化してきているところがある。人生経験を積んできて、結婚して「現実」に気付き、そういう経験を経て今の考え方に至っている。人間は年を取る。美しい女性も老いれば美しさを失う。しかし、人間の中身は変わらない。逆に言えば中身の美しさが外に現れてくると言えるのかもしれない。彼女もそういう意味で今も美しいと思う。映画のようにハッピーエンドにはならなかったが、自分も益々内面に磨きをかけたいと思うのである・・・

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【本日の読書】
言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書) - 今井むつみ, 秋田喜美 逆説の日本史: 大正混迷編 南北朝正閏論とシーメンス事件の謎 (28) - 井沢 元彦




 

2024年9月23日月曜日

論語雑感 泰伯第八 (その8)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子曰、興於詩、立於禮、成於樂。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、詩(し)に興(おこ)り、礼(れい)に立(た)ち、楽(がく)に成(な)る。
【訳】
先師がいわれた。「詩によって情意を刺戟し、礼によって行動に基準を与え、楽によって生活を完成する。これが修徳の道程だ」
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 何となく本を読むのが好きになり、大学の学部選択の候補として文学部を考えるようになったのは高校生の時。最終的に将来的なことも考えて法学部を選択したが、今もう一度大学に入り直すとすれば、今度こそ文学部を選ぶと思う。それはさておき、そんな高校時代に文学から入った流れとして「詩」にも興味を持った。ヴェルレーヌとかリストとかの詩集を借りてきて読んだがピンとこなく、翻訳の問題かと日本の詩人に挑戦しかけたが頓挫してしまった。それでも今なら中原中也あたりからならいけそうな気もするが、もう少し機が熟すのを待とうと思う。

 詩にはあまり心を動かされなかったが、その代わりに俳句とかは好きな部類に入った。松尾芭蕉の『奥の細道』はいくつか心に残るものがあったし(「行春や鳥啼魚の目は泪」なんてすごいと思う)、与謝野晶子も心打ち震わされるもの(「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」)がある。親鸞聖人(「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」)は人生訓としても良いと思うし、俳句には詩よりも遥かにとっつきやすさがある。私の場合、詩よりも俳句の方に情意を刺激されるところがあると言える。

 音楽はもっぱら聴く方が専門で、小学校で奏でる方は早々に諦めた。「才能がない」という言い方は好きではないが、奏でる方に興味を見出せなかったのは確かである。興味は才能に深く結びつくものだと思っているので、そういう意味では才能がなかったのだろう。その代わりクラシックに抵抗感がなくなったというのはあったと思う。父親が映画音楽が好きで、家にもレコードがあった。そういう環境だと歌謡曲よりも歌詞のない音楽に自然と興味が行き、小学校で聴いたクラシックに自然と惹かれたというわけである。

 今は音楽に関しては、特定のアーティストの曲を聴くというよりも、ランダムに聴いている。ポップスもロックもクラシックも映画音楽も邦楽、洋楽取り混ぜて聴いている。聴かないのはジャズくらいかもしれない。それとラップはどうしても好きになれない。聴くのは車の中か自宅のPCか家の雑草取りの時にスマホで聴くくらいだが、いずれもBGMにしているのが大半である。「何かをしながら」というのは、時間に追われて余裕のなかった頃の名残なのかもしれない。

 詩(私の場合は俳句)や音楽が生活に潤いを与えるというのは確かだろう。人間は感情の動物であり、二つともその感情を揺さぶるものである。孔子の時代には広まっていなかったのかもしれないが、絵画もこれに加えられると思う。それに演劇関係も同様である。一般に芸術は一見、なくても困らなそうであるが(それがなくても生きてはいける)、しかしそれがあるからこそ生活の質が高まると言える。そういう意味では、芸術は人類進歩の証の最たるものかもしれない。

