2018年9月5日水曜日

論語雑感 八佾第三(その9)

 原文   
子曰、夏禮、吾能言之、杞不足徴也。殷禮、吾能言之、宋不足徴也。
文献不足故也。足則吾能徴之矣。 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、()(れい)(われ)()(これ)()えども、()(しるし)とするに()らざるなり。(いん)(れい)(われ)()(これ)()ども、(そう)(しるし)とするに()らざるなり。文献(ぶんけん)()らざるが(ゆえ)なり。()らば(すなわ)(われ)()(これ)(しるし)とせん。
【訳】
孔子云う、「私は夏の時代の制度の話しをよくするが、夏の後裔の杞の国には、私の話しを裏付けるものは何も残っていない。又、殷の時代の制度の話しもよくするが、殷の後裔の宋の国にも、私の話しを裏付けるものは何も残っていない。ともに文献が残っていないからだ。もし残っていればもっと詳しく調べられるのだが、残念だ」と。
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文献が残っていないのに、なぜ古の制度の話ができるのかと言えば、おそらくは口頭で伝承されているのだろう。それはそれで一つの記録方法ではあるものの、やはり紙などの見えるモノに「記録する」ということはとても大事なことだろう。人間の記憶というのは、本人にとってでさえ曖昧であり、ましてや「伝言ゲーム」の例を挙げるまでもなく、伝承はそれ以上に曖昧である。孔子が「詳しく調べられたのに」と残念がるのも無理はない。

実は個人的に私は昔から結構「記録魔」である。小学校6年の時に『ジョーズ』を観に行って以来、今まで映画館で観た映画463本の記録(日付、タイトル、映画館名)はすべて取ってあるし、読書記録も過去13年分は遡れる。それはいずれもノートに書き記していたが、便利な今の時代は両方ともブログにしている。どちらも自分の「記録」だから、人に見てもらおうとは思っていない。対象読者は自分自身のみという誠に自己中なブログであるが、どこにいてもスマホでさっと検索できるので、便利な「記録簿」である。

学生時代は(自分の出た)ラグビーの試合結果とトライ数を記録していたし、デートした日も記録していた(残念ながら記録するほど多くはなかったが・・・)。読んだ漫画も記録していたし、今でも保有株の月末株価とローン残高、毎月のこずかいの収支、年間の給料の収支等を記録している。もちろん日記もつけている。変わったところでは、毎朝使うシェービング・ジェルの使用開始日を記録しているし、時計の電池交換の記録もつけている。今は日々「マンション管理士」の勉強をしているが、毎日の勉強時間も記録しているし、体重・BMI・体脂肪率も記録している。こうやって見直してみると自分でも意外なくらいいろいろと記録している。果たして他の人と比べてどうなのだろうかと思ってみる。

記録を残しておくと、やっぱり何といってもあとで振り返りができるのがいいところである。映画や読書はその内容をかなり忘れてしまい、観たこと、読んだことは覚えているが内容は忘れてしまったり、あるいは観たこと、読んだことすら忘れてしまっているものもある。しかし、記録が残してあるからそれがわかるし、ブログでは内容もある程度書いているので、それで記憶が呼び起こされたりする(だからネタバレブログでもある)。昔からの習慣でもあり、記録することに何の抵抗感もなく、むしろ楽しんでいるくらいである。

こうした記録はすべて自分のものであり、後世に残そうなどとは考えていない。だが、祖父からもらった軍隊手帳に書いてある短期訓練記録などによって、祖父の軍隊生活を想像することもできたことを考えると、ちょっと残してみてもいいかもしれないと思ったりする。自分では見いだせない価値を子供たちがそこに見出すかもしれない(と言っても、やっぱりそれほど大したものではないだろう)。

そう言えば、かつて父方の戸籍謄本を見たことがある。そこには4代前のご先祖様の名前が記してあった。直接のご先祖様の他、兄弟姉妹の名前もあり、結婚した日時や子供たちの名前なんかもわかり、いろいろと想像の翼を広げられた。名前だけのご先祖様であるが、それだけでもわかるのとわからないのとでは大きな違いがある。昔から勉強科目の中で歴史が好きというのも、日々の単純な記録が積み重なってやがて歴史になると思うと、記録魔と歴史好きには何か関連するものがあるような気がする。

 私の残している記録など、あまりにも些細な微々たるものであり、孔子が求めているレベルのものから比べるとまるでお話にはならない。されど自分自身、記録してきたものをたまにあれこれ眺めると、時折感慨深く思える時がある。日記などは定期的に読み返しているが、矢の如く過ぎ去った過去にも呼び起こされる記憶があったりして、単に記憶していただけだったら二度と思い出さなかったかもしれない事どもなどは、記録することの重要性を認識させてくれる。人から見たら変な癖なのかもしれないが、これからもせっせと記録していこうと思うのである・・・





【本日の読書】
 
 
 

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