2017年1月12日木曜日

前例踏襲の安易な道

年が明け、仕事始めの5日、我が社では社長以下全員で近所の神社に参拝した。昨年から始めたのであるが、ある事について担当者に確認したところ、「昨年と同じにした」との答えであった。なぜ、昨年と同様にしたのかと問うたところ、口ごもってしまった。何も考えずに、ただ「昨年もそうしたから」そうしたというわけである。つまり、「前例踏襲」である。

 昨年までボランティアでやっていた財団の勉強会も、はじめこそあれこれ考えるものの、2回目からは「前回と同様」となりがちだった。まぁ一度やって問題がないことはわかっており、「確実」という意味でも「前例踏襲」はよくあることである。そうした例は身の回りに溢れていて、一々挙げていたらキリがないところである。

 以前、笑い話として聞いたのであるが、ある銀行の頭取が、ある決断を迫られた時、部下に以下の3つを確認したという。
1.   金融庁は何と言っているのか
2.   他行はどうしているのか
3.   過去はどうだったのか
この話の本質はもちろん笑い話ではなく、銀行頭取ともあろう人物がこの程度の判断しかできないことを揶揄しているわけである。ここでも「前例」は大事にされている。

なぜ、みんな「前例」にこだわるのかといえば、それは実に簡単で、「問題がないことが証明されているから」である。何か初めてのことをやろうとすれば、そこには当然「うまくいかなかったら」というリスクが伴う。そのリスクは軽減はできるかもしれないが、(初めてである以上)ゼロにはできない。最後は「えいやっ!」しかないのである。

これを組織の上司(責任者)の立場から見ると、ダメだったら自分の評価が下がるわけで、組織の中で少しでも減点を減らしたいと考える人であれば、少しでもリスクのあることは我慢ならないのである。「どうしてそれを許可したのか」と問われた時、「既に答えの出ているやり方=前例」は誠に良い言い訳になるのである。お役所や銀行など大きな組織ほど、リスクに対する許容度は小さくなり、よって「前例」が幅を利かせることになるのである。いわゆる「キン○○が小さい」というやつである。

今一つは、部下の立場からの「面倒な事の回避」だ。「昨年もそうしたから」、「前回もそうやったから」という理由で同じやり方にすれば、何も考えなくとも良いわけで、実に簡単である。今回はどうしようかと、また一から考えるのは普通に考えても面倒であろう。上司から詰められた時にどう答えるかとあれこれ考えるのも大変な事。「前回同様です」と答えれば実に簡単である。だから面倒を嫌がる組織の末端の担当者ほど、安きに流れるのである。

こうして上司も部下も考えることを放棄して前例踏襲に走るわけである。これでいいという人はいいのであろうが、それだと当然「考える力」はつかないし、度胸もつかない。それでいて、言葉では「チャレンジ精神」なんて言うものだから本当に片腹痛くなる。面倒であっても、考える力をつけるためには必死になって、「前回と違う事」を考えないといけない。私はそういう意識でこれまで来たので、冒頭の担当者の「前年と同じ」という言葉にピクリと反応したのである。(そんな私の考え方を知っているその担当者はバツが悪そうであったが・・・)

「前例がない」となれば、「なら自分が前例を作ればいい」のだし、「前例がないからダメ」と上司に言われたら、「俺は判断能力がないから判断できない」と脳内で翻訳して理解すればよい。そういう判断能力のない人に判断させる工夫をあれこれ考えていれば、たとえダメでも自分の考える力はつくだろう。何よりも自分のために、「前例踏襲」の考え方は捨てたいと思うのである・・・






【本日の読書】


 
      

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