2019年12月18日水曜日

同姓の他人

私の名字はわりと珍しい方である。なにせ今日まで55年生きてきて「同姓の他人」には2人しか会ったことがないくらいである。と言っても、全国で希少というほどではなく、たとえば以前の職場(銀行)では名簿を見ると5人くらいは名前があったし(でも会ったことはない)、高校の同窓会の名簿を見てもそのくらいの人数の「他人」はいる。また、たまたま通りかかった家の表札を見かけたこともあるから、全国的にはそれなりにいるとは思う。ただ、会うのは珍しいほど少ないということであろう。

過去に直接お会いした2人の「同姓の他人」うち、1人はトヨタの修理スタッフをしていた人で、当時乗っていたカルディナを購入した店舗に持って行った時に偶然お会いした。もう1人(というか家族)は、なんとグアムのプールでであった。当時小学生の我が息子が、名前入りの帽子をかぶって走り回っていたところ、それを見た相手家族の奥さんが「珍しい!」と声を掛けてきたのである。わざわざ異国で見ず知らずの他人に話し掛けたくなるくらい珍しいという証明である。「佐藤」さんや「鈴木」さんがこんなことをやっていたら大変なことになる。

また、初対面で名前を名乗った時に、「どちらのご出身ですか?」と聞かれることがある。こういう時は相手もそれなりの心当たりがある場合が多く、「(私は東京ですが父は)長野県の富士見です」と答えると、「あぁ、やっぱり」となる。事実、長野県の富士見にはこの名前の人が多い。なんでなのかと考えてもその理由はよくわからない。同じ名前の遺跡が長野県にあるので、そこと何かつながりがあるかもしれない。

そんな私の名字なのであるが、先日、とうとう人生3人目の「同姓の他人」にお会いした。その方は高校の先輩。たまたま私の名前を同窓会の会報で見かけたということで連絡をいただいたのであるが、せっかくだからお会いしましょうとなった経緯である。初めは遠縁ではないかと思われたらしいが、お話を伺うと長野県の富士見ではなく、岐阜の方であった。その方はいろいろと我々の名前の由来を調べたらしく、遡れば遠く平家に由来するらしい。真偽のほどは定かではない。ただし、「名前」が平家に由来するとしても、DNAはわからない。なにせご先祖様は(少なくとも江戸時代は)、農民だったはずだからである。

士農工商の歴史は小学校で習うところであるが、「名字帯刀」が許されていたのは基本的に武士のみに限定されていたと習っている。明治初期に名字が解禁されるまでは、権兵衛や吾作の類だっただろうから、名前の由来を考えるのなら、明治の時代にご先祖様が何らかの考えでもって我が名字を選択したのだろうと思う。ちなみに、曾祖父の時代(明治後期)は、我がご先祖は桶を作っていたということで、「桶屋」と呼ばれていたらしい(とは父の談である)。名字ではなく、職業や屋号で呼び合う習わしだったのだろうと思う。

今から考えると惜しいことをしたもので、もしかしたら亡くなった祖父であれば、我が家系の名字(を名乗るに至る経緯)について何か知っていたかもしれないと思う。祖父は明治39年、曽祖父は明治13年の生まれであり、明治8年の「平民苗字必称義務令」のあとのことについて、おそらく何か記憶していたのではないかと思うのである。もしも、何かそのあたりの経緯を聞いたなら、面白いエピソードが聞けたかもしれないと思う。

 そんな我が名字であるが、本家は既に私の従兄で途絶えてしまう。次男である父の家系は私と弟が受け継ぎ、順当にいけば息子と甥が引き継いでいく。いつか息子か孫が名前の由来について興味を持った時のために、少し調べておくのもいいかもしれないと思ってみたりする。これから少子化の世界。我が名字はどうなっていくのだろうか。まぁ自分の死んだ後の世界のことを案じても仕方がないし、せいぜい孫子の代まではしっかり見守りたいと思うのである・・・





【本日の読書】
 
  
     

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