2017年7月24日月曜日

論語雑感 為政第二(その6)

孟武伯問孝。子曰。父母唯其疾之憂。
孟武伯(もうぶはく)(こう)()う。()(いわ)く、父母(ふぼ)(ただ)()(やまい)()(うれ)う。
【訳】
父母は子供の病気のことを一番心配している。(だから身体に気をつけて健康でいるのが何よりの孝行である)
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今回のこの言葉、手元の岩波文庫(25年前くらいに買ったやつである)では、「病気になって父母に心配をかけてしまうのは仕方がない。病気以外のことでは心配をかけないようにするのが孝行だ」と解説されている。また、「子供が父母の健康を心配し、父母が病気にかからないようにと憂えるのが孝行だ」と解釈する意見もあるようである。論語も古いし、もともとは日本語ではないわけであるから、解釈が揺れるのも仕方ないのかもしれない。

しかるに親というものは、子供のあらゆることを心配するものではないかと思う。健康以外にも、学校の成績だったり友人関係であったり、おおよそなんの心配もないという人はあまりいないような気がする。私の好きな言葉に「金持ちは三代で潰れる」というのがあるが、親というものは子供には苦労させたくないと考え、とかく甘やかしがちになるもの。だが、甘やかされて育てば苦労を知らず、従って困難に耐えられなかったり、甘い考えで失敗したりして身代を食い潰すのである。

金は天下の回り物というが、そうして金持ちが三代で潰れてくれれば、富も循環して世の中にいいのかもしれない。そう思うからこそ、我が子には苦労をさせたいとも思う。
我が娘は、高校受験時に猛勉強して一流高校へと進学した。親としては誠に喜ばしいのだが、どうも受験勉強で「燃え尽きてしまった」ようで、今は学校の勉強はあまりせず、従って成績もクラスで下の方である。親としては先々のことを考えると心配なのであるが、こればかりは笛吹けども踊らずでどうにもならない。

しかし、そこで考える。よく難病で海外に移植手術に行かなければならず、募金活動をしているお子さんの話を目にする。そういう方に比べれば、はるかにマシではないかと。とりあえず健康で、毎日学校へ行き、あれこれ文句は言うものの部活動をはじめとする高校生活を送っている。人間は1つの欲望が満たされれば次の欲望が出てくる。親は心配のネタを見つけては心配するもので、むしろ「心配がない」と言う状態はないような気がする。それよりもどうせ心配するなら、人生で向かい合う困難の方がいいとさえ思う。

人生で向かい合う困難は、誰もが避けえない。むしろそれをこなすことによって成長すると言うこともある。そして何よりそう言う困難に対しては、自らの経験をもとに何かを語ってやれると言うこともあるかもしれない(聞く耳があれば、だが)。むしろ病気となれば親はなす術がない。ただオロオロ心配するしかなく、個人的にはこれは避けたいところである。となると、やはり孔子の語る言葉の意味は、上記の【訳】の通り解釈するのがいいように思う。

翻って、老齢の我が親のこととなると、もう人生の困難というより唯一の心配事は健康である。人間の体も80年も経てばガタがくるのも仕方ないだろうが、それでもなんとかダマシだましでいいから健康っぽくあって欲しいと思う。いろいろな意味で期待はずれであった愚息としては、そればかり願うのみである。
結局、家族はお互いに心配せずにはいられないものなのかもしれない。それならば、なるべく「心配させる」より「心配する」立場の方でいたいと思うのである・・・





【今週の読書】
 
 

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