2017年7月30日日曜日

望月

例年のごとく、この時期一足早い夏休みを取った。そして実家の母の要望を受け、母の故郷である長野県の望月町へ墓参りに出かけてきた。同行したのは、母の姉と妹。平均年齢80歳の三姉妹との道中は、それはそれは賑やかであった。昔は車なら6時間、国鉄の急行電車とバスなら4時間近くかけないと行けないところであったが、今は関越、上信越自動車道が開通し、車で3時間の距離である。

墓参りは、昨年伯父の一周忌以来である。今回は我々だけであり、行動も自由とあって昨年行けなかった祖父の実家にも足を伸ばした。と言っても墓からはほんのわずかな距離である。私自身何十年振りかであり、楽しみにしながらの訪問であったが、しかし訪れたそこは雑草の生えた更地。何と建物は取り壊されてなくなっていた。

更地になっていた祖父の自宅
 この地における私の記憶は、多分幼稚園から小学校の低学年くらいだ。おそらくお盆の季節であったのだろう、若かりし頃の伯父伯母らが家族とともに参集し、賑やかだった気がする。母は6人兄弟であり、いとこ同士も結構な人数になった。親に連れられ、田んぼの中の道を抜け近くの川で遊んだのを今でも覚えている。昭和40年代の半ば頃であったと思う。当時の田んぼと川に続く道はあの頃のままであった。

鹿曲川へと続く道
当時、いとこたちと何をして遊んだのかなんてもう覚えてはいない。所々の記憶も断片的である。裏の山に登って行って、そこで手紙付きの風船を見つけて文通をしたことがあったとか、蜂の巣を落として蜂の子を料理したとか、土蔵があってその中にあった五右衛門風呂に入ったとか、今考えてみても都会にはない生活がそこにはあったと思う。テレビでやっていたあさま山荘事件のライブ中継も強烈な印象として残っている。

その後、本家にはゴタゴタが生じ、祖父の家に行くことはなくなってしまった。望月の祖父の家に行ったのも小学生の頃までである。もうあの頃の祖父の家も記憶の中にしかないと思うと、寂しいところである。しかしながら、望月の町並みはまだあの頃の面影をそこかしこに残している。母らも車中からあそこは誰々の家だとか、そこここに同級生がいたとか、何々があったとかと各々語る。子供の頃花火を見た千曲川にかかる中山道の橋は今も当時の姿を残している。昔ながらの町並みは懐かしい一方、全体的に何となく寂れている感は否めない。

近所の人に聞いたところ、祖父の家は昨年人手に渡り、取り壊されたとのことであった。多分、来年来たらこの地には新しい家が建ち、そこに新しい家族が住み、かつてこの地であった祖父一族の営みについて何一つ知られることもなく、また新しい歴史が積み上げられて行くのであろう。それが人の世というものであるが、一族の歴史を知る者としては残念な気もする。

昔の流儀で祖父の家は長兄が相続。長兄亡き後は、娘たちが東京に住んでいたため義理の伯母も娘たちのところへ行ったという。祖父には息子が2人いたが、息子が生まれたのは次兄のみ。私の従兄弟であるその息子は独身なので、もう祖父の家系も男系としては終わりである。残されたのは一族の墓のみ。やがて従兄弟もこの墓に入るだろうし、そうしたらもう誰も墓参りには来なくなるだろう。

これから日本中でこうして絶えていく家系が続々と出てくるのだろう。どんなに頑張ってもそれを見届けることはできないわけで、どうなっていくのか想像するしかない。母ら三姉妹がまた来たいと言えば、また付き合おうと思っている。自分のできるのはせいぜいそのくらいだからである。その時にはまた、望月のまだ昔のままの田園風景を楽しみたいと思う。次はまた来年の夏でもいいかもしれないと思うのである・・・


【今週の読書】
 隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働 (文春e-book) - ルトガー・ブレグマン, 野中香方子 ダメなときほど「言葉」を磨こう (集英社新書) - 萩本 欽一





2017年7月24日月曜日

論語雑感 為政第二(その6)

