2016年5月25日水曜日

アンドロイドはどこまで人間に近づくべきなのだろうか

 一説によると、2029年までにAI(人工知能)はあらゆる面において人間を凌駕するらしい。テクノロジーの進歩を考えるとそれも不思議ではない。そして現実はともかく、既に映画の世界では様々な形でAIが描かれている。
 
 『イーグル・アイ』では神のような万能の存在、『ブレード・ランナー』では、定められた死期を逃れようと人間のように苦悩し、もがくレプリカント。レプリカントの姿かたちは人間と見分けがつかない。『ターミネーターⅡ』では、初めは冷酷な機械だが様々なことを学びながら最後は人類の為に行動する人間型の機械。
何となく究極的にはほとんど人間に近い姿が完成形であるようなイメージがする。
だが、それはどうだろうかと想像力を働かせてみた。
 
 スティーブン・スピルバーグ製作総指揮のドラマ『エクスタント』を観た。このドラマでは人間の子供のアンドロイドヒューマニクスが登場する。独自に進化を遂げ、やがて両親に反抗したりするようになり、より人間の子供に近づいている。ターミネーターが目的を達成する機械なら、ヒューマニクスは存在そのものに目的がある機械とも言える。どちらが望ましいのかは、やはり「何を目的とするか」によるのだろう。

 ヒューマニクスに求められる役割は、いわば「家族の代替」と言える。実際、私も子供が23歳くらいまでは本当にかわいくて、家に帰るのが楽しみであった。もちろん、今でも子供はかわいいが、その内容は変わってきている。ペットを飼う人もこの心境に近いと思うが、そうすると、人間に近づきすぎてもいかがなものかという気がする。
『エクスタント』を観ていても、親に反抗する子供には正直イラッとする。実際の子育てもそうであるが、それは人間こその成長の証であり、だからこそ許せるものであるが、時として怒らないといけないこともある。それが果たしてアンドロイドにも必要なのだろうかという気がする。

 およそ人間の悩みの多くは人間関係から生じているだろう。鬱になって会社に行けなくなるのも人間関係に原因があるのが大半だろう。お互いに感情があるから対立するし、だからストレスも感じるし、夫婦は離婚する。アンドロイドが人間に近づく=感情を持つということは、ストレスの原因をつくることにもつながる。そこまでにする必要があるかと言えば、そういう機械はほしいとは思わない。

 逆に目標達成型のアンドロイドであれば、指示したことを完璧にこなしてくれるだけでありがたい。特に年をとって動けなくなってきたら、24時間365日不眠不休で寄り添う「ターミネーター型」のアンドロイドがいれば、不安はない。子供も親の心配をしなくてもいいし、介護疲れや介護離職などという事もなくなる。サポートされる方も気楽だろうし、私が将来介護される必要が生じた時は、人間よりも「竹内結子」型アンドロイドに介護して欲しいと思う。

 しかし、そうした美人アンドロイドにかわいい子供アンドロイドが普及すると、わざわざ結婚したいと思う男はいなくなるかもしれない。いちいち奥さんに小言を言われることはないし、飽きたら「北川景子」型に外見を変更することもできる。そうすると結婚生活は楽しいことだらけになるだろうし、私も間に合うなら今からでもそういうアンドロイドがほしいと思う。ただし、本当に実現したら人類は少子化が一層進み、やがて滅亡へと向かうかもしれない。

 『ターミネーターⅡ』では、防衛システムが「最大の危険は人類」と判断し、人類抹殺に動く未来が描かれていた。それはあながち誤った判断とも言えず、AIが賢くなり過ぎるのは危険かもしれない。人間に限りなく近く、かつ従順となれば結婚も崩壊し、人類は衰退するかもしれない。そんなことを考えてみると、とどのつまり「進化もほどほど」なのが良いかもしれないとも思う。
私が生きているうちにそんなテクノロジーの進化がありうるのかどうかわからないが、未来は今より幸せなものであってほしいと思う。
 
 それにしても、人類衰退の危機があるとしても、「竹内結子」型介護ロボットの夢だけは、実現してほしいと思うのである・・・



【本日の読書】
 


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