2016年7月7日木曜日

昨日と同じ今日を明日も生きるということ

    もっとも強いものが生き残るのではなく
    もっとも賢いものが生き延びるでもない
    唯一生き残るのは、変化できるものである
ダーウィン
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高校の同窓会の常任幹事をここ10年ほど拝命してきたが、任期満了にあわせて辞めることにした。続けようと思えば続けられるのであるが、そろそろ「自分としてできること」の限界を感じてのことである。過去、同窓会の活性化について、ちょうど資金も余っていたので、それを利用したものを提案したことがあるが、あえなく却下されてしまった。以来、一人でできることの限界を感じていたし、変えられないまま幹事を続けるのも嫌だったのである。

変えられなかった理由には、私のプレゼンにも問題があったであろうが、根本的には「なんでそんなことするの?」という意識が多くの人の心にあったと思う。何もわざわざそんな事しなくても誰も困らないのである。それまでも活動と言えば半年に一度であり、内容もほぼ決まり切ったルーティン。予算だってほとんど同じで、毎年余剰金が積み上がり、その額は年度予算の3年分を超えていたのである。

同窓会の常任幹事など、まったくのボランティアで、みんなそれほど身を入れてやっているわけではない。だからなのであるが、やることは決まっていて、何年も同じ講義ノートを使う大学教授の如く、変化はない。昨日も今日もそして明日も同じなのである。こういう状況に際して、それを良しとしない私が1人あれこれ考えて提案していたというわけである。そんな私の基本的な信条は、「昨日と同じ今日を明日も過ごすということをしない」ということである。

昨日より今日は一歩でも進歩していたいし、明日はもう一歩進歩していたいと思う。そのスタンスは、ずっとお手伝いさせていただいていた教育財団の社会人向け勉強会でも貫いてきた。みんな初めこそ緊張してあれこれと考えるが、2年目からは前年と同じようにやろうとしてしまう。特に真面目な人ほど「いかにうまく同じようにやるか」を真面目に考えるし、あまり考えない人は尚更深く考えずに同じようにやろうとする。これを変えるには、意識して「無理やり違う事をやろう」としないといけない。

これは、結構大変である。同じことをやるならとても楽であるが、少しでも違う事をやるとなるとあれこれと考えなければならないし、考えたからといってすぐに妙案が浮かぶわけでもない。事実、一緒にやっているメンバーからは、「何も思い浮かばない」と言われたことがある。勤めている会社ではそれなりの地位にいる彼であったが、そんな立場でも「違う事を考える」ことは簡単ではないという。たぶん、会社では決まった流れの中にいるからできるのだろうが、ちょっと水が変われば戸惑うのであろう。

そんな彼を見ていて、自分自身に危機感を覚えた。安易な流れの中で満足していると、外へ出て通用しなくなる、と。だからこそ、「昨日と違う今日」を意識しているのである。銀行から不動産業へと畑違いの転職をしたが、今日までそれなりに会社内に変革をもたらせているのも、こういう思考トレーニングの成果だと思う。これからも、常に「昨日と違う今日」、そして「今日とは違う明日」を心掛けていきたいところである。

同窓会の常任幹事については、残念ながらやむをえない。1人でできることには限度があるし、何より今以上、時間と労力と気力を割くつもりもない。その分、仕事の方に注力したいとも思うし、そこは割り切りである。だが、携わる以上は何事であれ、「昨日と違う今日」を目指したいと思う。といいつつ、最近週末はのんびりまったり過ごすのがお気に入りで、それこそ変化のない週末を送っているが、これが実に心地よい。人間怠ける部分も必要であると自らに言い訳しているのである・・・


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