2022年3月17日木曜日

ハラスメント

 4月1日から通称パワハラ防止法が中小企業に適用になる。特に何か複雑な準備をしないといけないというわけではないが、とりあえず我が社の中ではどうなんだろうと考える。中間管理職の中には「厳しい」と評判の課長がいるが、差し当たりそのあたりが気をつけないといけないところかもしれない。今年、定年退職となった嘱託社員のおじさんが総務部の女性のお尻をすれ違いざまに撫でていくのを目撃したことがある。「今の時代に何と大胆な」と感動を覚えたものであるが、触られた方も大人な対応が見事でなかなかやるなぁと感心した次第である。そんな光景を目にすると、セクハラはあまり気にしなくてもよさそうな気がしている。

 それにしても調べてみると、ハラスメントにもいろいろある。妊娠や出産、子育てを理由とした嫌がらせや不利益な取り扱いをする「マタニティ・ハラスメント」なんていうのもあるし、相手の意見をことごとく拒絶したり、わざと実行不可能な仕事を依頼したりして精神的な苦痛を与える「モラルハラスメント」というのもあるらしい。男らしさや女らしさを強要する「ジェンダーハラスメント」というのもあれば、パソコンやスマホなど、ITスキルの弱い人に対する嫌がらせや相手を困惑させる「テクノロジーハラスメント」などは、部下から上司に対するハラスメントになる可能性もある。

 「自分は大丈夫」なんて思っていると、匂いによって周囲を不快にさせる「スメルハラスメント(スメハラ)」なんていうのもあるらしい。こうなると体臭や口臭など自分では気がつかない可能性があり、私も恐ろしくなってしまう。何でもかんでも「ハラスメント」にしてしまうのはいかがなものかと思わざるを得ない。「過ぎたるは及ばざるが如し」というが、行き過ぎた規制や注意喚起はかえって人との交流にブレーキをかけるような気がする。こうした時代の流れは良いのか悪いのか、その判断は難しい。

 私が社会人デビューした1988年当時は、もちろん「ハラスメント」なんていう言葉は存在しなかった。もちろん、怒られることは多々あったし、理不尽な扱いに腹正しい思いをすることもよくあった。私は、どちらかというと精神的にはタフな方であり、威圧的な言動などがあっても怒られても、それでメンタルをやられるなどということは皆無であったし、それはこれからもないであろう。それよりも何よりも我慢できなかったのは「理不尽」であろう。筋が通っていれば、怒られても素直に反省できるものである。

 まだ3年目くらいの若手銀行員時代、当時温和で怒ることなどあり得ないような支店長に怒られたことがある。と言ってもやっぱり声を荒げることなどなかったが、何より言うことがもっともであり、確かに自分の考えが至らなかったこともよくわかって深く反省した。怒鳴られたとしてもそこに筋が通っていれば、反省の心が強く怒り、もう絶対に繰り返さないという思いだけでメンタルを病むなんて欠片もあり得ない。そういうものだと思う。

 考えてみれば、セクハラも笑って許せる相手もいれば、不快な気分になる相手もいるという。要は「その人自身」の問題であろう。それはセクハラに限らず、ほとんどのハラスメントにあたることなのではないかと思う。そしてそれは日頃のコミュニケーションにあるのではないかと思う。その行為が「ハラスメント」と取られない人というのは、やはり日頃から相手を尊重してきちんと接している人ではないかと思う。特に部下など自分よりも弱い立場の人に対して、そういう考えで接している人はハラスメントなど気にしなくても良いような気がする(スメハラはわからない)。

 自分はどうだろうかと振り返ってみると、とりあえず自分の意識の中ではできていると思う。イラッとすることはよくあるが、それをグッと堪えて温和に話をしている。相手が上司であればグッと堪えるはずで、それと同じ対応を取れば良いのであると自覚している。「相手によって態度を変える」のは、自分の中では恥ずべき行為だと、過去の何人かの反面教師に教わっている。これはたぶんこれからも変わらずに続けられると思う。ハラスメントに関しては、自分は(スメハラ以外は)心配ないのではないかという気がしている。

 組織としてはどうだろうか。そこは仕事としてきちんと考えていきたいが、「自分を手本にしろ」と言えるように、これからも振る舞いたいと思うのである・・・


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