2016年8月21日日曜日

男とは

高校生になった娘だが、そろそろやっぱり男の子のことがいろいろと気になるようである。学校にもイケメンの先輩がいるらしく、母娘でよくあれこれとりとめもない話をしている。先日妻がアドバイスしていたのは、「最近の男の子はこっちから行かんとあかんよ」(妻は在京20年だがいまだに関西弁が抜けない)ということであった。それを聞いて、さもありなんと納得してしまう。

 そういえば小学校時代、男の子をいじめてその子の母親から抗議を受けた先生から注意されたことがあった。その時も悪いとは思いつつ、「男のくせに」と思ったものである。お手伝いさせていただいている財団の短期海外派遣の面接でも、目立つのは女の子の積極性だ。オリンピックでも活躍しているのは「なでしこ」勢だし、最近はどんどん男の軟弱化が進んでいるような気がしてならない。個人的には少子高齢化よりそちらの問題の方が深刻だと思っている。

 その昔、松本零士の漫画『キャプテン・ハーロック』で、人類が軟弱化した未来の世界を描いていた。男が化粧をし、ハイヒールを履く。軍隊は、警報がなると逃げてしまう。そんな未来社会を当時はありもしないSF世界と思っていたが、なんだか最近は現実化しつつあるような気がする。このままいって大丈夫なのだろうかと思わずにはいられない。


 社会的にも、最近はアジア各国と比較すると海外へ留学する若者が減り、企業などでも海外赴任を嫌がる若者が増えているという。その理由は様々であろうが、「ハングリー精神」の欠如もあるような気がする。日本も豊かになって、贅沢を言わなければ大学まで楽に行ける。無理をしなくてもそこそこの暮らしができるから、かつてのように明日を夢見て歯を食いしばるような時代ではないのかもしれない。「金持ち喧嘩せず」という言葉があるが、そうしたゆとりが、「戦う心」を失わせているような感じがする。

その原因はと考えると、個人的に母親が主犯だと考えている。親からすれば異性の子供は特に可愛く思う傾向があるかもしれない。私も息子は厳しく育てたいと思うが、娘はそうは思わない。母親からするとその逆であるようで、どこも男の子は特に可愛いようである。それはそれで問題ないのであるが、問題は自分と同じ感覚(すなわち女の感覚だ)で育てるから、その感覚が身についてしまうのではないかと思うのである。ペットにも「カワイイ」服を着せたがる時代である。男の子も「カワイイ」で育てると、喧嘩のできない軟弱くんに育つような気がしてならない。

男にとって何が必要かと言われたら、まず「闘争心」だと思う。それは何も喧嘩を意味するものではない。困難に際し、それに立ち向かっていく心の強さである。それはスポーツでも仕事でも人生でも、あらゆるところに共通する。ハングリー精神溢れるアジアの発展途上国がどんどん追い上げてくる中、我が国が今のポジションをキープし続けていくためには、精神的な強さが必要である。そうした闘争心を心に秘めて育てていかなければならない。

思い起こせば、私も中学生までは喧嘩のできない(闘争心の弱い)男であったと思う。ツッパリグループからは関わり合わないように避けていたし、喧嘩になりそうになったら逃げていた。それが変わったのは、間違いなくラグビーの影響もあるが、何より変わりたいと思ったことが大きい。それで闘争心を養っていったから、社会に出てからの困難にも耐えられたと思っている。そうでなければ鬱で会社を休んでいたかもしれない。

もちろん、女の子には自分から何度もアタックした。うまくいかないことばかりだったが、メゲるということはなかったし、相手から寄ってくるのを待つという選択肢もなかった。今もそれは仕事などあらゆるところの基本になっていると思う。息子にも当然そうした闘争心を養ってほしいし、そのように導いていきたいと思う。当然、女の子には自分から告白する男になってほしい。

優しい男が好きという女性は多いだろうが、優しいのとヤワなのは大きく異なる。似て非なるものであるが、人によっては勘違いするだろう。それはどこで見分けられるだろうか。個人的には、一度アタック(今はコクるというのだろうか)して振られた女の子に、何度も再チャレンジできるかではないかと思う(一歩間違えるとストーカーになってしまうが・・・)。しかし、そうした勇気こそがヤワか否かを見分けるバロメーターであるように思う。

 つくづく、女の子には男から行くべし、と思うのである・・・




【今週の読書】

 
      

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