2017年1月15日日曜日

ワンマン化する理由

 先日のこと、社長と会話していて、ある大企業の役員を歴任した方の話になった。(我々の共通の知人である)その方は、確かにすごい人なのだろうが、態度が横柄でありさらに物事をすべて自分でポンポン決めていくというタイプであった。決断力に優れているとも言えるが、典型的な「ワンマン」タイプである。ちなみに「社長なんてみんなワンマンだろう」と語る我が社の社長は、しかしワンマンタイプではない。

考えてみれば、ワンマンになるのも当然だろうと思う。強い思いがあって創業した社長であれば、「これをやりたい」というものがあるだろうし、それに向けてあれこれ指示を出すだろう。例えば従業員から違う提案がなされても、自分の趣向に合わなければ却下するだろう。部下に意見を募り、たとえ全員反対しても、社長は「鶴の一声」で決めてしまえる。

部下の立場からすると、あれこれ意見を言っても最終的に却下されればがっかりする。心の中では憤慨するかもしれない。そしてそれが続けば、いずれ「言うだけ無駄」と言う感情が沸き起こってくる。そうすると、あとは「言われたことだけやってればいいや」と言う気持ちになり、積極的な気持ちは失せてしまう。そうなるともう立派な「指示待ち族」の出来上がりである。

そのような過程で「指示待ち族」になってしまうと、もう脱皮は難しい。そして社長の目からすると、そう言う指示待ち族の部下はあてにならない。あてにならないから意見を求めるようなことはしない。頼りにならないからすべて自分で決めないといけないとなる。さらに一層「ワンマン」に拍車がかかると言うわけである。

そう言うワンマンがいいか悪いかと言えば、それはなんとも言えない。クロネコヤマトの小倉元社長は、低迷する事業を打開するため宅急便事業へのシフトを考えた時、役員はみんな反対したと言う。役員の意見を聞いていたら、ヤマト運輸と宅急便事業はこの世になかったかもしれない。また、以前銀行員時代に担当していた不動産会社は、役員の反対を押し切って社長が単独で不動産を買い進め、バブルの崩壊で一気に倒産の瀬戸際に追いやられた。

部下の立場であれば、煮え切らないリーダーほどイライラさせられるものはない。「リスクを取れないならそこをどけよ」と言いたくなる。臆病と慎重、勇敢と無鉄砲は紙一重。どちらに転ぶのかは、受け止め方次第かもしれないし、あるいは実績がモノを言うのかもしれない。みんなの反対を押し切って進めた結果、成功すればカリスマとして誰もが崇めるようになるだろうし、失敗すればバカ社長だ。ではもし自分だったらと考えると、果たしてどうするだろう。

結果はともかく、プロセスについてはやっぱり説明をきちんとするだろうと思う。なぜ自分はこうするのか。その理由と考え方を部下に説明するだろう。部下に意見を求めた上で、それに反した自分の意思を通すのであればなおさらである。納得するかしないかは重要ではない。自分がどういう考えでそうするのかを示すことが大事だと思う。

中小企業であれば、社長は銀行からの借入金の連帯保証人になっていることがほとんどであろう。それだけ事業にリスクを背負っているのであり、人の意見で失敗したくはないだろう。最終的にすべて自分で決めるとしても、「指示待ち族」を作り出すことは避けたいところである。そのためにはやはり部下との対話と、その意思の尊重は大切である。その上であれば、部下も社長の独断に文句も言うまいと思うのである。

先の役員は、下の意見は「形だけ聞く」と言うタイプである。もう結論ありきであり、それがわかっているからこちらも言う気が失せる。まぁ同じ会社でないのが幸いであるが、自分はああなりたくはないと思わせる方である。人の振り見てではないが、反面教師は立派なお手本。自分のなりたいリーダー像が明確になると言う効果もある。そう考えて、良いように参考にさせていただこうと思うのである・・・






【今週の読書】
 
   

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