2018年2月7日水曜日

義務は果たす


仕事でマンションの管理組合に携わっている。管理組合とは、そのマンションの住人で構成するいわゆる自治組織である。自分たちのマンションに携わる諸々のことをそこで決める大事な意思決定機関である。ところが、年に一度のその総会なのだが、意外に出席率が高くない。もちろん、マンションにもよると思うが、委任状を出せばまだマシな方で、実際に出席する人の割合は23割というイメージではないだろうか。これがまだ居住用のマンションならいいのだが、投資用のマンションとなると出席者がいない、または1人というところも珍しくない。

「出ても仕方がない」「わかっているから委任状で十分」という人もいるだろう。我々のように3040ものマンションと関わっているとすべて出席するのは困難だが、必要に応じて出席するところには出席している。個人としても、もしも私がマンションに住んでいたなら総会には必ず出席するだろうし、役員就任などを要請されたら喜んで引き受けるだろう。残念ながら私が住んでいるのは戸建て住宅であるからそういうものはないのだが、それでも7年に一度回ってくる町内会の班長の職務は積極的にこなしている。

妻からはよく小学校6年の息子の学校のPTAの話を聞く。そこではなかなか役員のなり手がいなくていつも紛糾するそうである。なんだかんだと言い逃れをして逃げようとするお母さんの話(あの人は去年「今年はダメだけど来年やります!」って言って逃れたのに今年は来なかったのよ等々)をよく聞かされる。もちろん、仕事をしていたり小さな兄妹がいたりといろいろ事情があるのだと思うが、こういう「義務」を引き受けたがらない人は多いと思う。

選挙もそうだと思うが、我ながらこうした義務を果たすのを自分としては積極的に行う性格であると思う。小学校のPTAの話を聞いた時も、それなら自分がやろうと思ったくらいである。ただ、残念ながらPTAの役員の活動は平日昼間が大半で、とてもではないがサラリーマンのできるものではなくて諦めたが、もし可能な時間帯であったなら、多分自分は6年間役員をやっていたと思う。

昔からそうだったかは忘れてしまったが、近年は頼まれ事やこうした役員関係など、特にできない事情がない限りは引き受けている。最近は卒業した高校ラグビー部の創部70周年記念イベントの委員に任命されたばかりである。同窓会の役員を終えたと思ったら、また次の役員が待っていたが、例え引き受ける人がいなくてお鉢が回ってきたのだとしても、やらせてもらえるならありがたいと思うのである。

それは何なのかと考えてみても自分ではよくわからない。もしかしたら、自分の存在感を確認したいという気持ちがあるのかもしれない。大勢の卒業生の中から選ばれるということは、例え雑用であったとしても、存在感があっての話だと思うからである。引き受け手のない役員だとしても、自分がやることで「やらないその他大勢」から抜け出せるとも言える。まぁ、そんな意識を持ってやっているわけではないが、少なくとも「義務は果たしたい」という気持ちは持っている。

そういえば中学の頃だったが、国語の授業で最後に課題を出された時のことを思い出した。それは1年から2年に進級する間際の最後の授業で出されたもので、提出しなくても成績には関係ないものだった。友人たちの多くは提出しなかったが、私は敢えて提出した。もともと真面目な性格だったこともあるが、例え普段の(出さないと)怒られる宿題は提出しなくとも、こういう怒られない宿題は提出する性分であった。まぁこの頃から「あまのジャッキー」だったとも言えるが、義務は果たしたい性格なのだろうと思う。

人間確かに面倒なことは避けたいものだと思うが、人の世にあっては共同体における自分の役割はきちんと果たしたいと思う。さらに誰かがやらなければならないことなら、それを引き受ける自分でもありたいと思う。損得で判断するのではなく、深い意味など考えることもなく、引き受け手がないと誰かが困るのなら、それを果たす人でありたいと思うのである。選挙の一票の義務も果たしたいと思うし、町内会の班長さんも然りである。子供達にも将来そういう人間になってほしいとも思うのである・・・




【本日の読書】
 
   

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