2019年7月10日水曜日

視力

先日、毎年恒例の健康診断で視力検査があった。両目とも0.2というのがその結果。いいのか悪いのか、このところ微妙である。思い返せば小学生の頃は1.0あったのを覚えている。それから高校にかけて1.5になってそれを維持していたが、艱難辛苦の宅浪時代に一気に視力は衰え、二十歳の時に車の免許をとった時、初めて手にした免許証には見事に「眼鏡条件」の文字があった。それでも眼鏡をかけるのは運転時と授業を受ける時だけ。それ以外は裸眼でも困ることはなかった。

社会人になってさらに視力は衰え、遠くを見つめたりマッサージをしたりと努力をしたが回復することはなく、やがてコンタクトレンズを使うようになった。どうも長時間眼鏡をかけるということが心地良くなかったのである。誘われて始めたゴルフの時などは、やはり眼鏡よりコンタクトの方が良かった。なにせどこに飛んでいくかわからない小さなボールを追うのに裸眼ではどうにもならなかったのである。

40代になって眼鏡に切替えたが、その理由は「老眼」。手元の文字が見えなくなったのである。「遠近両用」という手もあったが、私の場合、老眼といっても裸眼で十分よく見えていたため老眼鏡は不要であり、手元を見る時にはすぐ外せる眼鏡の方が便利になり、コンタクトを卒業したというわけである。と言っても、週末のラグビーではやっぱりコンタクトが必要で、これは使い捨てのタイプを利用している。コンタクトもかつてから比べると随分使い勝手が良くなっている。

それにしても不思議なのは老眼。その昔、近視が老眼になるとそれぞれのデメリット(「遠くが見えない」と「手元が見えない」)が相殺されてかえって目が良くなるんじゃないかと思っていたものである。ところが、あに図らんや実際になってみれば眼鏡やコンタクトをすると、「遠くは見えるが手元は見えない」、裸眼だと「遠くは見えないが手元は見える」といった症状である。したがって、今は本を読む時やスマホを見る時は裸眼、パソコンやテレビを見る時は眼鏡と使い分けている。

結局のところ、近視と老眼とに同時になった場合、やっぱり手元が見える(=老眼が打ち消される)という効果はあるようである。コンタクトや眼鏡をした場合、手元が見えなくなるのがその証拠だろう。そう考えると、長い事煩わされてきた近視もメリットがあるじゃないかということになる。どちらがいいかと考えると、手元の文字を読むのに老眼鏡をかける苦労を考えれば、まだ今の状態の方がいいと思う。

それにしても、最近困るのは視力がどうやらコロコロ変わる事。ちょっと前までパソコンを使う時は眼鏡を使用していたが、それだと見にくくなってきた。度が合わなくなってきたのかと思うが、どうやら老眼の変化らしい。今は裸眼でパソコンを使う方が楽になってきている。それも加減が1週間おきくらいに微妙に変化する。その微妙な差はパソコンと顔の距離とで調整しているが、なんとも不便である。つくづく、目は大事だと思う。

これから体の老化も進んでいく。それはそれで仕方がないことではあるが、やっぱり視力と脳の働きだけはなんとか最後までもってもらいたいという気持ちは強い。足腰が不自由になって旅行になど行けなくなったとしても、目が見えて頭がはっきりしていれば、本も読めるし映画も観られる。ブログも続けられるし、物理的には狭い世界でも精神的には広い世界で過ごすことができるというもの。これは大事だと思う。

 これから体の方もいろいろと衰えてくるのだろう。筋肉や視力、聴力等々。男の場合は自信の源となる大事な機能も衰える。どれも衰えれば不便であり、衰えに伴って気持ちもなえていきそうに思う。避けられないものだとしても、1日でも先送りできるように、大事にそして(効果があるなら)鍛えていきたいと思う。若い頃には感じもしなかったことであるが、諦めることなく意識していきたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 
   
     

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