 これに行動基準としての礼が加われば生活が完成するというのも間違いはないだろう。人間はただ食べ物を漁って生きていくのではなく、人間生活の中で規律を守り、芸術によって豊かな精神生活を送る。それが動物と人間の違いであろう。であれば、それをより高めていく必要があると思う。映画やドラマや小説なども含めた芸術で心を豊かにし、日々正しく行動すればより豊かに暮らせることになる。孔子の言うところはもっともであり、それは現代でも変わらない。

 孔子の言葉は人間が動物と根本的に異なることを言い当てている言葉ということになる。あらためてそんな意識をもって日々の生活を楽しみたいと思うのである・・・


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【本日の読書】
イェール大学集中講義 思考の穴──わかっていても間違える全人類のための思考法 - アン・ウーキョン, 花塚 恵  おいち不思議がたり (PHP文芸文庫) - あさの あつこ




2024年9月19日木曜日

Uber Eats(ウーバーイーツ)はもう使わない

 先日、法事を終えて実家に帰りついた時、夕食の支度をする気力はなかったので、夕食は出前を取ることにした。実家では何度かUber Eats(ウーバーイーツ)を利用している。これまでは特に問題もなく便利に使っていた。価格が高いのが玉に傷ではあるが、配達してくれる利便性を考えれば致し方なしと考えている。注文してから配達員が受け取りに向かい、配達の過程がリアルタイムで表示されるので誠に具合がいい。配達員の位置がリアルタイムでわかるので、「いつ来るか」と待っている普通の出前と比べればそれに合わせて行動できるのがいいと思う。

 しかし、今回はハプニングがあった。配達を頼んだのだが、気がつくと遅くともこの時間までには配達するという時間が近づいている。スマホでアプリを確認したところ、なんと「キャンセル」と表示されている。よく見てみると、配達員が近くまで来てスマホに電話をくれたらしいのであるが、マナーモードにしていた関係で気がつかず(しかも疲れてうたた寝をしていた)、「電話に応答がなく、10分待機したが連絡がない」との事でキャンセルされてしまっていたのである。やむなくもう一度オーダーし、今度は無事に届いて両親とともにいただいた。

 さて、その後クレジットカード会社から利用通知が届いたのだが、それがなんと2件表示されている。最初にオーダーし、キャンセルされたものと2回目のオーダーである。てっきり一旦請求が成立し、あとで取り消されるのだろうとその時は思った。しかしながら、なんとなく気になってよく調べてみたらキャンセルされた注文の請求は取り消されないとの事。すなわちそれは注文者である私の丸損という事のようである。悪いのは電話に出なかった私という事らしい。

 ちなみに、私も何もしなかったわけではなく、着信に気づいてすぐ電話したがもう繋がらなかったのである。調べてみたら着信より15分経過していた。5分ならまだ配達員も近くにいただろう。このシステムは、「イタズラ注文」を防ぐには有効だろう。オーダーとともに決済が行われる。店は商品を渡せばそれでお役御免。配達員も近くまで行って電話をすればお役御免。すべては注文者の責任で、商品を積極的に受け取らないといけないというわけである。注文をしたらじっとスマホと睨めっこか、スマホ片手に電話がかかってくるのを待っていないといけないらしい。

 調べるのも、あれこれとアプリ内を探し回らなければならなかった。電話で事情を聞いてくれるシステムにはなっていない。すべては利用者の自己責任という事なのだろう。そんな状況に何となく英語の諺が頭に浮かんだ。                                                                              “a friend in need is a friend indeed”。                                                                      困った時の友こそ真の友。困った時にきちんと対応してくれるところが真に信用に足りるサービス。5分の違いで料金だけしっかり取られるサービスなどもう2度と利用したくないと思う。ちなみに自宅ではいつも出前となると駅前の中華に昔ながらの出前を頼んでいる。料金は店で頼むのと同じだし、現金と引き換えで確実である。