孟武伯問孝。子曰。父母唯其疾之憂。
孟武伯(もうぶはく)(こう)()う。()(いわ)く、父母(ふぼ)(ただ)()(やまい)()(うれ)う。
【訳】
父母は子供の病気のことを一番心配している。(だから身体に気をつけて健康でいるのが何よりの孝行である)
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今回のこの言葉、手元の岩波文庫(25年前くらいに買ったやつである)では、「病気になって父母に心配をかけてしまうのは仕方がない。病気以外のことでは心配をかけないようにするのが孝行だ」と解説されている。また、「子供が父母の健康を心配し、父母が病気にかからないようにと憂えるのが孝行だ」と解釈する意見もあるようである。論語も古いし、もともとは日本語ではないわけであるから、解釈が揺れるのも仕方ないのかもしれない。

しかるに親というものは、子供のあらゆることを心配するものではないかと思う。健康以外にも、学校の成績だったり友人関係であったり、おおよそなんの心配もないという人はあまりいないような気がする。私の好きな言葉に「金持ちは三代で潰れる」というのがあるが、親というものは子供には苦労させたくないと考え、とかく甘やかしがちになるもの。だが、甘やかされて育てば苦労を知らず、従って困難に耐えられなかったり、甘い考えで失敗したりして身代を食い潰すのである。

金は天下の回り物というが、そうして金持ちが三代で潰れてくれれば、富も循環して世の中にいいのかもしれない。そう思うからこそ、我が子には苦労をさせたいとも思う。
我が娘は、高校受験時に猛勉強して一流高校へと進学した。親としては誠に喜ばしいのだが、どうも受験勉強で「燃え尽きてしまった」ようで、今は学校の勉強はあまりせず、従って成績もクラスで下の方である。親としては先々のことを考えると心配なのであるが、こればかりは笛吹けども踊らずでどうにもならない。

しかし、そこで考える。よく難病で海外に移植手術に行かなければならず、募金活動をしているお子さんの話を目にする。そういう方に比べれば、はるかにマシではないかと。とりあえず健康で、毎日学校へ行き、あれこれ文句は言うものの部活動をはじめとする高校生活を送っている。人間は1つの欲望が満たされれば次の欲望が出てくる。親は心配のネタを見つけては心配するもので、むしろ「心配がない」と言う状態はないような気がする。それよりもどうせ心配するなら、人生で向かい合う困難の方がいいとさえ思う。

人生で向かい合う困難は、誰もが避けえない。むしろそれをこなすことによって成長するということもある。そして何よりそういう困難に対しては、自らの経験をもとに何かを語ってやれるということもあるかもしれない(聞く耳があれば、だが)。むしろ病気となれば親はなす術がない。ただオロオロ心配するしかなく、個人的にはこれは避けたいところである。となると、やはり孔子の語る言葉の意味は、上記の【訳】の通り解釈するのがいいように思う。

翻って、老齢の我が親のこととなると、もう人生の困難というより唯一の心配事は健康である。人間の体も80年も経てばガタがくるのも仕方ないだろうが、それでもなんとかダマシだましでいいから健康っぽくあって欲しいと思う。いろいろな意味で期待はずれであった愚息としては、そればかり願うのみである。

結局、家族はお互いに心配せずにはいられないものなのかもしれない。それならば、なるべく「心配させる」より「心配する」立場の方でいたいと思うのである・・・




【今週の読書】
 テクノロジー4.0 「つながり」から生まれる新しいビジネスモデル - 大前 研一 いい空気を一瞬でつくる - 秀島史香





2017年7月19日水曜日

38年

先日の事、中学時代の同窓会に参加した。我が中学は、自分を含めてクラス会や同窓会などという催しの音頭を取る人間がいなかったせいか、こうした集まりはこれまでになく、もうないのだろうと半ば思っていたので、知らせを聞いた時はちょっと驚いたものである。といっても、地元でつながりのある者が多く、一部の交流は当然ながらあったようではある。

しかしながら、私にとっては同じ高校に進学して高校の同窓会でつながりがある友人を除いて、中学時代の友人たちとはほぼ卒業以来の再会。もともと人見知りする性格ゆえ、「出席」の返事はしたものの、当日会場となったレストランへ入っていくのに勇気がいったのは事実である。

