2017年9月16日土曜日

論語雑感 為政第二(その9)

子曰。吾與回言終日。不違如愚。退而省其私。亦足以發。回也不愚。
()(いわ)く、(われ)(かい)()うこと終日(しゅうじつ)(たが)わざること()なるが(ごと)し。退(しりぞ)きて()(わたくし)(かえり)みれば、()(もっ)(はっ)するに()る。(かい)()ならず。

【訳】
先師がいわれた。回と終日話していても、彼は私のいうことをただおとなしくきいているだけで、まるで馬鹿のようだ。ところが彼自身の生活を見ると、あべこべに私の方が教えられるところが多い。回という人間は決して馬鹿ではないのだ
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論語も約2,500年前のものであり、どういう意図で残されたのかはわからない。あるいは意図なんてそもそもなかったのかもしれない。現代に伝えられている論語の中には、思わず「?」が浮かんでしまう言葉も少なくない。今回の言葉はその最たるもの。孔子がいったいここで何を伝えようとしたのか。ただ、「回はバカではない」というだけなのか。素人には大いに謎である。

人の言うことをおとなしく聞いている人というのは、今でもよくいる。真面目で、言われたことは素直に実行し、あらためて意見を求められるまで自分の意見を述べようとしない。私などは必ず自分の意見を言うようにしているので、こういう人の気持ちは正直言ってよくわからない。ただ、求められれば意見を言うわけであり、よく言えば謙虚、悪く言えば勇気がないと言えるのかもしれない。

そんな事を考えると、ふと思い出すことがある。小学生の息子の学校公開に行った時のこと、授業中に先生に差された子が蚊の鳴くような声で答えていたことである。自分の小学生時代もそういう子はいたが、まわりからするともう少し大きな声で答えればいいのにと簡単に思うのであるが、その子にすればたぶん精一杯なのだろう。そういう子が大きくなったら、あんまり意見を言わない大人になるのかもしれないと思うのである。

考えてみればそんな人物は多々いたと思う。学校でも部活でも社会人でも。そしてそういう人は、寡黙ゆえに過小評価されてしまうところがあるかもしれない。特に社会に出て会社組織に入ると、「声の大きい者が有利」というところがあるから、余計にそうかもしれない。むしろ、声の大きい者より地道にしっかり堅実な仕事をしていたりするから、惜しいように思われる人も少なくない。

そんな人は、気がつくと黙々と目立たないものの、自分の仕事をきっちりやっていたりする。現在身近にいる人も、指示された仕事をコツコツとやっていたりする。そんな姿を目にすると、感じるものがある。見方によっては「言われたことをやっているだけ」とも取れるが、それでも不満ひとつ漏らさず黙って仕事をしている姿はからは、訴えかけてくるものがある。

孔子が「バカではない」と言った回とは、そういう人物だったのかもしれない。実は、わが父も寡黙な人である。まじめを絵に描いたような人物で、70歳で引退するまで印刷業一筋働き通した。自営業だったが、毎日毎日同じ作業を黙々と続けていた。私のDNAの中にもそういう姿勢は刻み込まれていると思う。

人の話を黙って聞いているだけでなく、時に自分の意見をきちんと言うということは、確かに大事なことだと思う。さらにそれが人や顔色を見て言うのではなく、誰に対しても臆することなく、必要な時に言えることはなおさらである。黙って聞いているだけで「バカみたい」と思われるのは避けたいが、一方で言葉ではなく回のように「態度で語る」ことができる人物でもありたいと思う。現役時代、1人工場で黙々と作業していた父のように。

孔子がここでは何について言いたかったのかよくわからないが、自分としてはそう言う風に理解したいと思うのである・・・





【今週の読書】
  
 

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