 駅前の中華は確実だが、うどんは食べられない。最新の配達サービスはなんといっても選択肢がとてつもなく多いのは魅力。出前のニーズは今後もあり続けるだろう。実家で利用する場合はどうしようか。かくなる上は、もう一つ利用実績のある出前館にしようと思う。ここは配達員が自社社員だと聞いている。自社社員であれば、たとえ注文者が電話に出なくても何とか届けようとしてくれそうな気がする。何より自社の看板を背負っているので、そういう対応が期待できる。

 今回も、利用前によく調べれば良かった。出前館ではキャンセルポリシーもしっかりとわかりやすいところに表示されている。やはりサービスはメイド・イン・ジャパンなのだろう。安易に外国のサービスに飛びついたところに反省点がある。考えてみれば、受け取らなくても届けたとみなされるなら、受け取るまで届けようというモチベーションも湧かないだろう。誰でも安易に配達員になれるシステムは、便利である反面、無責任でもある。3人で9,000円のうどんは、いい経験になったと諦めるしかない。今後は出前館にしようと思うのである・・・


【本日の読書】

イェール大学集中講義 思考の穴──わかっていても間違える全人類のための思考法 - アン・ウーキョン, 花塚 恵  汝、星のごとく - 凪良ゆう





2024年9月16日月曜日

伯父の一周忌

 伯父の一周忌の法要に不死身の父の実家を訪れた。伯父が亡くなってはや一年である。中央道の渋滞に巻き込まれ、法要には出席できず、墓参りから参加。長年、先祖代々の墓にはこれといった墓石がなかったが、とうとう従兄弟が建てたので、そのお披露目も兼ねてである。伯父の墓以外にも曽祖父や祖父母などの墓石も一つ一つ作られていて、なぜよくあるように一つの大きな墓石にしないのだろうかと思ったが、考えてみれば30年前の祖父は土葬だったので、遺骨を簡単に移せないという事情もあるのだろうと考えた。

 法事には兄弟とその家族が参加した。次男の父と家族4人、三男の娘夫婦、四男、長女と娘、次女と息子。葬儀とは違って身内だけ、しかもその一部。それも仕方あるまい。さすがに葬儀とは個人との最後のお別れであり、万難を排して参加するものだろうが、一周忌はそれほどではない。そして三回忌は故人の家族だけで行うと早くも宣言された。皆の負担を考慮したのであろう。父も四男も1人では参加できないし、三男は認知症で施設に入っている状況ではそれも仕方ないのだろう。

 みんなでささゃかに食事をして法事はお開きとなった。今さらながらであるが、日本の死者に対する慣例は仏事に即している。葬儀も宗派のお坊さんが来てお経を上げ、戒名をもらい、葬儀と同時に初七日の法要を行う。そして四十九日、一周忌、三回忌、七回忌と続く。死者を手厚く悼むという事では宗教儀式としての仏教は密接な存在であるが、今や忙しくなり、しかも高齢となった現代人は、葬儀と共に初七日の法要を行い、一周忌までしかやらないというのもやむを得ないのかもしれない。伯父の三十三回忌など、自分が生きているのも怪しいから仕方ないと言える。

 この機会にと、いとこ3人とLINEを交換した。今後何か必要があるかもしれないと考えたのである。するとそれを機に、ライングループ「いとこ会」が6人で立ち上がった。父方のいとこは確か8人であり、6/8の参加率はなかなかかもしれない。これに対し、母方のいとこ会もあるが、こちらは7/13である。今さらながら、昔は兄弟が多かったのでいとこの数も多い。我が子など、従兄弟は2人しかいない。それも元々交流が薄くてほとんど会う事もない。なんとなく可哀想な気もする。

 母方のいとことは、子供の頃から一緒に遊んでいるので今でも仲が良い。それに対し、父方のいとこは昨年、数十年ぶりに会うという有様だった。やはり子供は母親と行動を共にするし、母と娘は仲が良いからどうしても交流は母方の方が多い。我が家も例外に漏れず、子供たちは私の両親とは年に1〜2回会う程度である。妻の実家との接触頻度とはだいぶ差がある(しかし、義妹に子はなく従兄弟がいない)。子供たちがいとこ会を作ることはないような気がする。いとこの交流を促したのは伯父の残した遺産かもしれない。

