実家の両親も80の大台を超え、離れて暮らしているので何かと心配なこともあり、ちょくちょく顔を出している。一緒に食事をし、スマホの使い方をレクチャーし(親父は最近paypayを始めた)、母親とは他愛もない会話をしている。行けば母親は何くれとなく世話を焼いてくれ、フルーツやスイーツやビールやコーヒーなどを次々に出してくれる。陰で親父に対する不満を聞かされるが、親父に対する態度とは違い、誠に居心地がいい。実家に行くたびに母親のありがたさを実感している。
翻って家ではそうはいかない。一応生活費を稼いでいるという立場であり、建前ではそれなりの立場を維持しているが、妻の態度は冷ややかで、娘とは友達のように会話をし、息子には何くれとなく世話を焼いているが、私には素っ気ない。食事の時にそれは顕著で、息子にはおかずを取ったり足りなければいろいろと出してきたりするが、私にはそんなことはしてくれない。まぁ、甲斐甲斐しく世話して欲しいなどとは思わないからいいのであるが、「お金をもらっているから最低限のことはするけど・・・」という態度はいかがなものかと思わなくもない。
しかし、ふと気がついたのであるが、息子に対する妻の態度は、まさに実家へ行った時の母親の私に対する態度と同じである。母も父親には冷たい。妻の私に対する態度と同じである。親である以上、子どもはかわいい。それはそれで不満はない。しかし、そんな母親の、特に息子に対する態度を見ていると、ふと閃くものがあった。その愛情こそが嫁姑戦争の元凶ではないだろうかと。つまり母親からしてみれば、それまで愛情を注いできた息子に対し、妻となる女性の「貢献度」はどうしても物足りなく感じるのではないだろうか。「もっとちゃんとやれ」という不満があるのではないだろうか。
いつだったか、我が家に両親を呼んだ時、私が珈琲を入れて出したのであるが、どうも母はそれが気に入らなかったらしい。「息子にそんなことをやらせて」というわけである。もちろん、私にすればその時すでに夫婦で珈琲を入れるのは私の役割だったし、「嫁が働かないから」やっていたわけではない。後でそれを聞いた時は、「嫁の粗探し」かと思っていたが、今から思えば自分自身の「息子に甲斐甲斐しく世話する」意識から「物足りない」と感じたのだろうと思う。「息子に尽くす自分の役割」を妻に求めたのかもしれない。
その時、母に「物足りない」と思う事を夫(私の父)にやっているかと問うならば、「そんなことやるわけない」と即答しただろうと思う。今の妻も息子に甲斐甲斐しく尽くすように私にするかと問われれば、「そんなことやるわけない」と即答するだろう。つまり、息子に対する自分の役割を嫁に求めても無駄であろう。実家に帰れば、母はいろいろと私に良くしてくれる。父にはやらない。母親の役割と妻の役割を分けているのであり、母親の役割は今でも果たすが、妻の役割はもういいだろうというのだろう。
そう考えれば、いずれ息子が結婚した時に、「息子を取られた」妻の厳しい視線が息子の結婚相手に向かうのは想像に難くない。妻の息子に対する愛情を目の当たりにしていると、将来息子と結婚する相手は大変な思いをすることになるのは間違いない。間に挟まれた息子は、たぶん私以上に苦労するだろう。まったくもってご愁傷様である。どうしたらいいのかは難しいところである。夫婦円満のために黒川伊保子さんのトリセツシリーズ(『妻のトリセツ』、『夫のトリセツ』)を息子夫婦にプレゼントしようと思っているが、それだけでは足りない。ここはひとつ、ファンレターでも書いて『母親のトリセツ』を書いて欲しいとお願いしようかと思う。息子のために。
Vânia RaposoによるPixabayからの画像 |
【本日の読書】
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