2018年2月14日水曜日

勧められたなら


「人から何か勧められたらとりあえず試してみる」ということは、私の基本的なポリシーである。他人に何かを勧めるという行為は、もちろん好意からのものであるし、何よりその人が自分でいいと思ったからに他ならない。それならその好意を無にするというのも大きな損なのかもしれない。試すことに大きな負担があるのであれば別であるが、そうでないのならば、「とりあえず試してみる」のは良いことだと考えている。

例えば今は好きな作家の1人である藤沢周平もそんなお勧めがきっかけだった。以前、銀行員時代に読書好きなお客さんがいて、その方が藤沢周平が好きだったのである。「読んでみると良いですよ」と勧められたのが、「蝉しぐれ」であった。これをさっそく読んでみたところ予想外に面白く、以来藤沢周平の時代劇は私の愛読書になった。正直言ってそれまで本は読んでいたものの、時代劇は何となく敬遠していたのである。もしも勧められていなければ、絶対読んでいなかったであろう。

最近では、映画『ちはやふる』であろうか。高校生の青春モノ、しかもカルタというマイナースポーツを扱った映画であり、まず自分からは間違いなく観ないタイプの映画であった。ところが、映画好きの友人が絶賛しており、それで「とりあえず試してみるか」と思ったのである。その結果、自分の中では2017年のベスト1になってしまった。観なければ人生の大損だったと思っている。

映画や本はいろいろと勧められることが多い。もちろん、すべてが大正解というわけではない。先の映画好きの友人が絶賛していた映画は、『ちはやふる』に留まらず、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』『ハドソン川の奇跡』があったが、これはそれほど心にヒットしなかった。と言っても面白くなかったわけではなく、「期待度が大きすぎた」結果だと思っている(映画自体は両方とも面白かったのは間違いない)。

その他、「これ美味しかった」というのは数知れず、「ここ面白かった」、「ここ良かった」というのは枚挙に暇がない。片っ端からというわけにはいかないが、すぐに買えるものならすぐに試してみるし、行ける所なら友達を誘って行くし、やれるものならやってみている。それによって損をしたという記憶は今までないし、逆に自分だけでは試してみなかったことなどは、それを試すことによって自分の世界が広がったと感じている。

逆に人に勧めるのはというと、あまり積極的ではない。もともとめんどくさがり屋なところがあり、お節介も嫌だというところがある。話の流れでおススメを聞かれて答えるというパターンが多いかもしれない。最近では友人におススメ映画を聞かれて『ちはやふる』と答えたが、その友人も好みの範疇に入っていなかったらしく、唸っていた。その気持ちは良くわかるだけに、彼が観るかどうか、そして観たとしたらどういう感想を持つか、ちょっと楽しみな気もする。

自分から人にあまり勧めないのは、「勧めた以上、その感想を期待してしまう」ということがある。喜んでもらえたなら嬉しいし、趣味に合わなかったらそれはそれで仕方がない。ただ、試してもらえなかったら、ちょっとがっかりする。それが嫌だという気持ちもある。だから、自分が人から勧められたらまず試してみて、そしてその感想を伝えるように意識している。それが(たとえお節介だとしても)勧めてくれたことに対するお礼であると思う。

自分の世界というものは、いつの間にか決まってしまう。気がつけば同じような嗜好の世界に浸かってしまっている。人から勧められることは、その世界の殻を破ることになり、自分の世界を広げることになる。その効能はかなり大きいと感じる。勧めてくれた感謝と感想を伝えれば、また次のものを勧めてくれるかもしれない。そしてそれによって自分の世界も広がるかもしれない。そういう試みをこれからも続けていきたい。

そのためにも、「勧められたらまず試してみる」というスタンスをこれからも維持したいと思うのである・・・



【本日の読書】
 
     



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