 食事会が終わって父の実家に顔を出した時、父はおもむろにひとり散歩に出かけた。しばらく帰ってこなかったが、カメラ片手に付近を散策したらしい。父は今でも「富士見に住みたい」と言う。現実的にはもう車に乗れないし、家事もおぼつかない母と2人で富士見に住むのは無理がある。息子に甲斐性があって、お手伝いさんでも雇えればいいが、そうもいかない。残念であるが、諦めてもらうしかない。それにしても、87年の人生で15年しか住んでいない故郷が70年以上暮らしている東京よりもいいと言うのが故郷の意味なのだろうか。

 中央道は関越道に比べて渋滞が酷である。父をなるべく故郷に連れて行きたいと思うが、どうしてもそれが心のネックになる。そんなネックはあるものの、いとこ会も立ち上がったし、葬儀以外で共通の祖父母を持つもの同士、たまに集まるのも良いかもしれない。これからそんないとこ会の音頭取りをしてみようかと思うのである・・・


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【今週の読書】
戦争と経済 舞台裏から読み解く戦いの歴史 - 小野圭司  汝、星のごとく - 凪良ゆう





2024年9月11日水曜日

差別について

 差別はなぜ生まれるのだろうかと、ふと考えた。世の中には人種差別や部落差別など様々な差別がある。「その人がどういう人か」に関係なく、ただその人が差別対象に入っているからという理由で差別するのは誠に理不尽である。アメリカの人種差別については、映画化されたり、ドキュメンタリーで放映されている事もあって実態がかなり知られているが、知られている限りでも酷いものである。肌の色が明確に違うから差別しやすいということもあるのだろうが、白人が自分たちこそ最高だという思い上がりの現れであると思う。

 見た目が変わらなくとも差別は存在する。アメリカではかつてイタリア移民が差別されていたらしいし、ヨーロッパではユダヤ人が差別されてきたのも有名である。どちらも我々日本人から見ると同じ白人であるから見た目ではわからない。また、単一民族に近い我々日本人でも部落差別や朝鮮人差別というものがある。見た目で異質なものを排除するというのは何となく理解できるが、そうでないものを差別するのはどういうわけなのであろうか。私には幸いにしてそういう差別感覚がないのでよくわからない。

 私が差別について意識した最初のものは小学校の頃の朝鮮人差別であろうか。当時、朝鮮人を「チョン」と呼んでいた。私は友人たちから聞くまでまったくその存在を知らなかったので、印象深く残っている。ただ、差別と言っても「朝鮮人は凶暴」という内容で、「喧嘩をしたらまずい」というようなものであった。差別というより恐れであろうか。わけもわからない小学生のガキの話であるが、「チョン」という言葉に差別の色合いを強く感じる。幸い、私が朝鮮人から何かされるという事も、遭遇することもなかった。

 次に記憶にあるのは部落差別である。就職した銀行が関西系の銀行で、最初の研修の時に「同和問題」として部落差別はいけないという内容の話を聞かされた。部落差別については歴史の教科書にも出ていたので、いったいいつの時代の話なのかと訝しく思った。東京生まれの東京育ちのシティーボーイであった私にとって、部落差別などは歴史の教科書の中の話に過ぎなかったのである。ところがそれが現代でも注意しないといけない話だと知ってそちらの方に衝撃を受けたのである。大阪というところはそんなに前近代的な地域なのだろうかと。

 実はそれ以前にも、長野県の御代田に住む伯母から部落差別の話を聞いた事があり、田舎の方にはまだ残っているかもしれないという程度の認識はあったのであるが、大阪という都市で、都市銀行に勤めていて業務上の注意として意識しないといけない話だとは思えなかったのである。もともと差別意識などなかったが、どこで見分けるのだろう(何せ見た目ではわからない)とか、どうすればいいのだろうとか思ったが、結局、「意識などしなければいい」という結論に落ち着いた。もともと知らなかったのだし、知らないままでいればいいのだと思うに至ったのである。研修など寝た子を起こすようなものだと思ったものである。

