2016年5月15日日曜日

フラれる理由

10代後半から20代にかけて、私はどちらかと言えば自信家であったと思う。大概のことはなんとかなったし、世間でも難関と言われる大学に合格し、スポーツでもレギュラーの座を確保できたし、就職にも苦労しなかった。そのまま行けば多分嫌な人間になっていたと思う。否、今でも嫌がられているかもしれないから、「もっと嫌な人間」といった方が正確かもしれない。
それがそうならなかったのは、間違いなく恋愛経験である。

人生初めて女性と付き合ったのは、高校3年生になろうとしている時であった。早いか遅いかはまぁ置いておくとして、せっかくの彼女だったのに、1年浪人して晴れて大学に合格した時にフラれてしまった。合格の喜びも胡散霧消するショッキングな出来事であった。その後、大学の4年間は彼女に恵まれず、社会人になって早々、最初に配属された支店で同じ係の女性に惚れた。

猛烈にアタックしたものの、彼女の心を動かすことはできず、傷心のまま転勤。そしてまたそこで出会った女性に惚れて、またもや猛烈にアタック。だが、奮闘空しくそこでも彼女の心は動かせなかった。自分で努力すればある程度何でもできると自負していた私であるが、女心だけはどうにもできなかった。

受験勉強でもラグビーでも、目指すポジションを手に入れるためにはどうすれば良いか、その課題は常に見えていた。だから多少現状とのギャップが大きくとも、その課題に向けて努力すればよかった。だが、女心はわからない。自分の何がどう良くないのかが全くわからない。わからないから対策の打ちようがなかったのである。

それは就職にも言えていて、例えば以前80社受けてどこからも内定がもらえないというニュースを見た記憶があるが、その学生さんも落とされる理由がわかれば対策も打てたのであろうが、大概そんな理由など教えてもらえない。一生懸命アタックしても、「気持ちは嬉しいけど、ごめんなさい」で、どこがダメなのかはわからなかった。

逆に銀行に入り、融資マンとなった時、融資の申し込みを断る場合は、「総合的判断」と説明していた。どうしても借入をしたいお客さんは、融資してもらえない理由を詳しく聞きたがる。理由がわかれば、対策が打てるからである。もちろん、融資できない理由はある。赤字だったり、担保が足りなかったり、事業計画の信憑性が低かったりそれらの複合だったり。だが、それを説明するとキリがなくなる。担保がない場合も、銀行としては受け入れがたい担保を持ってくる場合もある。それを言えば、「担保があればいいと言ったじゃないか」と争いになる。面倒を避けるためには詳しい理由を言わない方が賢明なのである。

自分がフラれた時も、どうすれば良いのかわからなかったが、多分理由はこれとはっきり説明出来るものでもなかったのであろう。他に好きな人がいたのかもしれないし、何気ない言動が嫌われたのかもしれないし、容姿だったのかもしれない。そうして思い至ったのが、「あれこれと理由を探すより、もっと人間を磨こう」ということだった。好きな女性が惚れるような男になれば良いわけで、それはどんな男なのかと考えだしたのである。

結論としては、信念を持って生き、特に自分より弱い立場の人間に親切であろうとそんなところから磨くことにしたのである。髪型や服装は、もともとおしゃれには疎かったので、対象外とした。それで惹かれるような女性には好かれなくても良いと思ったのである。それがうまくいったかどうかは問題ではなく、ただ確実に「もっと嫌な人間」にならずに済んだことだけは確かである。

以心伝心とは言われるが、結局どうあがいても人は他人の心の内はわからない。だからそれを探ろうとしても無駄であり、それよりも自分自身がこれでどうだと言えるものを築いていくしかない。恋愛であれ、就職であれ、人間関係であれ、よく思って欲しいと思ったのであれば、そのように思われる人間になる努力をしないといけない。それが唯一の道であると思う。

さて、では今現在はどうかと言えば、まだまだ改善点は多い。妻や会社の人たちや、日々接している人たちに自分がどう思われているかは相変わらずわからない。ただ、私も馬鹿ではないので、嫌がられているところがあることは薄々気づいている。それを改善しようという意識は常々持っているが、なかなか難しいのが実情である。ひょっとしたら、改善することは無理なのかもしれない。ただ、そういう努力だけはずっと続けていきたいと思うのである。

人生も折り返し地点を過ぎているし、残りの人生をより楽しく過ごすためにも、周りの人をも楽しくさせるように接することができるようになりたい。
そんな自分になる様、意識していきたいと思うのである・・・



【今週の読書】 
  

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