卒業以来38年。再会した友人たちは、見事に変わっている。それはそうであろう。こちらの記憶にあるのは、みんな15歳の少年の姿である。50を過ぎたおじさんおばさんではない。それゆえに、顔を見てもすぐに誰かはわからず、戸惑うことしばしであった。すぐに参加者の名簿を見せてもらったが、男の名前はみんな覚えていてすぐに顔が思い浮かぶ(もちろん15歳の顔であるが・・・)。そこで改めて参加者の顔ぶれを見まわしてみると、そこかしこに面影が残っていて本人とわかったのである。

面白いもので、変わっていない者はすぐにわかるが、変わっていてもどこかに面影は残っている(本人だから当然だろう)。目元が多かったが、顔の中心あたりを注視すればだいたい判別できたのである。やはり38年という月日は大きく、大半の者はあの場だから判別できたが、街ですれ違ってもたぶんわからなかっただろうと思う。

来ていたメンバーの中には、大の仲良しだった男も来ていた。不思議なもので、小学校、中学とあれほど遊んでいたのに卒業後はピタリと連絡を取らなくなり、そのままになってしまっていた。懐かしい再会に、勇気をもって行って良かったと心から思った。こういう場になると、共通するのは昔話。お互い記憶していることが共通していたり違っていたり。言われて思い出したり、言われても思い出せなかったり。人間の記憶とはそんなものなのだろう。

もう一つ気付いたのは、「バラエティ」だろうか。高校の卒業生や大学の卒業生たちと明らかに種類が異なる者たちが多いのである。考えてみると、高校・大学と進学すると、そこには「受験」というフィルターがかかる。ところが中学のメンバーはそういうフィルターがない。大学に行かなかった者もいるだろうし、みんなが勤め人でもない。共通するのは実家の居住区だけで、普段接することのない職種の人たちとの交流もまた面白いものであった。

女性陣の中には、昔好きだった女の子も来ていて感激した。もう孫もいると笑う笑顔は昔の面影を残している。一目で本人と分かった1人なので、それほど大きく変わっていなかったのである。同じ学校に通い、同じ時間を過ごしながら、その後全く違う時間を過ごしてきた友との再会は心地よいものであった。中には亡くなったり病気で倒れたりという者もいたが、こういう集まりも良いと思う。

翻って、我が家には小学校6年の息子がいる。毎日遊ぶ仲の良い友達も、いずれ違う道を歩んでいくかもしれない。今のこのひと時を大切にするとともに、ずっとつながりを保てると良いと思う。今はSNSもあるから、我々よりもつながりは維持できるのかもしれないと思ってみたりするがどうだろう。今回の経験を息子には話して聞かせた。それはそのまま将来のお前にも当てはまるよと、そう言う意味を込めてである。果たして息子はどう感じたであろう。

 それはともかくとして、また次の機会も、是非参加したいと思うのである・・・




【本日の読書】
 数学の言葉で世界を見たら 父から娘に贈る数学 - 大栗 博司 いい空気を一瞬でつくる - 秀島史香




2017年7月17日月曜日

ブラックorホワイト

定例の通勤読書で、『野村證券第2事業法人部』を読み終えた。タイトルにある通り、元野村證券勤務の著者が、自らの野村證券での半生を描きながら、自らが被告となっている「オリンパス巨額粉飾決算事件」の無実を訴えるという内容のものである。正直言って、著者が無実かどうかはあまり興味はないのであるが(でもご本人の弁を信じれば無実に思える)、読んでいて興味を持ったのは、かつての野村證券の「ブラック企業」ぶりだ。

平成バブルの前は、証券会社といえば「給料はいいが仕事はきつい」と言われていた。野村證券も「ノルマ証券」と揶揄されるくらいだった。88年に就職した私も、証券会社だけは行くまいと決めていた(それは多分正解だったと思う)。そんなハードな野村證券に著者は入社する。そしてさっそく厳しいノルマを課せられる。

ノルマが厳しいと言っても、商品がよければまだいいが、著者が課されたのは客が損するだけの商品。入社した者の半分が辞めていったというが、まともな良心があれば当然だろう(私も間違いなく辞めていただろう)。そんな中で、著者は冷酷に売りつけてノルマを達成するのではなく、相手の懐に飛び込んで信頼を勝ち得て行くやり方で実績を上げていく。転勤に際して、「俺の損を無駄にするな、立派になれ」と声を掛けてくれたというから相当頑張ったのだろうと思う。