 しかし、その後関西人の妻と結婚し、義理の祖母と話をした時に、「差別されるには差別されるだけの理由がある」という話を聞かされて驚いた。大阪には部落地域が散在しているようで、市民の間にはそういう意識が根付いているのだとわかった。関東人には無用でも関西人には必要な研修だったのだろう。ただ、出身地で分ける事も出来ないから全員一律の研修となったのだろう。私も関西に生まれていたらそういう空気に染まっていたのだろうと思う。部落差別など希薄化していた東京に生まれ育ったのが幸運だったのだろう。

 そう言えば、母に聞いた話だが、父との結婚の話が出た時、当時長野県の望月に住んでいた祖父が、父の実家をわざわざ訪ねて行ったそうである。父の実家は同じ長野県の富士見にあり、60kmほど離れている。当時は交通手段もろくになく、原付バイクで行ったそうであるが、どうやらそれは挨拶というよりも、「部落」ではないかを確認しに行ったらしい。父親とすれば、娘を嫁がせる相手の氏素性を確かめたかったのだろう。もしも「部落」だったら反対していたのだろうが、考えてみれば部落の人たちはそういう差別を受けてきたのだろうし、気の毒な事ではある。

 私はもともと理不尽な事が嫌いであり、部落差別のような理不尽な差別を受けたら我慢がならなかったろうと思う。人間がなぜ差別をするのかと言えば、人間にはもともと異質なものを排除したいという気持ちがあるからなのだろう。それは肌の色というわかりやすい違いがあれば簡単であるが、一見してもわからないものの中にも違いを見つけるのだろう。それを防ぐとしたら、「寛容」の精神しかないように思う。肌の色が違おうと、人とは違うものがあろうと、それでも相手を認める「寛容」の精神があれば、差別はなくなるように思う。逆にそれがなければ、研修をしたぐらいではなくならないのではないかと思う。

 最近ではLGBTという異質も世の中でスポットライトを浴びている。実はその昔、私は同性愛や「体は男だが心は女」という人種には虫唾が走ったものであるが、今は何とも感じない。ただ、それは「寛容」というよりも「無関心」という方が正しいだろう。「人は人であり、他人がどういう趣味を持とうがどうでもいい」という感覚で、あまり褒められたものではないかもしれない。それでも差別よりはマシだろうとは思う。自分に他人を差別する気持ちがないのは幸いである。たとえそれが無関心の結果でもいいじゃないかと思う。

 世の中に必要なのは「寛容」の精神であるとつくづく思う。それがあれば世の中の人と人との対立も差別もほとんどがなくなるように思う。だが、なくならないって事はそれだけ難しいのだろう。自分が世の中を良くできるとは思わないが、せめて自分はより寛容の精神を身につけていきたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

戦争と経済 舞台裏から読み解く戦いの歴史 - 小野圭司  汝、星のごとく - 凪良ゆう






2024年9月8日日曜日

男女共学

 先日の日経新聞に面白い記事が出ていた。戦前、学校は基本的に男女別学だったが、戦後のGHQによる改革で旧制中学や高等女学校の男女共学への転換が進められたという。しかし、地方によって進捗はまばらで、その後共学化が進むも、現在でもまだ全国で公立高校の42校が男女別学なのだという。その中でも埼玉県には12校が残っているらしい。そう言えば大学時代のラグビー部の同期は県立浦和高校の出身だったが、同校は男子校である。

 私は都立高校を卒業したが、もちろん男女共学である。第一希望は地元の都立高校で、滑り止めに私立を受けたが、当時都内の私立高校はほとんどが別学であった。私はもともと親への負担を考えて公立高校を志望したが、それだけが理由ではなく、共学へ通いたいという思いもそれに加わっていたのである。念願かなって無事、第一志望の都立高校に合格したからよかったものの、不合格で滑り止めの私立に行っていたら男子校だったわけであり、そうなっていたら、親に申し訳ないという思い以上に残念だっただろうと思う。

