2020年4月23日木曜日

リーダーの素養

まだ10代の頃、小学校時代から仲の良い4人組で何度かスキーに行ったことがある4人中3人が初心者であった。何とか滑れるようになると、みんなでリフトで上に上がる。そして滑り始める。最初の内は唯一の経験者が先頭に立って滑っていたが、そのうちその役割を嫌がるようになった。リフトで上に上がった後、「さぁ誰から滑るか」とみんなで顔を見合わすのである。誰も最初に滑りたがらない。微妙な沈黙タイムが流れるのである。今でもスキーと言うと思い出すシーンである。

私としては、唯一の経験者だった男に先陣を切って滑ってもらいたかった。後からついていく方が楽だからである。だが、よく言えば民主的、悪く言えば責任放棄。先陣を切るより後からついていく方がはるかに楽であり、「みんな普通に滑れるようになったんだから、俺がいつも先頭でなくてもいいだろ」と彼は考えたのであろう。他の3人にしてみれば、ようやくなんとか滑れるようになった程度であり、みんなの先頭に立てるほどではないと尻込みする。リーダー不在の混沌である。

これはたとえばみんなで飲みに行く場合、「どこに行く?」「俺、どこでもいい」というやり取りにも表れたりする。そんな時、「じゃぁ今度はこっちを滑ろう」とか、「あそこの店に行こう」とか提案できる人はリーダーの素養があると思う。リーダーの仕事で一番大事なのは、みんなの先陣を切って動けることだろう。要は「決定」である。結論を下し、自ら動く。これこそがリーダーにとって求められることだろう。小さいながらも会社組織の中で働いていると、この「決定」ができるかできないかで、リーダーとしての頼りがいがすべて決まってくると言っても過言ではない。

社内でも技術はあるものの、「決めてくれればその通りにやります」というのが口癖の人がいる。腕は確かなのであるが、常に「指示」を求めてくる。もちろん、立場的なものもあるかもしれない。しかしその一方で、「それだったらこうしたらどうですか?」と常に自分の意見を言ってくる人がいる。どちらが頼りがいがあるかは言うまでもない。「指示」に従っている方が、責任もないし楽ではある。その代わり権限は持てないし、やり甲斐も(たぶん)持てないだろうと思う。それでも(その方が)いいと言う人もいる(というかその方が多い)かもしれない。

これまで多くの人と一緒に仕事をしてきたが、どちらかと言えば、リーダータイプの人は少なかったと感じている。みんなどこかで常に責任を回避しているのである。「決めてくれればその通りにやります」とか「自分には権限がないから」とか、「上に聞いてみます」とか。実際に権限があるかどうかは実は関係がない。権限がなくても「こっちにしましょう」という提案はできる。それで上司の「決定」を引き出せたのであれば、それはその人が「決定」したのと結果的には同じである。ましてやリーダーの立場に立ったのであればなおさらである。

それでもまだ自らの決定に自信が持てないのか、「みなさんどうしますか」と聞いてくるのである。リーダーシップにもいろいろあって、「民主的リーダーシップ」が好みの人もいるかもしれないが、あまりそれにこだわると、かえってみんなで顔を見合わせて動きが取れなくなる。あのスキーの時のように。会社としてこうすべきと客観的な基準があるのなら、みんなの都合を聞くのではなく、「合わせてもらう」ように仕向けることも大事である。

 経験も能力もあるけど、ちょっと物足りない。自分の次のリーダーを指名する時に対象の人物がそんな感じであれば、「決定」できるように導いていかないといけない。そんなことをこの頃強く思うのである・・・


PIRO4DによるPixabayからの画像 
【本日の読書】
  



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