2016年5月19日木曜日

子育ては妻

貧しさの中なら、労りだけで十分子供は育つ
だが豊かさの中では、精神的な厳しさを与えなければ鍛えられない
松下幸之助
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以前、よくテレビで子供が問題を起こした時、旦那さんが奥さんに向かって「お前の教育が悪いからだ」と責める場面がよく出てく来た。我々の親世代は、「男は外で仕事、女は家庭」というのが当たり前であった。高度成長期を支えた企業戦士は、ひたすら滅私奉公を要求され、家庭のことなど顧みるゆとりはなかったのであろう。

翻って現代では、「育メン」などという言葉が登場するように、「男も家事育児を負担する」考えが浸透してきている。 そういう私も育児については参画意欲満々で、実際娘の夜泣きなどは私の方があやすのがうまかったくらいである。ところが、子供も成長してくると、夫婦間でも意見が対立してくる。「塾へ行かせる」という妻に、「行かせなくても」という私という具合に、意見が食い違うケースが増えてくる。

そんな時、大概私が折れるわけであるが、そんなこんなが重なると、いつのまにか子供については「妻主導」が定着し、私は黙って見守るという形になってくる。たぶん、このままいけば、子供については将来「私がすべてやった、あなたは何もしていない」と妻に言われても反論はできない。まぁそれはそれで仕方がないが、参画意欲だけはあるのである。

小学生の息子に対しても、やれ「宿題はやったのか」とか、「明日の学校の準備はできているのか」とか、とにかく妻は口うるさい。私など「宿題なんか忘れたら自分が怒られたり恥ずかしい思いをするのだし、そういう経験をすれば自分で気をつけるようになる」と考えるので、放置しておけばよいという主義なので、妻の考え方はいかがなものかと思わざるを得ない。

しかし、自分の靴を洗わせたり、野球のグローブなどの手入れをさせたりというところは効果もあるようで、友達の家に遊びに行った際は、「お行儀がいいわね」と褒められたという。とすると、妻の躾もなかなか大したものだと思わざるを得ない。子供本人は、「うるさいなぁ」と思っていたとしても、いつの間にかきちんとした行動ができるようになっているのであれば、本人のためにもなるというものである。

さらに、妻の厳しいところはなかなモノを買い与えないところだろうか。自転車もそろそろ小さくなってきているのだが、なかなか新しい自転車の購入にGOサインを出さない。もちろん家計が苦しくて買えないというわけではない(たぶん)。今は自転車も安く、我が家ご用達のあさひサイクルなら23万円くらいで買えるご時世である。本人も友達のと見比べて買ってほしそうな様子である。

個人的には買ってあげてもいいのにと思うのであるが、妻は首を縦に振らない。しかしこれもいいように思う。私も子供の頃なかなか思うようにモノを買ってもらえなかった。お金持ちの子供に生まれたかったと、幾度となく思ったものである。我が息子もそんな思いを抱いているかもしれない。だが、そうした我慢が今の自分に生きていると思うし、我が息子にも有益のような気がする。

よく「金持ちの家は三代で没落する」と言われるが、我慢する必要のない環境で育つと人間はどこかで甘くなるのかもしれない。またそうでなくても、「禍福はあざなえる縄のごとし」という言葉にもある通り、人生どこかでうまくバランスが取れるようになっているから、どこかで困難にあたるのかもしれない。それなら子供の頃の方が良いかもしれないと思ってみたりする。

人も羨む金持ちにはなれていないが、それはそれで良いのだと自分自身に言い訳しているような気もするが、まぁ良しとしたいところである。子供の躾については、今のところ妻に任せておく他はない。だが日頃から子供たちとのコミュニケーションは密にしておきたいと思う。せめてそのくらいは父親としての役目を果たしたいと思うのである・・・



【本日の読書】 
 
     

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