2018年9月2日日曜日

仕事のスタンス

最近、仕事で同僚の働き方に違和感を覚えることが多々ある。それは仕事に対するスタンスとでも言うべきものである。一言で言えば、「自律」と言う言葉で表せると思う。「自律」とは広辞苑によれば、「自分で自分の行為を規制すること。外部から制御を脱して、自分の建てた規範に従って行動すること」とある。これこそが仕事に必要なスタンスであると思うが、そうでないと思う人が大半かもしれないと思う。

例えば先日、同僚に取引の準備を依頼した(ちなみにもし私が彼の立場であったら、忙しそうな私の姿を見て自分から「やりましょうか」と提言していただろう)が、出来上がってきたものを見たら振込伝票が白紙であった。「これはまだですか?」と尋ねたところ、「やるんですか?言われていなかったもので・・・」と言う返事が返ってきた。不動産を購入する際、お金を振り込むのは必須である。わざわざ振込伝票を用意して渡しているのだから、言われていなくても(私だったら)記入するだろう。自分がやらない場合、誰がやると思ったのであろう。

その彼は全般的に「自分から動く」ということがない。常に受け身である。ただ、長い経験と広い知識があるから、我々のような中小企業にはいて欲しい人物である。自分から動くということはないけれど、「言われれば動く」ので、きちんと働いて欲しければきちんと「言うだけ」でいいとも言える。「指示待ち族」の典型例である。私は高校生の頃、将来「サラリーマンだけにはなりたくない」と思っていた。それはサラリーマンは「人に使われてペコペコしている人」というイメージがあったからである。もちろん、そういうサラリーマンもいるだろうが、それは考え方次第だと思う。

「指示待ち族」の特徴は、自律的でないところだろうと思う。常に自らの責任を回避し、だから安全な「言われたこと」だけをやる。余計なことはやらない。「言われたこと」をやっている以上、それをきちんとやっていれば責任は問われない。責任は「言った人」にあるからである。先の同僚は、会議に出ても自分からは発言しない。意見を求められれば立派な意見を言うのであるが、自分からは発言しない。そういうスタンスが染み付いていると、仕事の幅はいつまで経っても広がらない。

先の同僚は、若い頃に勉強したこともあって、建設関連においては私なんかは足元にも及ばない幅広い知識を有している。だから、時折修繕関係において「○○すればいいんですよね」と呟く。されどそこには、「誰が」「いつまでに」という要素が含まれていない。いつも評論家なのである。だから「ではやって下さい」と「指示」を出さないと進むことはない。これではいつまで経っても「指示をする立場」にはなれない。私の銀行時代の以前の上司のように昇格しても部下から信用されるビジネスマンにはなれない。

おそらく、本人にそんな話をしたら、「私には決定権がないから」などという回答が返ってきそうである。だが、「決定権がない」からできないことはない。一社員であっても上司を動かすことはできるし、その上司を動かして社長に決定させることもできる。そうなれば一社員でも「会社を動かす」ことは十分可能である。要は意識の問題である。「自分には決定権がない」などと言っている者は、一生会社を動かすことなく、指示されて動いて終わるだろう。

私は今の会社に転職してきて以来、「何をしたらいいですか?」と言う質問をしたことがない。それは自分で考えて必要だと思う仕事をしようと思ったからだし、その通りに必要だと思うことは自ら提案して実行してきた。そのスタンスは今日においても変わらない。ハッキリ言って「指示待ち族」が指示を待っている間にどんどん動いて、今は「指示を出す」立場である。まぁ、みんなが自分と同じスタンスで仕事をされたら自分の優位性が失われてしまうので、いいと言えばいいのかもしれない。

 仕事における優位性と言うことでは、自律しているということはかなり重要であると思う。これからもそのスタンスを維持するとともに、自分の子供たちや心ある者には伝えてあげたいと思うのである・・・





【今週の読書】
 
    
    

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