2020年4月19日日曜日

論語雑感 里仁第四(その19)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
〔 原文 〕
子曰。父母在。不遠遊。遊必有方。
〔 読み下し 〕
いわく、父母ふぼいませば、とおあそばず。あそぶにかならほうり。
【訳】
先師がいわれた。――
「父母の存命中は、遠い旅行などはあまりしないがいい。やむを得ず旅行する場合は行先を明らかにしておくべきだ」
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 子供も成長して大人になれば親元を離れることになる。私などは自立心が強かったので、とにかく早く家を出たいと考えていた。しかし、最初の機会であった大学入学の際は、家を出る=家を借りることであり、家賃を考えればその選択はありえなかった。自分で払えるものではないし、親に負担を強いるのはそもそも自立ではない。片道1時間半という距離は、通えない距離ではない。結局、学生時代は真面目に片道1時間半の通学をやり通した(授業やラグビー部の練習で週7日通う「優等生」であった)

 銀行に内定をもらって真っ先に人事部の人に尋ねたのも、そういうわけで「寮に入れるか」ということであった。当時はまだ新入行員は入行時には全員寮に入る時代。そんなこと聞くまでもなかったのであるが、それだけ家を出たいという気持ちが強かったのである。と言ってもそれは実家が嫌だったのではなく、早く自立したかったのである。かくして、就職と同時に24年間共に暮らした家族の元を離れ、1人暮らしをするようになったのである。以来、両親とは別々に暮らしている。

 後で聞いた話ではあるが、私が就職して家を出た後、しばらく母は気が抜けて何もやる気になれなかったそうである。思うに、初めての子を授かり、おしめを替え、食事をさせ、何くれとなく世話をして育てた子供が出て行ってしまい、喪失感に苛まれたのだろう。今は大学の卒業式に、「子育て卒業証書」をくれる大学もあるのだとか。考えてみればその通りであるが、母親としては寂しかったのかもしれない。そんな思いが後々「母親と息子」の関係に影響するのだろう。そんなことは露とも知らない私は、初めての寮生活を満喫していたのである。

 鉄砲玉ではないが、寮に入った私はほとんど実家には帰らなかった。週末は銀行のラグビー部の練習があったし、寮にいれば仲間が誰かいるし、実家に帰る理由がなかったのである。実家が近い友人には、毎週帰宅している者がいて(そもそも寮に入るのが嫌だったという者もいた)、私もよく「実家に帰らないのか」と聞かれたものである。人それぞれだろうが、私は「週末に実家に帰るってことは、週末家にいるってことと同じだろう」と答えていた。したがって、実家に帰るのは特別に用事がある場合を除き、ほとんど年末年始のみであった。

 それでも結婚する時は、将来は同居したいと思ったし、それを受け入れてくれそうな妻を選んだつもりであったが、のちにそれは大間違いであったことに気付く。結果的に同居しなくてよかったと思うが、今やすっかり生活は別々で固定してしまっている。それでも親も歳をとれば何かと心配になってくるし、今は最低でも月に一度は実家に顔を出している。このコロナ騒動で(菌を持ち込んではいけないから)ちょっと行きにくくなっているが、それがなければ電話くらいは毎週し、2週間に一度は実家に顔を出したいと考えている。

 今回の孔子の言葉は、時代背景も大きいと思う。2,500年前の世界は、地球もまだまだ広く、遠い旅行などと言えばそれこそ一ヶ月単位の時間がかかったのかもしれない。何があるかわからないし、連絡手段も乏しい中、場合によっては今生の別れになるかもしれない。そんな帰ってこられるかわからないほど遠くへの旅行などするべきではないし、やむを得ず旅行する場合は、行き先を明らかにせよという説明も頷ける。だが、今は日本全国、いや世界のどこにいてもスマホで連絡が取れる時代であり、もはや孔子の指導も意味をなさなくなっている。

 しかしながら、母親とちょくちょく話をしていて、よく話題に出るのは弟のこと。長く連絡がないのはしょっちゅうであり、母も気になるようである。「便りのないのは良い便り」とはいうものの、やはり「毎日が日曜日」の母親としては、子供たちの様子が気になるのであろう。そういう姿を見ていると、余計自分としては連絡を密にしようという気になる。それは今生の別れとなった昔の遠くへの旅行とは異なり、「日々の安心」だろう。元気でやっているということがわかるだけでも違うと思う。

 今は世界のどこにいてもスマホで連絡が取れる時代。だからどこへ行こうとわざわざ連絡する必要はないかもしれないが、簡単に連絡が取れるからこそ、離れていても近くにいる存在感は出せると言える。それこそが孔子の言葉を現代に翻訳したものになるのではないだろうか。せっかく親にもスマホを持たせたし、電話のみならず、メールやLineなんかを通じても近くにいる存在感を出していきたいと思うのである・・・


Erik TangheによるPixabayからの画像 


【今週の読書】

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