2018年5月6日日曜日

シニアラグビー


2013年に思い立って大学のシニアチームに参加してラグビーの練習を開始した。最初こそはすぐに息が上がり、昔は追いつかれる事すらなかった足の遅い同期に追いつけなくてショックを受けたが、少しずつ体を動かしてきたせいで、ここのところはまともに走れるようになってきている。昨年春に試合にも出場した。母校(高校)のラグビー部のOBチームが恒例行事としている試合であるが、今年も参加。残念ながら足を痛めて途中でリタイアしてしまったが、なかなか満足いくものであった。

先の試合では、スタンドオフに初挑戦。ずっとフォワードでやってきたが、新しいポジションというのも良いチャレンジでなかなか楽しい良い経験であった。練習再開した時は、本当にボールを持って軽く走るだけという感じであったが、汗を流す快感に慣れてくると、もっともっとと欲が出てくる。そしてとうとう「試合に出たい」というところまで来てしまった。さらには「新しいポジションにも挑戦したい」と欲深くなってしまった。

すでに2着目の練習用ジャージを購入し、試合で痛めた足もよくなって来たので、昨日1ヶ月ぶりに練習再開となったのである。集合時間の少し前にグラウンドへ行き、1人パント(ラグビーのキック)の練習。それも左右で蹴れるようにと、右、左と交互に蹴る。新しいポジションに必要なのは何だろうと自分で考えながらである。グラウンド内だけでなく、本(『日本ラグビーの戦術・システムを教えましょう』)も読んで知識のアップデートに務めている。「充分わかっている」と思いがちだが、謙虚に学び直そうと思うのである。

ラグビーといえば、激しいぶつかり合いのスポーツであり、当然若者のスポーツである。テニスなどはある程度年齢がいってもできるだろうが、ラグビーはそうはいかないと一般的には思うだろう。「年甲斐もなく」と言われればその通りだと思う。体はただでさえ衰えているのだし、怪我をしやすくなっているところに持ってきて、さらに怪我をしやすいスポーツをする無謀さも理解できる。ただ、味を覚えてしまうともうやめられないものがある。

昨日は試合形式の練習をしたが、激しいぶつかり合い(と言っても若者のそれと比べるとソフトである)の後、気がつけばあちこちあざはできているし、爪は剥がれかけているし、打撲痛は言わずもがなであるが、そう言ったものが嫌かというとそうでもない。むしろ心地良い痛みと言ってもいい。それを上回る満足感が不快感を上回っていると言ってもいいかも知れない。

大学のシニアチームの練習は1ヶ月に1回のペースであり、段々それが物足りなくなってきて、高校の先輩のつてを頼って今のチームに参加。毎週土曜日の練習を楽しんでいるが、近頃それでも少し物足りなくなってきている。週2回でも良いかも知れない。それに体も鍛え直したくなってきている。ジムに通ってバーベルを挙げようかと熟考中である。やはり人間、「もっともっと」となるのであろう。

世の中、高齢者に近づくとアンチエイジングという言葉がはやる。何となく如何なものかと思っていたが、シニアチームの面々の衰えた体を見ていると、そして学生チームの若者の張りのある筋肉を見ると、自分も体の衰えとそれを何とかしたいという気持ちが芽生えてくる。女性が少しでも張りのあるお肌を維持したいというのと同じかもしれない。自分ももう少し筋肉を復活させたいと思うようになってきたのである。

何でもそうだが、「もう歳だから」という言葉は使いたくないと思う。それでもいずれどうにもならなくなる時はくるだろうが、まだまだ体は動く。ならば「歳だから」とブレーキをかけるのは良くないように思う。グラウンドに集う諸先輩を見ているとそう思う。みんな楽しんでいるのだ。体も痛いし、怪我もするし、だけど練習に出てくる。1人ではできないことだけに、自分も末長くその一員でありたいと思う。

健全な精神は健全な肉体に宿るというが、体がしっかりしていると気持ちも明るく前向きにチャレンジングになれるものである。それは仕事でも生きてくるだろうし、自分もいつまでも自信を持っていたい。まだまだ自分より20キロ重い人の突進を止められるし、さらに力強さを復活させたいと思う。人がどう思うと関係なく、若者から見ると見すぼらしかったりしたとしても、やめられないしやめたくない。

「もっともっと」と求めていきたいと思うのである・・・




【今週の読書】
  
 
 
 

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