2012年1月7日土曜日

妻への手紙

妻とのギクシャクした関係に頭を悩ませていた昨年暮れ。自分の中では最悪の想定もした。このまま冷たい態度を取り続けられて、ずっとそんな関係を続けていくのは無理な相談。人生を新しく始めるなら早い方が良い。子供たちには母親が必要だから親権は妻に渡し、一人実家へでも戻って親と暮らそうか・・・

されど子供たちと離れるのは何より辛いし、子供の成長過程を見守りたいし、何かあれば相談の一つにも乗ってやりたい。子供の精神的成長にも悪影響を与えたくないし、家庭内離婚状態でも自分が我慢すれば良いのだろうか。「子はかすがい」と昔から言われている言葉がふと思い出される。そんな葛藤が心の中で渦を巻いていた。

そうした中で、やっぱりもう少し自分なりに関係改善に努力してみるべきではないか、と思い至った。せっかく結婚したのだし、失敗した部分があるとはいえ自分が選んだ相手でもあるし。ダメならダメで仕方がないが、やれる限りの努力はするべきではないか、と。とは言え、話し合いの提案は拒絶されておりうまくない。そこであれこれと考え、手紙を書くことにした。

妻への手紙などと言うと、結婚前に新居の鍵を送るついでに書いた程度で、あまり記憶にない。現代人らしくラブレターなども妻には書いていない。そう考えると、何をどう書くべきかと言う迷いもあったが、取りあえず書き始めた。日頃の思い、考え、喧嘩の原因となった事についての自分の考え・・・

まずは自分がどんな事を考えているか、それを説明し、できれば子供たちのためにも自分達のためにも、仲良くやっていきたいと。「家族とは一緒に幸せになるためのチーム」と何かで読んだ言葉も添えて、そんなチームとしてうまくやっていきたいといった内容を書きつづった。
朝、それをテーブルの上に置いて出勤した。

その手紙についての妻からのコメントは何もない。
ひょっとしたら返事でも来るかと淡い期待を抱いてはみたものの、何もない。
ただ、うまく気持ちは伝わったような気がする。
それはその後の妻の言動に表れているように感じるのである。
相変わらず、私のやる事に口うるさい。
表面的な態度は何も変わらない。
ただ、言葉に“とげ”がないのである。
それが妻なりの返事なのかもしれない。

大掃除も年末年始も、妻の言葉や態度にそれまで感じられた“とげ”がなくなった。
単なる気のせいかもしれないが、私にとっては大きな変化だと感じた。
その昔、終末時計なるものがあった。核戦争の脅威が高まる中、その時計の針が世界の終末までの時間を表示しているのをテレビでみた事がある。
我が家の終末時計については、大きく針を戻した気がする。

お正月、長女と風呂に入って、今年の目標や希望などについて話しをした。
ついでに「パパとママに望む事」を聞いてみた。
「夫婦喧嘩をしないでほしい」というのが、娘の回答。
我々が喧嘩するたびに、どうしてよいかわからなくなり泣きそうになると長女は言う。
まあそうかもしれない。

その昔、自分も両親が喧嘩をした事を覚えている。
かなり大きな喧嘩だったが、子供だった私は、その時それを布団の中でなす術もなく聞いていた。大きな喧嘩はそれ一度だったと思うが、そのすぐあと母に「お父さんとお母さんとどっちが好き」と聞かれた。当時はちょうど男の子として、いつまでも「ママ、ママ」というのは恥ずかしいと思い始めていた頃だったから、私は思わず「お父さん」と答えてしまった。その時母は寂しそうに、「じゃあお前はお父さんのところに行きなさいね」と言った。

子供心にも「しまった」と思ったものである。
あの時、母は離婚を考えていたのだと思うが、今考えても子供には酷な質問だ。
さて、そんな質問を我が子にする心配も遠のき、年始から何とか水平飛行に移れそうな我が家。まだまだ油断大敵だと思うから、パイロットとしてしっかり安定飛行を心掛けていきたいと思うのである
・・・
                

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