2017年9月7日木曜日

勉強をする必要性

子供が生まれた時、将来いずれ「なぜ勉強しなければいけないのか?」という質問を受けるだろうと考え、自分なりに答えを用意しておこうと思った。正直、何回かその答えをアップデートし続けてきているが、これまでその質問を受けずにきている。上の子供は、小中学校時代は、「勉強は楽しい」と語っていたし、受験勉強もしっかりやって、都立のトップグループの高校に入学した。親としてはほっと安堵していた次第である。

ところがその後、雲行きが変わる。目標を見失ったのか、高校入学後勉強をする気がなくなり、典型的な燃え尽き症候群に陥って回復の兆しがない。自分も大学受験時、宅浪して一年間一日10時間勉強して気が狂いそうになった経験があり、子供には中学受験に失敗した後、勉強するなと言っていた(正確には「塾へ行くな」であるが)。しかし、私のそんな思いなど通らず、娘は勉強し続け、見事難関を突破したのはいいのだが、その結果がこれである。

娘とはじっくり話をしようと思い、そして聞き出した答えは、「勉強をする必要性が感じられない」というものであった。生まれた時に想定していた質問とは、同じようでいてちょっと違うかもしれない。さて、どうしたものかと思うが、放置するわけにもいかない。そこで自分なりに考えてみた。ただ、自分が高校生の時には考えたことも感じたこともない問題ゆえに、理解を得られるかどうかは難しい。

そもそも勉強に必要性が感じられないのは当然のことである。なぜなら、将来何が必要になるかなどわからないからである。高校生までの勉強ならば、「思考トレーニング」、「教養習得」という意味合いになるだろう。難しい問題に直面した時にどうするか。新しい知識を習得しなければならなくなった時、どのように進めるか。私の場合、過去の自分の勉強の経験からそれを行ってきた。たぶん、みんな似たようなものだと思う。

スティーブ・ジョブズが大学を中退した時、興味本位で覗いたカリグラフィーの講義が後のMacのフォントに役立った話は有名であるが、何が役に立つか必要かなど、後から振り返ってはじめてわかるものだろう。であれば、とにかくいろいろなものに興味を持って、幅広く手を出してみれば、それだけ後々役立つかもしれないと言えるだろう。だから、今はあれこれ考えず、せめて学校の勉強を楽しく学んでほしいと思う。

そうした説明をしたのだが、娘の心の内はわからない。ただ、すぐには理解できないかもしれない。親としては、しっかり勉強して、せっかくだから一流大学に進学してほしいし、さらに欲を言えば国立大学であれば言うことはない。ただ、世に言う「いい大学に入って、いい企業に就職して」などというつもりは毛頭ない。親に頼らずとも、自分で世の中を生きていく力をつけて欲しいし、そのために常に勉強し続けることを厭わないでいてほしいと思う。

私の父は、家が貧しくて高校へ進学できなかった。中学を出てすぐに東京へ働きに出てきたが、常に「進学したかった」という思いは持っていたと言う。転職の面接で、「中卒ではせいぜい工場長止まり」と言われたこともあったという。まだ学歴優先社会の時代だ。今は苦労しなくても大学まで行ける時代となったが、昔はなかった問題が出てきているのだろう。昔の人からすれば、「何贅沢言ってるんだ」と言われかねないが、現代に生きる娘には切実な問題とも言える。

果たして娘の抱える問題を解消してあげられるのか。それこそが親としての試練だと思うし、寄り添いつつ解決に向けて伴走してあげたいと思うのである・・・





【本日の読書】
 
    

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