 記事にも書いてあったが、男女共学化に対しては、OBを中心に根強い反対論があるらしい。高校時代、私立高(つまり男子校)に進んだ友人が、男子校はいいという話を力説していた。私は聞き流していたが、男子校には男子校の良さがあるというのが、たいがいの男子校出身者の主張である。それを否定するつもりはない。もともと高校時代というのはただでさえ楽しい時期である。男女別学だろうが共学だろうがそれは変わらないだろう。男子校出身者の主張に反論するつもりはまったくない。ただ、私自身は共学派であるというだけである。

 そもそもであるが、なぜ男女別学だったのかと言えば、それは「男女七歳にして席を同じゅうせず」という伝統だろう。男女の間にはどうしても性的な関係が絡む。自由な恋愛が御法度だった時代には余計な騒動を回避するという意味では、意味のある事だったと思う。しかし、現代ではもう男女を分ける意味合いというのはなくなってきている。共学であれば「恋愛にうつつを抜かして勉強に身が入らない」という考えがあるのかもしれないが、別学にすれば解決するという問題でもない。

 私は絶対共学派だったし、都立高校に入って過ごした3年間、やはり共学で良かったと思う。初めて彼女もできたし、彼女でなくてもマネージャーやクラスメイトなどに女の子がいるのはやはり違う。卒業してもクラス会で女性がいるのは華があるし、今に至っても女友達は男友達とはまた違う良さがある。ラグビーの試合も女子マネがいるとそれだけで気分が違う。試合が始まれば意識から抜けてしまうが、その前後の気分は違う。自分だけを観ているなどと自惚れるわけではないが、「目を意識する」のは確かである。やっぱり自分は男なのである。

 大学は女性比率が低く、法学部のゼミは男だけであった。なんとなく男子校の雰囲気は味わえたが、やはり女子が参加していると気分が違う。男子校の良さを訴える声を否定するわけではないが、共学の良さを知っても尚それを主張できるだろうかという気はする。今年は久しぶりに高校の同期会があるが、とても楽しみである。もう還暦のジジイとババアの集まりであるが、高校時代の友人は歳をとってもあまり違わない。たぶん一緒に歳をとっているからだろう。

 男子校の楽しさがわからないのは残念ではあるが、わからなくてもいいし、わかりたいとも思わない。東京はさすがにGHQのお膝元だったから共学化が進んで公立高校は共学になったのだろう。我が家は子供たちも2人とも公立高校だったから、親子でその恩恵を受けた事になる。戦争に負けてGHQに変えられてしまったもののうち、間違いなく良かったのはこの共学化だろう。今まで知らなかったが、改めてその点だけはGHQに感謝したいと思うのである・・・


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【本日の読書】
戦争と経済 舞台裏から読み解く戦いの歴史 - 小野圭司 ひこばえ(下) (朝日文庫) - 重松 清






2024年9月4日水曜日

論語雑感 泰伯第八 (その7)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
曾子曰、士不可以不弘毅。任重而道遠。仁以爲己任。不亦重乎。死而後已。不亦遠乎。
【読み下し】
曾(そう)子(し)曰(いわ)く、士(し)は以(もっ)て弘(こう)毅(き)ならざる可(べ)からず。任(にん)重(おも)くして道(みち)遠(とお)し。仁(じん)以(もっ)て己(おの)が任(にん)と為(な)す。亦(ま)た重(おも)からずや。死(し)して後(のち)已(や)む。亦(ま)た遠(とお)からずや。
【訳】
曾先生がいわれた。「道を行なおうとする者は大器で強敵な意志の持主でなければならない。任務が重大でしかも前途遼遠だからだ。仁をもって自分の任務とする、なんと重いではないか。死にいたるまでその任務はつづく、なんと遠いではないか」

