2019年12月14日土曜日

論語雑感 里仁第四(その10)

〔 原文 〕
子曰。君子之於天下也。無適也。無莫也。義之與比。
〔 読み下し 〕
(いわ)く、(くん)()(てん)()()けるや、(てき)()きなり。(ばく)()きなり。()(これ)(とも)()す。
【訳】
先師がいわれた。――
「君子が政治の局にあたる場合には、自分の考えを固執し、無理じいに事を行なったり禁止したりすることは決してない。虚心に道理のあるところに従うだけである」
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優れた人物が政治を行う場合、私心を離れ本当に民衆のためになる事を行うというのは、ある意味理想であり本来あるべき姿であろう。実際の政治家がみなそうしているのかどうかはわからないが(そうであると信じたいところではある)、およそ人の上に立つ人が自分の都合優先で行動していたらついてくる人はいなくなるだろうし、みんなの尊敬を集めるということもないであろう。真のリーダーたるもの、「虚心に道理のあるところに従う」べきだという意見はもっともだと思う。

これは何も政治家に限ったことではなく、およそ組織のリーダーにはみな当てはまるだろうことである。なぜかと言えば、自分の考えに固執し(内容によっては良い場合もあるだろうが)、無理強いに事を行い、禁止したりすれば下の者の支持を失うことになるからである。絶対権力を手中にしていて、反乱の心配がない場合であれば話は別であるが、そういう「独裁体制」以外であれば下の者の支持は必要であり、となればある程度納得性の高いようにしなければならないのは当然の理である。

身近なところにある会社組織で考えてみる。元銀行員として多くの中小企業を見てきたが、その多くは社長の「ワンマン」体制である。言ってみれば「独裁制」ということになる。会社組織の場合、社員にしてみれば「雇われている」ということがある。業務上の命令系統もあり、「独裁制」が成立しやすい。したがって、それが社長のワンマン体制となり、公私混同につながったりする。社長が家族で食事をした時のプライベートな領収書を会社に回したりしても誰も何も言わないのである。

当然、社員もそれを見ても見て見ぬふりをするしかない。不満を持つ人もいるかもしれないが、独裁社長に文句を言えるはずもなく、黙っているだけである。一方、独裁社長にも言い分はある。事業リスクをすべて一身に背負っているのは社長である。銀行から融資を受けるのに個人保証を差し入れるから、何かあれば全財産を失うリスクがある。当然、自分の考えですべてやりたいと思うだろう。また、大概の社員は「指示待ち族」が多い。「言われればやるが、言われなければやらない」。そんな社員は頼りがいもなく、社長はすべて自分で決めなければならないと思い込むようになる。

社長に積極的に意見具申し、社長もそんな意見具申を聞きたいと思うような社員がいるならば、必然的に「独裁」も緩むことになる。そういう社員を意識するようになると、たぶん社長も唯我独尊というわけにもいかなくなり、必然的に「道理のあるところにしたがう」ようになるのかもしれない。そう考えると、独裁者ばかりを批判するのは正しくないのかもしれない。まぁ、そうは言っても端からそんな意見具申は求めてもいないという「真の独裁者」は当然いると思う。

広げて考えれば、リーダーが「真の独裁者」でない限りは、それに従う者にも責任はあると思う。政治に無関心な国民は「やむなき独裁」を生み出す原因になるのかもしれない。とは言え、やたらに揚げ足取りのような批判ばかり繰り返す我が国の野党のようだと呆れるばかりだし、反抗の声を上げる香港の学生を弾圧・逮捕しまくる中国共産党の姿は、残念ながら孔子の説く君子には程遠い。なかなか理想通りにはいかないものである。

会社でも独裁を通すのではなく、意見を求め、その意見を言いやすくする環境づくりはできる。「モノ申す社員」を育てる工夫である。それで育つかどうかはわからないが、ワンマン体制に不安がある社長(業績の悪い会社だとその傾向が強い)だったら、試してみる価値はあるかもしれない。と言っても、そんな心得のある経営者であるならば、そもそも「虚心に道理のあるところに従」って経営しているかもしれないとも思う。そもそもの心得次第という感じもする。

 君子であろうとなかろうと、人間年齢を経ていくと次第に金銭欲よりも名誉・人望欲が強くなると思う。そうした時に、「虚心に道理のあるところに従う」ことは重要なキーワードになる。孔子の説くところももっとも。自分もかくありたいと思うのである・・・



【本日の読書】

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