この頃は、CMで流行っていたが、「24時間働けますか」の世界である。今でいうなら完全なブラック企業であり、そのブラックぶりは今問題となっている企業がみんな可愛く見えるくらいではないかと思う。その中で身につけた著者の実力というのは、何気なく書かれていることから察しても相当なものだと思う。それは逆にいえば厳しかったからこそ身につけられたと言えるかもしれない。

この週末に観た映画『セッション』も似たところがある。音楽学院を舞台に鬼コーチが主人公をシゴキまくる物語である。それは常軌を逸しており、そのシゴキで生徒が鬱になって自殺しているくらいだが、鬼コーチは手加減をしない。主人公も狂気の様でこのシゴキに耐えて行く。ラストの顛末は、2人の狂気が大爆発するのであるが、主人公が達したレベルはおそらく鬼のシゴキがなければ達することのできないところだっただろうと思う。見方によっては、その「ブラック練習」があったからこそと言えるかもしれない。

ブラック企業として名指しされることの多いワタミも、なかなか名指しが解消されないようだが、それも渡邉会長の自らの経験に基づく考え方が根底にあるからかもしれない。買ってでもしろという「若い時の苦労」の中には、ハードワークの経験が大いに入るだろう。中には安くこき使って疲弊させるだけのブラック企業もあるだろうが、そういうのは除外するとしても「キツイ仕事」の経験は(若いうちは特に)、必要ではないかと個人的には思う。

人それぞれの考え方もあるし、耐性の問題もある。将来の自分の肥やしになると言われても、「そこまではしたくない」という考え方もある。心を病むまで行くとそれはやっぱりやり過ぎだが、全否定も良くないと思う。例えばプロの一流選手なら、練習は定時のみということはないだろう。それなりに実績を残している人は、通常の時間外にも人の見ていないところで練習しているだろう。そういう「時間外」まで、一律に「働き方改革」とかで規制して欲しくない気がする。

では、例えば時間外を例に挙げるとすると、何が良くて何が悪いのかとなる。要は「強制」の有無だと思うが、ある程度「強制」がないとできないのも人であるから、その加減が難しい。『セッション』の主人公も鬼のようなシゴキがあったからこそ、ラストの迫力ある演奏が可能になったという面もある。自分であれば「納得」がまずあって、自分で必要だと感じたらシゴキにも耐えるし、長時間時間外労働にも耐えられるし、あるいは反骨心から頑張るかもしれない。36協定なんて鼻で笑って無視すると思う。ただ、部下にどこまで求めるかというとそれは難しい。

「働き方改革」はいいことだと思う。精神的にも穏やかに仕事をするのが何より一番である。ただ、「ハードワークから得られるもの」があることは事実であり、それが失われるのはもったいないとも思う。これはかなり難解な問題だと思う。どう考えればいいのか、どうすればいいのか、将来子供たちがこの問題で悩んだらなんてアドバイスするのか、今の段階でこれという答えを見出すことは難しい。ただやはり自分はこう思うという答えを持っていたいと思うし、これからも折に触れ考え続けたいと思うのである・・・




【今週の読書】
 数学の言葉で世界を見たら 父から娘に贈る数学 - 大栗 博司 反哲学入門 (新潮文庫) - 元, 木田





2017年7月13日木曜日

論語雑感 為政第二(その5)

孟懿子問孝。子曰。無違。樊遲御。子告之曰。孟孫問孝於我。我對曰無違。樊遲曰。何謂也。子曰。生事之以禮。死葬之以禮。祭之以禮。
(もう)懿子(いし)(こう)()う。()(いわ)く、(たが)うこと()かれ、と。樊遅(はんち)(ぎょ)たり。()(これ)()げて(いわ)く、孟孫(もうそん)(こう)(われ)()う。(われ)(こた)えて(いわ)く、(たが)うこと()かれ、と。樊遲(はんち)曰く、(なん)(いい)ぞや、と。()(いわ)く、()きては(これ)(つか)うるに(れい)(もっ)てし、()しては(これ)(ほう)むるに(れい)(もっ)てし、(これ)(まつ)るに(れい)(もっ)てす。
【訳】
大夫の孟懿子が孝の道を先師にたずねた。すると先師はこたえられた。はずれないようになさるがよろしいかと存じます。そのあと、樊遅が先師の車の御者をつとめていた時、先師が彼にいわれた。孟孫が孝の道を私にたずねたので、私はただ、はずれないようになさるがいい、とこたえておいたよ。樊遅がたずねた。それはどういう意味でございましょう。先師がこたえられた。親の存命中は礼をもって仕え、その死後は礼をもって葬り、礼をもって祭る。つまり、礼にはずれないという意味だ
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この言葉は論語の中でもわかりにくい範疇に入る。その原因は、「礼」という概念のわかりにくさとそれに対する考え方のわかりにくさである。現代社会との違いという背景もあるかもしれない。そもそも「礼」とは、古代中国における「人が従うべき社会の規範のこと」とされている。詳しくはわからないが、孔子の生きていた当時は、社会規範を守ることを強調しなければならないくらい社会秩序が乱れていたのかもしれない。