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 昔の偉人は生涯をかけて追及する道をあれこれと考えていたのであろう。「仁をもって自分の任務とする」というのは大きな目標で、並大抵のことではできないと思う。それに比べて一般庶民は日々の暮らしに追われ、これといった目的などなく暮らしているのだろうと思う。かく言う私もそんな庶民の1人である。これといった大きな目的があるわけでもなく、ただ日々を過ごしていると言える。

 しかし、「仁をもって自分の任務とする」と言えば大げさであるが、ある程度はみな自分の信条というものを持っているのではないかと思う。私の場合、独身の間は自由気ままであったが、結婚してからは、働く目的、生きる目的の第一は家族のためになったし、子どもが生まれてからはその対象が子どもに広がっている。子育ての目的は自立した人間になる事であり、それは今のところうまくいっているように見える。

 本来的にはあまり人と関わらずに生きていきたいところであるが、この世の中ではそうもいかない。人間関係は大事であるが、基本的に他人には迷惑をかけず、関わった人には少しでも関わって良かったと思ってもらえるように振る舞っているつもりである。会社では高い給料をもらえるように自分のパフォーマンスを意識しているし、会社の人たちには少しでも働きやすい会社になるように心がけている。

 社会人になった時、当時の銀行というところは、行員に辛い思いをさせたがっているのではないかと思うような環境であった。先輩行員もストレスは後輩にぶつけて発散しているのではないかというくらい意地の悪い人がいたし、サービス残業は当たり前だし、若手はまるで奴隷のようであった。自分はそういう先輩にはなるまいと心に誓い、それを今も実践している。社員がいかに快適に働けるかを意識して日々の仕事をこなしているのが現状である。

 それは決してきれいごとではなく、きちんとした打算に基づいている。いい環境であればパフォーマンスも上がるし、みんながベストパフォーマンスで働いてくれれば会社も安泰であるし、それによって自分の高い給料も維持できる。自分の気分もいいし、まさに一石二鳥である。けっしてよそ行きのきれいごとを言っているのではなく、自分の利益についてあくまで追求した上での考え方である。

 人生は長く、途中で何があるかわからない。年齢とともに働ける範囲は狭まってくるし、私も今の会社を離れたら今の給料を維持できないだろう。であれば今の会社で全力を尽くすしかない。家族のために働く任務は重大でしかも前途遼遠である。死に至るまで続くという事はないが、子供たちが独立して(あと3年)、住宅ローンを完済し(あと10年)、いくばくかの老後の資金も貯めようと思えばなんと遠いではないか。

 曾子のように大きな任務ではないが、庶民には庶民なりの大きな任務があると思う。それは私1人の事ではなく、大概の人にはそれが当てはまるのではないかと思う。ただ、家族を養うためではなく、「どうやって」というのもある。私が入行した当時の先輩行員もそうであったが、後輩相手にストレス発散しているような人たちは違うだろう。少なくとも尊敬の念のかけらすら持てなかったが、生き方も大事だと思う。

 話題になったドラマ『不適切にもほどがある』の中で、ハラスメントを防ぐには相手を「自分の娘だと思う」とすべきとやっていたが、まさにその通りだろうと思う。私の娘もちょうど今年社会人になったが、我が社の若手社員を見ていると、娘も職場で私のような上司に仕えているのかもしれないと思うと、若手社員に対する対応もどうするべきかとおのずと決まってくる。そういう意識で若手とは接し、年齢の近い同僚ともその延長で考えれば自然と丁寧な対応になってくる。

 「仁」などという大きなものではないが、それが現代の「仁」と言えるかもしれないし、そういう生き方が「道」なのかもしれない。と、こじつけてみる。まぁ、偉人とは程遠い庶民であるし、庶民なりに人に対して恥ずかしくない生き方を維持していきたいと思うのである・・・

