2016年7月24日日曜日

峠の釜めしの未来

 先週、伯父の法要で長野県にある望月を訪ねた。直接行くには、上信越自動車道の佐久南インターで降りるのが近いのであるが、昼食を食べるには軒数の多い佐久インターの方が便利だとこちらで高速を降りることにした。すると、すぐ違和感に気がついた。いつもインターの出口正面にあった「おぎのや」の店舗がなくなっていたのである。なくなっていた原因は知る由もないが、まだ比較的歴史が浅いことや東京と違って土地にゆとりのあるところであることを考えると、業績不振による閉店ではないかと勝手な想像をしてみたところである。

おぎのやと言えば、「峠の釜飯」。かつて信越線を利用して毎年東京からこの地を訪ねていた身としては、横川の駅で買う釜飯の存在は、高崎のだるま弁当と合わせて信州へ向かう道すがらの欠かせない存在であった。小学校4年から毎年の春と夏、いとこの住む御代田を訪ねていたが、当時は急行電車で3時間の旅。今と違って、まだまだ長野県は遠かったのである。

そんな道中の横川駅で「峠の釜飯」は売られていた。確かに名物としての存在感はあったのであるが、子供心に正直言ってそれほど熱烈に食べたいとは思えなかったのは事実である。高崎のだるま弁当と比べれば、今でもだるま弁当を選択するだろう。中の具材が、食べられないことはないものの、積極的に食べたいというほどではなかったのである。

やがて、信越線にも新幹線が開通し、そもそも横川には新幹線は止まらなくなった。おぎのやさんは、まともに行けば廃業の危機だっただろうが、ドライブインなどロードサイドの店舗展開で、なんとか生き残ったようである。私も信越線の急行電車に乗って御代田に行ったのは、高校1(昭和55)までで、その後は行く機会も減ってしまった。行くとしても車となり、おぎのやの店舗は、国道18号線沿いの横川駅に隣接したドライブインに寄って、何度か「懐かしい味」を堪能する程度になってしまったのである。

私の味覚がすべてではないが、何度かドライブインに立ち寄って食べたものの、それは「食べたくて食べた」というよりも、「懐かしくて食べた」という方が正解である。信越線の旅は、一人旅の不安も伴っていたかもしれないが、子供心にも情緒溢れ、碓氷峠のトンネルの数を数えるのが好きであったし、御代田の駅に降り立った時は、別世界に来た趣があったものである。そんなノスタルジーが、釜めしを食べることによって一緒に味わえるような気がしたのかもしれない。

そのレストランにどんなメニューがあったのかはもう覚えていないが、峠の釜めしの単品経営だと厳しいかもしれないと思う。かつて単品経営の王者であった吉野家の牛丼と比べても、どうしても食べたいという存在ではない。私のようにノスタルジーから食べる人はいるだろうが、若者受けする内容ではない気がする(あくまでも個人の感想だ)。そうすると、メニューを多角化し、峠の釜めしを歌いつつもそれ以外の味でお客さんを引きつけないといけない。

さらに、国道18号線上では、ノスタルジーとしては抜群の位置だが、上信越自動車道が開通した現在は、観光客のほとんどの移動はそちらに流れているだろう。となると、サービスエリアの店舗でなければ、顧客を確保することが難しいことになる。佐久インターを降りた出口は、一見好立地に見えるかもしれないが、ここで高速を降りる人がどのくらいいるかと考えると、店舗の閉鎖理由も見えてくる気がする。

時代は常に流れ、世の中も変わる。やがて峠の釜めしにノスタルジーを覚える人もいなくなるだろう。そうした時に、おぎのやはどんな変化をしていくのだろうと考えると興味深い。味はあまり好みではないと言いつつも、やはりなくなると寂しいものがある。かつて電車が停車したわずかな時間に、緊張して買った記憶があるが、駅弁としての販売開始は1958年だという。そんな歴史の解説と共に販売したら、歴史を知らない人も興味を持って買うのではないだろうかと思ってみたりする。

かつては家の中に、釜めしの空き釜がいくつもゴロゴロしていた。今度御代田に行く時は、途中で上信越自動車道を降り、国道18号線を走ってみようかと思う。そして久しぶりに峠の釜めしを食べて、碓氷峠を越えてみるのも悪くはない。そしてやっぱりこの味は、「大好き」には遠いんだよなと思うだろう。子供たちも成長して夏休みもバラバラだし、今年は一人そんな夏休みも悪くはないと思うのである・・・



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