「社会の規範」と言っても、「親に仕え、葬り、祭る」となると、それは「社会秩序」のようなものというよりも、祭礼に近いものかもしれない。となると、この言葉をもって現代社会における教訓とするのは難しいかもしれない。しかしながらここでは敢えて「葬り」というキーワードに注目したいところである。と言うのも、ここのところこれについて、ずっと意識しているからである。

一昨年の伯父の葬儀の時、別の叔父の話を聞いたのであるが、その叔父は「戒名はいらない」と語っていた。日本の場合、葬儀の大半は仏教式だろう。お通夜があって、告別式があって、火葬して納骨がある。その間、住職に戒名をつけてもらう。叔父はこの戒名がバカバカしいという意見なのであった。その話を聞きながら、自分の葬儀はどんな風になるのだろうかと漠然と考えていた。

たぶん何も言い遺さなければ、残された子供たちは何も考えずに仏教式を選び、「さて宗派は何だろう」とそこから悩むに違いない。都会育ちの私は、幼い頃から檀家などという制度とは無縁。自分の父母の宗派も良くわからない。親に訪ねても「浄土真宗じゃないか」と言う程度である。それなのに葬儀の時だけ急に信徒になるのはおかしいだろう。いくら寛容な仏様でもバツが悪いし、自分の葬儀は仏教式にはするなと言い遺さないといけない。

すると戒名も不要だが、逆に焼香、位牌、仏壇といったものも不要となる。葬儀も僧侶を呼ぶ必要がなくなり、焼香も不要となると来た人はどうすればいいのか戸惑うことになるだろう。「形が決まっている」というのは、何事につけ便利なのである。サラリーマンもルーティン業務だけやっていれば楽なのと一緒である。

「仏教式で葬儀はやるな」と遺言するのはいいが、このあたり考えておいてあげないと子供たちに恨まれるかもしれない。考えてみると、私に限らずほとんどの人は宗教生活については私と似たり寄ったりだろうと思う。なのにみんな同じ仏教式なのは、ただ単にそれが「楽だから」に他ならない。みんなと同じが大好きな日本人だから、仏教と接するのは親戚や知人の葬儀の時だけだったりしても、他にどうしていいかわからないから葬儀といえば迷わず仏教式にするのだ。

だが、アマノジャッキーである私は何より「形より本質」。葬儀も形より心を重視したい。葬儀の時に、悼む心を持って来てくれたらそれで十分。僧侶のお経もいらないし(生きている時に聞いてもわけのわからないモノを死んでから上げられてもありがたみはないと思う)、戒名も不要だし(見ず知らずの僧侶がつけた意味不明の文字の羅列より親が一生懸命考えてつけてくれた名前でいたい)、初七日も四十九日も心でそっと思ってくれれば十分である。

ただ、親の場合は親の気持ちが一番。やはり従来の習慣に則って仏教式になるだろう。親は私のようにアマノジャッキーではないからである。戒名もつけてもらい、位牌を拝むことになると思う。あえて言えばそれが私にとっての「礼」とも言える。
自分の時は、まだまだ先だろうとは思うが、何があるかわからないし、今から意識して考えておきたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 数学の言葉で世界を見たら 父から娘に贈る数学 - 大栗 博司 反哲学入門 (新潮文庫) - 元, 木田






2017年7月9日日曜日

都議会議員選挙の結果について思うこと

先週は都議会議員選挙であった。選挙には基本的に欠かさずに行く主義であるがゆえに、私もきちんと投票を済ませてきた。結果は、都民ファーストの会が圧倒的な支持を受けて一気に第1党へと躍り出た。事前に予想できた結果とは言え、極端だなと思わずにはいられない。こういう結果について考える時、注目するのは勝った政党よりも負けた政党だ。アマノジャッキーの本領発揮な訳である。