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【本日の読書】

離職率ゼロ!部下が辞めない1on1ミーティング! - 竹野潤 戦争と経済 舞台裏から読み解く戦いの歴史 - 小野圭司 ひこばえ(下) (朝日文庫) - 重松 清







2024年9月1日日曜日

取締役部長の問題点

 我が社では役員が3人いる。社員100名の中小企業では普通だし、十分だと思う。役員3人はそれぞれ開発現場、営業、人事・総務・経理を担当している。私と営業担当の役員は「部長兼務」である。中小企業故に人がいない事もあって、どうしても兼務せざるを得ないのである。また、会社法で企業には取締役が最低3人必要であり、中小企業では役員の兼務も珍しくはないと思う。しかし、取締役と部長とは厳密には相容れない関係であり、本来兼務すべきものではないと思う。

 なぜなら、取締役は、簡単に言えば「雇う立場」であり、部長は「雇われる立場」である。両方を兼務するのはおかしな話である。その弊害が我が社にも見られる。現場担当の取締役(元現場の部長である)がどうも取締役としての役割を果たせていないのである。と言っても、仕事をサボっているわけではない。きちんと仕事はしているし、部下の管理も顧客対応も問題はない。ただ、それは言ってみれば「部長の仕事」であり、取締役の仕事ではないのである。

 新卒で入社し、現場で叩き上げの彼は、いまだ仕事のやり方は部長時代と変わっていない。本来、部長から取締役に昇格した時に、これから何をするべきか、役員の仕事とは何かをよく考えるべきであったのであるが、それをせずにそれまでの延長上で来てしまっているのである。もっとも、取締役と言っても「部長兼務」であったため、必然的にそれまでの仕事をそのままやる事になり、そういう意識も持てなかったのだろうと思う。

 中小企業では仕方のないことかもしれない。役員(正式には取締役)は一種の名誉職のようになってしまっているのだろう。私が学生時代アルバイトをしていた防水工事の会社は社員が4人くらいだったが、アルバイトを引き連れて現場に向かう人は「専務」と呼ばれていた。役割的には係長と言ってもおかしくはなかったから、さしづめ専務兼部長兼課長兼係長といったところだったのだろう。

 それで問題ない企業規模であれば、役職なんてただの飾りであるが、規模が大きくなってくると、役割は意識しないといけない。我が社では経営計画を策定し、それを実行に移すといったところで役員としての役割が出てくるのである。ただ、そこも考えようで、私などは初めはただの部長として今の会社に入社したが、もともと銀行で中小企業については経営的な見方を常にしていたので、そういう見方のまま入ったから、部長でありながらも役員的な言動をしていた。それゆえに役員に引き上げてもらったという経緯もある。

 それは能力というよりも経験であり、私も現場上がりだったら「部長の思考」が抜けなかったかもしれない。社員から役員に昇格する時、一旦退職して退職金をもらい、そして株主総会の承認を得て取締役に就任する。我が社では役員になれば会社の株を持たされる(買わされる)。それを単なる事務手続きと意識してしまうと、役員になる意味というものが理解できないまま役員になってしまうかもしれない。

 会社を客船に例えるなら、役員はブリッジで目的地を決め、航路を決定し、それを船員に指示する役割である。船員はその指示に基づいて各自の持ち場で船がきちんと運航できるようにするのである。当の部長は、例えて言えば、現場に出突っ張りでブリッジに上がってこない状態と言えるだろう。社長へのホウレンソウ、経営方針をめぐり時に社長と議論し、相談して会社を有るべき方向に導いていく。そんな役割がある事に気づいていない。

 「課長になる時」、「部長になる時」、「取締役になる時」それぞれその意味を十分説明し、よく理解してもらってから昇格させるようにする仕組みづくりが必要であるなと考えている。各自に任せていると、かの取締役のようになってしまうだろう。中小企業とは言え、そのあたりはしっかりと意識して仕組みづくりをしていかなければいけない。さしあたり、かの役員とは一度膝詰めで私の考えを伝えなければいけないなと思うのである・・・


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【今週の読書】
離職率ゼロ!部下が辞めない1on1ミーティング! - 竹野潤 ひこばえ (上) (朝日文庫) - 重松 清 ひこばえ(下) (朝日文庫) - 重松 清