2016年7月13日水曜日

人材がいないという嘆き

銀行員時代、様々な経営者の方とお付き合いしてきたが、「我が社には人材がいない」と嘆く経営者の方が多くいた。それは特に従業員数の少ない中小企業に顕著な傾向であった。まぁそれはわからなくもない。従業員の少ない中小企業では、そもそも社員が少ないわけで、大企業と比べればそれも仕方ないことでもある。

 こうした中小企業の社長が言う「人材」とは、「自分で考えて動くことのできる人」とでも言えるだろう。要は「言われたことはやるけど、それ以上のことはやらない」という人が大半で、社長としては物足りないのである。そこには、社長と社員の意識の差(『経営者目線で働くという事』)もあるだろう。「できません」ではなく、「どうしたらできるか考えろ」ということもよくあるだろう。

 大企業には新卒で優秀な社員が集まってくるし、中での競争があるから必死になって(やる人は)やる。されど、少人数でさしたる競争もなく、あちこちでドロップアウトしてきたような中途採用の社員が多い中小企業ではなかなか目の色を変えてやるという事もない。それに社長の方も、会社で一番できるのは自分という意識があり(それは得てしてその通りであることが多い)、誰も彼も物足りなく見えるということもあるだろう。

 しかしながら、本当に人材がいないのかというと、実はそうでもないということを最近感じている。大企業から社員10名の中小企業に移ってくれば、確かに人は少ない。しかし、ではみんな頼りないかというと、そんなことはない。みんなそれぞれのポジションで必要な仕事をしてくれている。さらにいえば、いろいろと働きかけることで、その範囲は次々と広がってきている。

 思うに「人材がいない」という問題は、「使われる社員の方の問題」というよりは、「使う方の問題」と言う場合が大半な気がする。そもそも人間の能力に大きな差などありようがない。あるのはやっぱり「意識の差」くらいなものであろう。誰でもそれなりに能力はある。それをうまく引き出すことができれば、どんな人でもそれなりに能力を発揮する。何もみんなが社長になる必要はない。社長が意図するように動ければいいわけで、それは十分可能に思える。

例えば、我が社のように社員総数10名程度の人数であれば、十分ひとりひとりに目が行き届く。担当職務について話をし、自分がどんな結果を望んでいるのか、それはどうしたらできるのか、それにはどうしてほしいのかしっかりと話をし、その進捗に関心を持つ。注目されているとわかれば、自分の職務に誇りと愛着も出てくる。特に我が社のような少人数企業では、「その職務担当はその人だけ」ということもあるわけで、そうすると責任感も育ってくる。意見を求めれば、自分の意見を返してくれるようになる。

こういうコミュニケーションが取れれば、みんなそれぞれ必要な働きをするようになるし、小さくともやる気ややりがいを持ってもらえるようになる。「人材がいない」などということは、我が社には無縁である。つまりは、そういう「引き出す力」があるかないかであり、そういう力は社員よりもむしろ経営者の方に求められる。そういう「引き出す力」を持った人を敢えて「人材」というのなら、「人材がいない」と経営者がこぼすと、それはすなわちわが身に跳ね返ってくることになる。

かつてプロ野球の落合が、中日ドラゴンズの監督に就任した時、普通なら真っ先にやりそうな選手の補強を「やらない」と宣言し、初就任したその年に優勝した。「名選手必ずしも名監督ならず」というプロ野球のジンクスを楽に覆してみせた。これこそが経営者の目指す姿ではないかと思う。「人材がいない」と嘆くことは、恥だと思わないといけないと思うのである・・・





【本日の読書】 
 
     

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