今回、自民党は一気に半分以上の36議席を失っている(5923)。確保できた議席数23は、過去最低らしい。でも逆に考えると、逆風の中でも23議席は確保していると言えるわけである。この支持層は、余程のことがない限り見限らないという強固な支持層=「岩盤層」と言えるわけで、風が吹けば他へと動く弱い支持層=「浮遊層」とは異なるのである。自民党を支持しているのか、個々の議員さんを支持しているのかはわからないが、とにかくこの「岩盤層」をいかに持っているか、がその政党の真の強さだと思う。

例えば、2009年の民主党ブームの中で、民主党(当時)は都議会で54議席を確保した。しかし、その後の体たらくで、2013年には15議席に一気に数を減らし、今回は5議席である。つまり、そもそも民進党の岩盤層は5議席程度で、49議席は単にブームで流れてきた浮遊層だったわけである。そういう目で他の政党を見てみると、公明党は2009年、2013年、今回とすべて23議席で、公明党は議席23のすべてが環境に左右されない不動の岩盤層と言える。同様に、81719と増やしている共産党は岩盤層が17に増えていると言えるのかもしれない。

一方、大勝したとはいえ都民ファーストの会は、直前の6議席が岩盤層としたら43は浮遊層なわけで、これは何とも脆弱である。新しい政党であるから仕方がないとは言え、これからの結果次第では次の選挙でこの浮遊層はまた他へと移動してしまうだろう。民進党のように非常に脆い支持層だと言える。もちろん、結果次第ではこれが固まって岩盤層となり、強固な支持基盤となるわけであるから、何れにせよ結果が求められているわけである。

また、個々の議員も気になるところ。圧勝した都民ファーストの会にはどういう人たちが集まっているのかは知らないが、一部にはチラホラ聞いたことのある名前の方もいらっしゃる様子。よく言えば、小池さんに共感して集まってきた政治家の人たちと言えるが、中には機を見るに敏な「風見鶏」の方もいると考えている。「勝ち馬に乗る」というやつで、我が地元でそういう例を目の当たりにしたためか、そんな視線を向けたくなるのである。

我が地元では、ずっと自民党の議員さんが強いのだが(私もこの方をいつも支持している)、かつての民主党ブームで某議員に負けてしまった。その某議員はまさにブームに便乗したかのごとくで、それが証拠に民主党政権の末期に世の中の民主党批判の声が高まるとさっさと離党。その後無所属からコロコロと政党を変え、小沢一郎さんのところに行ったり、維新の党が脚光を浴びると狙っていたかの如くそこに参加したりして、紆余曲折を経て今はまた民進党で議員をされているようである。政治家になる前の経歴も外資の金融機関を渡り歩いており、その時々で「最適な(もちろん金銭的な意味である)」選択をしてきたようである(あくまでも外から見ていたらそう見えるという話)

いくら「選挙に落ちればただの人」と言っても、やはり政治家には信念を持ってやってほしいと思う。それは選挙云々の前に持っていてほしいもので、場合によっては「それが支持されなければ政治家になどならなくてもいい」という類のものである。「当選すれば何でもいい」という人は、間違っても支持したくはない。先ほどの議員さんも、この先必要とあれば都民ファーストの会にも参加するのではないかと思っているし、共産党に鞍替えしても不思議ではないと思っている。

さて、浮遊層をとりあえずは大量に集めた都民ファーストの会。次の選挙までにしっかりと岩盤を作れるのか、楽しみに見守りたいと思う。そして万が一、また新たな風が吹いて浮遊層が他へ行きそうな時には、間違いなく出てくるであろう「風見鶏」を軽蔑の眼差しで見つめたいとも思う。失敗を期待しているわけではないが、アマノジャッキーな私としてはそういう見方も残しておきたいのである。

これから東京の暮らしはどうなるのであろうか。住民税が少しでも安くなり、暮らしやすくなってほしいと思うのは、都民共通であろう。今回は私も「浮遊層」の一員として支持させてもらったし、小池さんには是非頑張っていただきたいと思うのである・・・